烏‖嫉妬心ってヤツ 佐幸
「───鳥、違うな?」
「え?」
突然幸村の言い出した言葉に、佐助は呆けた顔をした。
「佐助が何時も連れて居る大烏だ。…前の烏とは違うだろう」
幸村が指した方には、此方をじっと見詰める烏が居た。
「…ああ!良く分かったね」
佐助は幸村の言葉を理解した為、のんびりと応えた。
「何を云う。顔が全然違うぞ?」
「…旦那、解るの?」
「うむ。羽根の大きさも違う。其れに…此の烏は眼が目立つな。」
仔犬を愛でるかの様に嬉しそうに笑う幸村に反して、佐助は苦笑を浮かべた。
「本当?…じゃあ、使えないね。」
殺さなくちゃ、と佐助は烏に苦無を向けた。
「な、何を!」
幸村は慌てて佐助の手を掴んだ。
「殺すのか?…お、俺の所為なのか?」
あわあわと幸村は視線を泳がせる。
「いや、旦那。…───からすって漢字解る?」
「解る。烏だろう?其れぐらい知っておる。」
ムッとした様に幸村は佐助を見上げた。
「じゃあさ、とりとからすの漢字の違いは?」
「烏は棒が一本無い」
「正解。」
良くできました、と茶化す様に頭を撫でた。
「其れが何なのだ?」
ムスッとしながらも振り払う事はせずに幸村は言った。
「ん、烏はね『眼が無い』鳥だから、棒が一本無いんだよ。つまり、眼が有っちゃ駄目なの。」
佐助は烏を喚び、腕に止まらせた。
「あ、でも潰すって訳じゃ無くて、目立つ目立たないっていうのは有るんだよねー。」
かぁ、と烏が鳴くと、佐助は羽根を撫でた。
「───そ、そんな理由でござるか」
眼、が理由で。
あっさりと鳥は殺されてしまうのか。
「そんなって…ちょっとぉ、俺様みたいな陰術派には結構死活問題なんだけど…」
矢張り苦笑を浮かべ、佐助は苦無を下ろした。
「前のヤツはね、鳥遁の術に失敗して死んだんだ」
そう言いながら、ぱさぱさと羽根を小さく動かす烏を、優しく撫でて宥めた。
「…、そうか」
「月夜でね、黒が綺麗過ぎて、色が浮いちゃったんだよねー。流石の俺様も焦った焦った!」
と佐助は何でも無いことの様に笑った。
「佐助は…平気だったのか?」
「んー…まぁね。」
「嘘を吐くな。何処だ?」
少し厳しい表情をして、幸村は佐助の腕を引き寄せた。
「嘘って…あー、あの、少し脚切っただけですよ。」
忍の怪我は武士と違い、決して勲章には成り得ない。
寧ろ己の無能さを痛感させられるモノに他ならない。
故に佐助は何時も怪我を隠したがった。
「だから、ね。些細な事が結構死活問題なの。」
早く会話を切り上げたいとでも云うように、佐助は、ね、と笑った。
「そう、か。ならば…───仕方ないな。」
そう言うと、幸村は佐助の手から苦無を奪い、あっと言う間に烏の首を貫いた。
「わ、」
苦無を引き抜くと、吹き出た烏の血が降り掛かった。
「烏より佐助の方が大切だ。使えぬのならば、可哀想だが仕方がない。」
幸村自身も烏の血を浴びながらも、微動だにせずに只困った顔をした。
「あー…付いちゃいましたね」
絶命し、掴まることが出来なくなった烏の身体を抱き、佐助は手拭いで幸村の顔を拭いた。
「む。…烏は庭に埋めてやれ。」
幸村は苦無を握り締めたまま、大人しく顔を拭かれていた。
「そんな事より、旦那。早めに着替えて下さいよ?シミに成っちゃいますから。」
「うむ」
幸村は自身の身体に飛沫した血痕を見て、微苦笑を浮かべた。
「また、海六に怒られて仕舞うかも知れないな」
「若し怒られたら、一緒に謝ってあげますよ」
ぽた、と烏の血が腕を伝い垂れてきて、佐助はハッとしたように幸村から身体を離した。
「ありゃ、…結構付いたな」
腕に抱いた烏に向かって溜め息を吐いて、「じゃ、」と歩き出した。
「流石にその辺に埋めるワケにはいかないんで」
ひらりと塀の上に飛び乗って、幸村の方を振り返った。
「ちゃんと着替えて下さいよー?」
「佐助こそ!確と弔ってやるでござるよ!」
「はーいはいっと」
クスクスと笑って、佐助は塀の外に降りた。
そして、ぽたぽたと赤い道標をつくりながら、佐助はなるべく山の方へ入っていった。
(あぁ、あかい、あかい)
腕の中で体液を失っていく烏を見ながら、佐助はぼんやりとした感覚の鈍磨を感じた。
(羨ましいなぁ)
ぴたりと足を止めて、呆っと立ち尽くしたと思いきや、
ぶつり、
と、烏に付けられた苦無の傷口に指を突き立てた。
(こいつは、旦那に殺されたんだ)
生温い烏の体内を指先で掻き回し、何処の部位かも解らない肉塊を引っ張り出した。
(羨ましい)
そして、徐(おもむろ)に其の死肉を、食んだ。
血の滴る生肉を二三回食み、何の躊躇いもなく其れを燕下した。
(旦那に殺してもらえたお前が、羨ましい。)
口中鉄錆の味で、迚も美味しいとは言えないものだったが、佐助はにぃ、と口角を上げた。
(仕方無い。仕方無い、か。───ああ羨ましい)
べったりと服に滴った血に構うこともなく、佐助は烏の身体を強く抱き締めた。
* * *
佐助が行ったのを確認してから、幸村は血に濡れた苦無を見つめた。
(鉄錆臭いな…)
服に降り掛かった血をごしごしと擦ってしまい、余計に痕を広げて仕舞った。
(ああ、怒られるな)
むーと少し唸り、直ぐに「海六、」と名前を呼んだ。
「海六、海六は居らぬか?」
幸村が呼ぶと、直ぐに天井裏から降り立った。
「はい、───って何してんすか!」
幸村の戦場に行ったかの様な出で立ちに、悲鳴に近い声を上げた。
「む。付いた。」
「あ、あぁ。幸村様のじゃないんすね。」
ホッとしたように海野は視線を降ろし、苦無を見てもう一度表情を強張らせた。
「其れ……長の……」
明らかに凶器だと解る其れに、海野はまさかと視線を泳がせた。
「ん?…ああ、そうだ。」
「何、したんすか?」
海野は自分の手拭いを渡し、苦無を受け取ろうとしたが、幸村は小さく首を振った。
「佐助の烏を殺した。」
「からす、っすか?又如何して…」
「役に立たぬと言っていたからだ。」
ごしごしと手を拭きながら歩き出した。
「其れだけっすか?」
早くも酸化を始めた血は膚にこびりついていた。
「そうだな……」
爪に入り込んだ血と格闘しながら、幸村は少し考えた。
「佐助の腕に留まって、撫でられているのを見たら、急に……殺めたくなった。」
何故だろう、と小首を傾げた幸村に、海野は言葉を詰まらせた。
(其れ、嫉妬ってヤツなんじゃ)
「何故だろうか、なぁ、海六」
急に話しを振られ、
「あ、う…なんででしょう、ね」
と、ぎこちない返事しか出来なかった。
そうして居るうちに何時の間にか幸村の自室の前に着いており、海野は足を止めた。
「───そうだ。海六、此の苦無の事は内緒にしていてくれないか?」
「へ?」
きょとんとしていると、丁寧に手拭いで包み込んだ苦無を握り締めていた。
「欲しいと言ってもくれないからな。忘れて仕舞って居ることを祈るでござるよ。」
手の中で苦無いを弄びながら、幸村はちらりと海野を見上げた。
「お───俺は、構わないんですけど…」
幸村の頼みを断われる訳もなく、海野は頷いた。
「良かった。…佐助が帰ったら知らせてくれ。」
「はい」
ふふ、と幸村は笑って、自室に入った。
(早く、帰って来い)
楽し気に笑う幸村は、のんびりと服を脱いだ。
(さすけ、)
幸村は、嫉妬と云う感情を知らぬまま烏を殺した。
触れられるのも、触れるのも自分だけで良いと云う無意識の行為。
(はやく、俺の側に戻って参れ)
純粋な迄の独占欲。
無垢な嫉妬心。
其の感情に触れるのは
只墨を含んだ様に黒い黒い
烏だけだった
end
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