ミドリイロの闇‖佐助、旦那に出会う前
最初は猿と戯れていた丈だった。
ミドリイロの闇
鷲尾佐太夫と云う父が居た。
良く覚えて居る。
信濃の鳥居岬が郷士。
いろんな意味で大きな人だった。
───きっともう、殺されて仕舞っただろうが。
其れでも、白雲斎様には感謝してる。
猿と戯れていただけなのに、俺を育て上げてくれた。
新しい名前も。
戸隠流ではなく、甲賀流の忍術を叩き込まれる日々は、
正直言って楽しかった。
只、人間を殺すと云う事は頭ではわかって居たが、感覚として、
全くわかって居なかった。
突き刺す時は骨が引っ掛かり、刃零れする。
切り裂く時は皮膚が引きつれて刃が鈍る。
下手をすれば暴れるし、喚く声も五月蝿い。
血は生臭くて、脂は刃を腐食させる。
何より、人間の臓物は───醜かった。
(怖くない、怖くない)
きつい臭いと、固まった指。
酷い吐き気に、堪えきれずに吐瀉した。
「───恐れるな」
黒い影が、血溜まりの中を音も立てずに向かって来た。
「は、…い」
視界が揺れて、全てが曖昧になった。
「痛いか?」
「はい」
「怖いか?」
かちかちと苦無が震え、僅かに逸れた注意によって無数の傷を負った。
「…はい」
「全て忘れて仕舞え」
「───…?」
「痛みは何処から来る?本当に痛むのか?如何して痛む?考えて───そう思う心を忘れて仕舞え」
「…はい」
(痛く無い、怖くない)
鮮血に視界を奪われても、音だけを頼りに切り捨て続けた。
「御前には才能が有るな。躊躇いも無く、正確だ。」
「…どうも」
人を殺せば誉められた。
もっと誉めて欲しいと思ったが、
やがて其れも無駄だと気付いた。
そうして、ある程度育った身体で、夜伽の術(すべ)を学んだ。
(ここを舐めて、あっちを撫でて。ここを攻めたら)
どろりと赤いものが腕を伝った。
(殺す───)
男も女も、似たようなものだった。
内臓は殆んど変わり無い。
殺せれば其れで良い。
気持ち良ければ其れで良い。
蓋をした心は錆び付いて、開く事は無くなった。
「佐助、御主辛いか?」
「…いいえ。」
「そうか。出来た忍びに育ったな。」
「有り難う、御座います」
にっこりと、笑った。
皮肉でもあったし、笑えば嘘も補える。
凄いでしょう。俺。
此の儘こうして生きて行くのも悪くない。
「───佐助、御前は何処に行く?」
遠くを見詰めながら、かすがは呟いた。
「何処って…何が?」
「私達は戦忍だ。いずれ主に仕える事になるだろう。」
「あぁ…。何?俺様と離れるのが寂しいの?」
へらっ、と笑って見せるが、かすがは一瞥して再び遠くを見詰めた。
「私には御前が嘘吐きなのが分かる。だから止めろ。」
「ふーん…何の事だか…」
「…乱世に生まれた事を恨め。私達は主の為に、死ぬんだ。」
「…甘いなぁかすがちゃんは」
「っ何がだ!?」
ふわりと赤毛が風に揺れた。
「主の首、獲っちゃえば俺達自由じゃない?」
「…何を───」
「俺様優秀だから。主が弱かったら殺しちゃうかもよ」
「っ…」
「かすが、俺達次に会う時は敵だな。」
「あぁ…其れが運命だ」
「じゃ、又会う日まで」
「ふ、御前には会いたくないな」
「酷っ」
「さらばだ」
「ンじゃな」
視線を交わす事無く、互いの闇に消えた。
(主ねぇ…誰でも良い)
適当に仕えて面倒に成ったら、殺して仕舞おう。
指先で鋭い大型手裏剣をなぞった。
「さぁーて…」
殺しますか。
月光に照らされて、生死さえも曖昧に成る忍の時間。
(もう痛く無い)
闇の喰い方を知った。
今は闇しか
無い
end
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