狂おしく、‖裏切り佐助と松永 佐幸
前を走る旦那の背中
愛しくて仕様が無くて
だから、如何しても欲しくて
狂おしく、
松永軍との交戦中、一番駆けをする幸村の後ろには、当然の様に佐助が居た。
「松永殿、御覚悟召されよ!」
追い詰めた昂りからか、幸村の眼は輝いていた。
「やぁ、卿を待って居たよ」
紅蓮を纏いながら突進する幸村に、避ける気配も見せない松永。
「?!」
幸村は一瞬怯んだが、迷わず突っ込んで行った。
「御首頂戴致す!」
真っ直ぐ急所に伸びた槍は、寸での所で弾かれた。
「っ……!?」
避けられるとは想定していたが、あの角度から弾かれるとは思って居なかったので、幸村の身体は思いの外後方に飛んだ。
体制を立て直し、正面を睨み付けると、其処で松永を背に此方に刃を向けていたのは───
「佐助…?」
其処には大型手裏剣を構えている佐助が居た。
幸村の槍を弾いたのは佐助だったのだ。
「さ───佐助、何をしている!退け!」
ひやり、とあれだけ昂っていた頭が冷めた。
「退け!佐助っ…!」
悲鳴の様に叫ぶ幸村に、松永は酷く愉快そうに笑った。
「卿は解って居るはずだ。此れは───」
「佐助!」
聞きたくない、とでも言う様に幸村は叫んだ。
しかし松永は続けた。
「此れは裏切りだと」
「……」
佐助は何も言わずに静かに幸村を見据えていた。
「佐助…真か?真なのか?!」
上気していた膚も、今は蒼い。
「……ごめんね、旦那…」
幸村は一瞬理解出来なくて、動きを止めた。
「何故…だ」
呆然としていて、怒りさえも湧かない様だ。
「俺様さ、旦那が教えてくれたみたいに、もっと自分の為に生きてみる事にした」
忍らしくもなく、何時もの様に笑っていた。
「…其れが、真田に、否武田に刃を向ける事か!」
幸村の声は、僅かに震えていた。
「ううん、あ、でも結果的にそうなったから、そうなのかな」
幸村が声を震わせるときは、何時だって佐助が宥めたと云うのに。
「さぁ、忍。卿の好きな様にしたまえ。今此処で潰すも良し、絶望を長引かせるも良し。」
松永は刀の柄(つか)に手を掛けながら言った。
「───佐助…っ!」
幸村は、佐助に向かって精一杯手を伸ばした。
戻って来い、と。
「………ごめんね」
全てを振り切る様に佐助は踵を返した。
「絶望を長引かせる、か。いやはや卿も思ったより残酷だな。」
「……今の俺様には未だ、」
「卿は未だ抑圧しているのだ。そんなもの、時間をかけて壊せば良い。」
「了解」
忍の裏切りは万死に値する。
幸村が、情報の漏洩を防ぐ為に佐助を殺さなければいけない。
真田の為に、武田の為に。
其れでも、幸村には其れが出来なかった。
「───じゃあね、旦那」
佐助と松永は、一陣の風と共に消えた。
「卿は奇特な忍だな。全く人生は此れだから面白い。」
ゆったりと西洋椅子に背を預けて、足を組んだ。
「面白がるのは勝手だけどさぁ、……」
ふ、と幸村の表情を思い出して、言葉を切った。
「旦那のあんな顔、初めて見たな」
佐助は高名な壺やらが入って居ると言う箱の上に座り込んだ。
「後悔でもしているのかな」
下らない、と続けようとした松永を遮って、佐助は唇の端を歪めた。
「あんな顔、させたと思うと、───」
くく、と嬉しそうに笑う佐助は、明らかに愉しんでいた。
「あ、言っとくけど、俺様あんたの為に武田の情報は流さないよ。」
佐助はパッと顔を上げて、あっけらかんと言い切った。
「何、構わないよ。口頭の情報程不確かなものはない。」
松永はクツクツと抑えながら笑った。
「…俺様からしたらあんたの方が変わり者だけど」
第一愛でるでもなくこんなでかい壺、と自分の乗っている箱を指先で小突いた。
「変わり者、か。わたしは欲望に忠実なだけだ。天下にも、形ある物にも執着はない。」
「ふーん…。あ、じき俺様も裏切り者のお尋ね者だからね。あんたにも忍の攻撃があるだろうから、解毒剤くらいは渡しとくよ。」
追っ手、真田忍隊の面々の顔が浮かんだ。
佐助は顔色一つ変えずに殺されるかなぁ、と呟いた。
「お尋ね者か。卿は急いだ方が良いのではないかな?」
「別に構わないよ。俺様が殺される訳ないからね」
「大した自信だな。……そろそろ謀反の一報が入ってもおかしくない筈だが、遅いな」
「あぁ、確かに。でもまぁ、直ぐ入るでしょ。なんてったって俺様の裏切りだからね」
佐助はぐっと身体を反らして、あははと笑った。
しかし、待てども謀反の一報はどの国にももたらされなかった。
「───おかしい。俺様抜けたら結構被害有ると思うんだけどなぁ。」
しかし一切の情報はない。
「…そう云えば、甲賀からの刺客もない」
まるで謀反事態が無かったことにされている様だ。
だが真田の忍が異様なまでに活発に動いていると云うことは伝えられた。
「ふむ。…真田幸村が意図的に情報を漏らさないとして居るならば…」
松永は珍しく少し考え込んで、
「依存」
と呟いた。
「……依存?何に対して?」
いぶかしむ様に佐助は首を捻った。
松永はカチリ、と音を立てて緩やかな動きで畳の上を徘徊した。
「勿論卿に対して、だ。」
「───…っは、其れは無いでしょ」
自嘲気味に佐助は笑った。
「何で旦那が?俺様裏切ったんだよ?」
旦那が欲しくて、と小さく呟いた。
「卿達は奇妙な形で依存しあっていたのかも知れないな」
「止めてよ。……嬉しすぎる。」
あんなに真っ直ぐに前だけを見ていた主が、高が一人の忍に心乱されて居るなんて。
「あー、如何しよう旦那に会いたい」
どんな顔をしているのか、どんな顔をするのか。
「欲しいなら奪って仕舞えば良いのだ。禁欲的な事は全くつまらない。」
「あんたが言うと説得力あるよ」
執着はないみたいだけど、と言って柱に身体を凭れかけさせた。
「浚って、みようかな。旦那怒った顔も可愛いからなぁ。…でも旦那のことだしな、殺されるかもな。」
佐助は歪む口角を隠そうともせずに笑った。
「其れさえも楽しむ、か。」
松永は感慨深気に頷いた。
「俺様が欲しいのは旦那だけだからね。」
小さく笑って、佐助は立ち上がった。
「───駄目だ、待てない」
「浚うのか」
「欲しいんだもん、仕方ないでしょ?」
そして佐助は、ぽん、と軽く小さな巾着袋を放った。
「甲斐忍者の毒消し。此れで今回の貸し借りは無しだ。」
「ふむ。まぁ良いだろう。」
巾着を受け取り、大切にしよう、と冗談めかして言った。
「若しかしたら、───毒かもね。俺様旦那以外にホントの事なんて言わないから、さ」
くるりと振り返って、小さく笑った。
「忍の嘘とは洒落にならないな。用心しよう。」
松永の言葉を聞くなり、佐助の姿は闇に沈んだ。
風の中を走る。
執着は、互いに異常。
甲斐への道は、酷く長い気がした。
そして、誰も居ない。
警護の者も、忍も。
不審な静けさ。
まるで誘われているかの様だ。
只、妙に血生臭い臭いだけが漂っていた。
「ただいま、旦那」
「───さすけ」
振り返る笑顔は何時もと同じ。
「遅かったではないか」
幸村は、じゃれる様に佐助にパッと飛び付いた。
「、ッ」
「待っていた、待っていたぞ」
幸村はグッと身体を押し付ける。
嬉しそうに笑う幸村に対して佐助の顔はゆっくりと引きつっていった。
「っは…、俺様、と、した、事が…ねぇ……ッ」
少し視線をずらすと、小さな合口が、柄の方まで突き刺さっているのが見えた。
「佐助?」
無邪気に笑う幸村を尻目に、指先から痙攣が始まっている。
「安心しろ佐助。深くない。それに、塗ってあるものも只の痺れ薬だ。」
す、と幸村は頬を擦り寄せて、合口から手を離した。
「はは、やっぱ、り、殺される、かぁ」
かくん、と膝を付いて、まぁ良いけど、と笑った。
「殺す?まぁ其れも良いだろうな。」
「……ぇ?」
上手く回らない呂律に苛々したが、仕方ない、と直ぐに思い直した。
「殺すものか。俺は御前を……嗚呼、効きすぎたか」
倒れ込んだ佐助の髪を優しく梳いた。
「御前に効く薬を探すのは、苦労したぞ?」
佐助は徐々に視界がブレ、焦点が会わなくなってきていた。
「だん……な……」
悪戯を諌める様に、そっと髪を撫でたが、力が入らずに、途中でずるりと落ちた。
「許す、眠れ。」
幸村がそう告げると、佐助は眼を閉じた。
(眼を開けて、喩え其処が地獄でも)
するり、と髪を撫でた手が、頬に触れ、唇に触れた。
(アンタが居れば、其れで良い)
end...
続く、かなぁ…
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