黄色い線の内側に。‖人身事故を見た 佐幸
黄色い線の内側にお立ち下さい。
(電車が通過するときに、巻き込まれて仕舞うから。)
(たった少しの立ち位置の差で、人間なんて)
黄色い線の内側に。
佐助は身を切るように冷たい横風の吹くホームで、ぼんやりと電車を待っていた。
聞き慣れたアナウンスと共に、僅かに空気の流れが変わる。
地鳴りの様な音を響かせ、空気を圧して近付いてくる。
圧され、引かれる。
「……」
佐助は鋭利な感覚を潰そうと音楽プレイヤーのボリュームを上げ、不機嫌そうに眉を顰めた。
瞬間、
隣に居た、誰かの身体がふわりと線路に引き込まれた。
(、あ)
声を上げる間もなく、湿った音がして、生暖かいものが顔に飛び散った。
───嗚呼、遠くで誰かの悲鳴が聞こえる。
厭な音を立てて、数メートル先で通過するはずだった電車が止まる。
車体の退いて曝された線路上。
俺の目の前には───
「って訳で、電車は遅れるわ服は汚れるわで大変だった訳よ」
結局電車にも乗れず、軽い事情聴取までされていい迷惑だと
「其れは難儀であったな」
「ったくもー。あんなトコでトブなっての。電車って止めるとクソ金取られるって知らなかったのかな?…ま、今となっちゃ、って感じだけど。」
佐助は幸村の前にココアを置き、自分は珈琲を片手に隣に座り込んだ。
「む、有難く」
「うん」
ずず、と珈琲を啜り、チャンネルをカチャカチャと適当にまわす。
「其れで佐助。───大丈夫なのか?」
幸村はココアを置き、佐助の方を向いた。
「え?あ、うん。大学にも連絡してもらったし。服は、まぁ仕方ないけど…」
低重音を響かせながら回る洗濯機の有る方向に視線を向けて、はぁ〜、と溜め息を吐いた。
(血って落ちにくいんだよなー…。んー洗ってみるけどさー)
如何したもんか、と考えていると、幸村の声が其の思考を遮った。
「違う」
「え?」
幸村を見ると、何故か酷く真面目な顔をしていて、思わず言葉に詰まった。
「───佐助は、大丈夫なのか?」
「!……」
フッ、と一瞬だけ佐助の表情が無くなった。
しかし、直ぐに何時もの笑みを浮かべた。
「───…ん。大丈夫。」
ふわりふわりと珈琲の湯気が揺れる。
其れは、冷たい線路に流れたあの暖かく赤い体液が発していた、柔らかい湯気の様に。
佐助はそんな記憶を掻き消す様に、ふぅ、と珈琲の湯気を吹いて、カップを置いた。
「大丈夫。俺様には、───旦那が居るから。」
ぎゅう、と佐助は幸村の手を握り締めた。
幸村の手は、ココアの温かさを移しており、僅かに熱を持っていた。
「うむ」
幸村は、漸く安心した様に微笑んだ。
(わかってる。俺はもう、此の方を独りにしてはいけないのだから)
「───佐助?」
余程悲壮な顔をしていたのか、幸村は優しく背中に手を回した。
「佐助…俺のために、生きてくれるな…」
そして、宥めるように背中を優しく叩いた。
「……」
「お前自身の為に生きよ」
そう言って背中に回された幸村の手が、僅かに震えているのは───
(───幸村様?)
途中迄出かかった言葉を佐助は呑み込んだ。
「…、ありがと。十分だよ。」
「佐助…」
「大将が居て、旦那が居てくれて、俺様十分幸せなわけですよ」
「………」
「だから、安心して?…居なくなったりしないから。」
誰かを生きる理由にするのは簡単だ。
「うむ…」
ただ、其れは酷く脆い。
「わー旦那ってば、イイコイイコ!」
線路に飛び込んだ見知らぬ他人(ひと)に、自分を重ねて仕舞うほど。
「な…っ、からかうでないわ!」
「あははっ、…え、痛っ!痛いです!ごめんなさい、ごめんなさいって!」
ケラケラと笑って拳を避ける佐助に、「まったく…お前と云う奴は…」と脱力した。
「へへ…」
(だから、生きられるのは旦那が俺様に依存してくれてる間だけでいい)
其れまで、黄色い線の内側で手を引いて。
end
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