終わりの赤‖赤が苦手な佐 現#佐幸
佐助は赤が嫌いだった。
終わりの赤
鮮やかな赤に成れば成る程、佐助は其れを嫌った。
否、嫌いと言う訳では無のらしいのだが、結局は曖昧に濁されて仕舞う。
なので、嫌い、と言う表現を俺は使う。
前に一度、「紅は大丈夫なんだけど」と言っていたのを覚えて居る。
色彩的には赤と紅は然程違いは見られないかも知れないが、佐助には其れが解る様だった。
そんな僅かな違いで酷く赤を遠ざける佐助。
特に苦手なのは、紙や布に付いて滲んだ赤だ。
嫌いと言うよりも恐怖症と言った方が良かった。
俺が赤いインクペンを爆発させて服に飛散した時、佐助は突然過呼吸になって倒れた。
赤が滲むと同時に、足がすくんだらしく、俺の顔と滲んだ赤を見比べて、短い息を吐きながら小刻みに震え、糸が切れた様に倒れた。
「───さすけ!」
本当に死んでしまうかと思う程に、佐助はパニックを起こしていた。
紙袋を口に当てたが、間に合わずに佐助はいとも簡単に意識を手放した。
其の日、佐助は念のためと、緊急搬送されていた。
「……佐助」
不安を抱えたまま薄いカーテンを引くと、佐助は仰向けに眠っていた。
搬送先の病院で、抗不安薬を投与したと説明を受けた。
「あの、さす…猿飛は」
「抗不安薬は睡眠薬に効果が似ているので眠って居るだけですよ。もうそろそろ起きると思うんですけど…」
「そう…ですか。有り難う御座います。」
幸村は病院の売店で買った、妙に色の薄いシャツに着替えて、ベッド脇に座った。
「……」
枕に広がる、少し伸びた髪に触れた。
あかい髪。
しかし佐助は染めるといったことはしていない。
赤にも、黒にも。
幸村は不思議だった。
其処までして恐れる色を如何して変えないのか。
鮮やかな夕陽色を───
「…だんな……?」
髪を弄んでいた手を掴み、佐助は眼を開けた。
「此処は…」
ゆっくりと周りを見渡して、確認する様に幸村を見た。
「病院だ。…覚えてないのか?」
「…少し……」
「驚いたぞ。しかしすまなかったな……その、もっと気を付ければ良かった。」
すまない、と幸村は項垂れた。
「ううん。旦那は悪くない。全部───俺様が悪いんだ。」
「え?」
「旦那は気にしないで、ってこと」
そう云うと、モソモソと身体を起こしてベッドから降りた。
「しかし…」
言いかけた幸村の言葉を遮るように、佐助は「ごめんね?」と言った。
「…帰ろうか。ね、旦那。」
何時もの通りに佐助は笑って、先に歩き出した。
「あ、あぁ」
幸村は何時もと変わらない笑顔にほっとしつつ、佐助の後に着いて行った。
「なぁ、佐助」
「なに?」
「今日はゆっくり休むと良い。家事は…出来る限り俺がやる。」
幸村がそう言うと、佐助は感動、と云う表情で振り返った。
「旦那…良い子に育ったね!」
思い切り抱き付こうとする佐助を見事に避け、幸村は逆に佐助を小突いた。
「心配してやって居るのだ!…茶化すな。」
幸村が本気で臍を曲げて仕舞う前に、佐助は柔らかく微笑んだ。
「───本当に、大丈夫だから。旦那は気にしないで?」
「…佐助…」
言葉を切って、困った様に佐助を見詰めた。
「そんな顔しないで下さいよー」
ほら、笑って、と頬を両手で包み込む。
「お前が笑う度に……お前に無理をさせて居る様な気がして成らない。」
ぐに、と頬を上げられて幸村は、口角だけ上がった顰めっ面になった。
「……そんなの、してないよ。旦那の気のせい。」
「違うっ!」
悲痛な怒気を孕んだ声に、佐助は思わず言葉を詰まらせた。
「もういい加減に教えてくれ。何故佐助は赤が駄目なのだ?」
今にも泣き出しそうな幸村に、佐助は優しく頭を撫でた。
「知らなくて、良いの」
「しかし……!」
「ごめんね…旦那、」
有無を言わせぬ佐助の言葉に、幸村は唇を噛んだ。
「っ……もう良い」
バッと幸村は走り出し、其の儘先に行って仕舞った。
(もー…帰る場所は一緒なのに)
やれやれと苦笑を浮かべながら、佐助はゆっくりと後を追った。
コンクリート整備された、慣れた道を歩きながら、奇妙な感覚に囚われた。
(戦の音が聞こえる…)
ふら、と視界が揺れて、走馬灯の様に映像が流れた。
倒れた人、人、人、ひとひとひと
閃光、怒号、笑顔、赤───
「───っ」
幻覚幻聴そう全て終わった事じゃないか。
真田幸村を亡くしたあの夏、佐助の世界は終息した。
紅蓮の鬼と呼ばれた兵は、日本一の兵として強烈な爪痕を後世に残した。
そして、佐助の裡(なか)にも。
幸村自ら「最後の戦」だと言っていた戦。
悔いは無い、と笑って───生きて帰ると云う約束は絶対にしてくれなかった。
「果たされない約束は相手を苦しめるだけだ」と。
子供の様に嫌だと喚きたかったが、幸村を困らせるのが尚更嫌で。
そう、と笑って送り出した、嘘吐き。
解っていたのに。
視界一杯に広がった鮮血が辺りを埋めつくしたとき、
己が何れだけ此の腕を奮っても、何も変えられなかった無力感、絶望感───
其の時の空っぽな心を、地面に広がった赤が埋め尽くした。
(あ、やば…)
浅く成り始めた呼吸に、佐助は慌てて思考を停止させた。
紙袋を探そうとポケットに触れると、捩じ込んでいた薬の袋が音を立てた。
(……情けな)
急に現実に引き戻されて、呼吸が落ち着いた。
薬袋を引っ張り出して、セパゾンかぁ、と溜め息を吐いた。
(ま、此処最近寝てなかったし…先に色々説明しといて良かったな。)
やれやれ、と何時もの落ち着きを漸く取り戻した。
(取り敢えず…夕御飯は買ってこ。旦那怒ってるかなぁ?怒ってるよなぁ…。)
如何にして幸村を宥めようかと考えながらスーパーに寄った結果、夕御飯の材料と、無意識に和菓子を選らんでいた。
(習性って云うのかな)
膨らんだ袋に、思わず苦笑した。
「───さすけ」
「え?」
顔を上げると、俯いた幸村が立っていた。
「なっ…、旦那?如何したの?」
慌てて駆け寄ると、すまぬ、と消え入りそうな声で呟いた。
「…如何して旦那が謝るのさ。」
「俺が、…俺が悪いのだ。」
今にも泣き出しそうな声に、佐助は戸惑いつつも、
「えーと、…取り敢えず歩こうか」
と歩き出した。
「んで、如何して旦那が悪いなんて言い出したの?」
「…佐助が言いたがらないのは、大抵俺絡みだからな。」
俯いた儘呟く幸村に、佐助はガシガシと頭を掻いた。
(ありゃりゃ。…嘘は吐きたく無いんだけどなぁ…。)
「……えーと…」
考えを巡らせる佐助を、幸村は制した。
「無理には聞かぬ。佐助がそうも悩む事ならば、其れなりの理由が有るのだろうからな。」
「……ごめん」
嗚呼こんなに気を使わせて居たのか、と思い、言葉も出なかった。
「───あっ、」
突然声を上げた幸村に、びくりと身体を強張らせた。
「な、何?」
あわあわと視線を泳がせる幸村は、本当にしまったと云う表情で言った。
「俺、鍵をして来なかった!」
「えっ、嘘!」
(てか此の状況下でそんなこと?!いや、大事なことなんだけどさ…)
「すまんが、先に戻る!」
「あ、うん。判った。」
慌ただしく去って行った幸村の背を暫くぼんやり見詰めていた。
風に靡く髪が、酷く懐かしくて。
再びブレ始めた視界を、頬を叩いて現実に引き戻した。
「───かみさまのいじわる」
そう呟いて、佐助は幸村の後を追って走り出した。
追い掛けられなかったあの時とは違う。
(だって、やっと、大切な人を笑って送り出さなきゃいけない時代が過ぎたって云うのに)
躊躇わせるのは、終わりの赤。
「───待ってよ、旦那」
背を押すのは、誇りの赤。
赦されるなら、少しずつ
彼の赤を───
end
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