接近04
委員会は明日から。ある程度は結束を固めたほうが良いのかもしれない。名簿で古畑さんの下の名前も確認した。沙夜というらしい。
「サヨちゃんって呼んでいい?」
そんなわけで次の日の昼休みも、また僕達は裏庭で弁当を広げていた。今日はジュンも一緒だ。これ以上はボーカル無しに進められないと嘆いていた。
古畑さんはびっくりしたのか目を見開き、その瞳に僕を映してから首を横にぶんぶん振った。そんなに嫌なのかな。僕はかなり焦った。
「ご、ごめんね。嫌ならいいんだ」
古畑さんはなにか言いかけたけど、口からは相変わらず言葉が出てこない。ジュンが僕の弁当箱から勝手にミートボールを持って行った。気付いた頃には奴の口の中だった。
「ミナトが女の子と一緒にいるのって、なんか変な感じだよな」
僕はジュンの弁当箱からコロッケを盗みだすことに成功した。ジュンが気付いた頃には口の中だった。これでおあいこ。
「なぁフルっち。ミナトが三年間、女の子と話してたのを見たことがあるか?」
「ちょっと待て」
古畑さんはまた首を横に振った。今度は柔らかく笑みを浮かべながら。今は夏だというのに、心なしか桜でも咲いたかのように思わせられた。
「確かに女の子となんて喋ることはそんなにないけどな。これから一緒にやってく子なんだから、親しみを込めてって思ったんだよ。てかフルっちなんだよ」
「そう一気に言うなって」
あ、唐揚げ盗られた。一番最後に食べようと思っていたのに。卵焼きを盗ろうと箸を伸ばしたが、見事に阻止された。おまけに箸を落としてしまったではないか。ちくしょう。
「まぁいいんじゃないの? 親しい人が増えるってのは」
その通りだよ。その通りだからこそ、親しみを込めて下の名前で呼ぼうと思ったのだ。でもさん付けじゃよそよそしいかなと思って、ちゃん付けで。女の子の下の名前をいきなり呼び捨てに出来る勇気なんてないし。
「でもミナトが女の子ちゃん付けはなんかやらしーや」
「じゃあなんて呼べば良いんだよ。古畑さんじゃちょっと他人行儀じゃないか?」
ティッシュで箸を拭きながら聞くと、ジュンはチッチッチと指を振りながらニヤニヤしていた。
「だ、か、ら、古畑さんだからフルっちだよ。良いだろ?」
突然話を降られて(まぁ古畑さんの話だから降られて当然かもしれないけど、それにしても唐突に話を降られて)、古畑さんは少しびっくりしたのだろう。ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「よっしゃ! 俺はジュンで良いから。んでこいつはミナトって呼んでやってくれな」
僕なんかと組むより、やっぱりジュンと実行委員をやったほうが良かったんじゃないかと思った。ジュンは部長だから無理なんだけど。
悔しい。心がモヤモヤする。
古畑さん、いや、フルっちと仲良くなりたくなった。頭の中ではまだ、さっきの桜は満開だった。
いよいよ委員会当日、フルっちと迷子になりながら、無事に時間通りに委員会が行われる教室についた。書道室なんて全く使わないから存在すら知らなかったけど、頻発に使うパソコン室の隣りにあった。フルっちを連れて学校中を三周くらいしてしまったじゃないか。
「ごめんね。始まる前から疲れさせちゃって」
フルっちは手で口元を押さえながらくすくす笑った。くすくす笑う声。それだけでも、僕は初めて聴く彼女の声に、じわりと感動した。迷子になって良かった。木の葉が風と戯れるような、そんな笑い声。とても可愛らしい。ううん、それより。
「……声、初めて聴いた」
綺麗だよ。風に揺れる花みたいだ。
言いかけて、やめた。本当にそう思いはしたけど、なんだかキザったらしくて僕の言う台詞ではないように思えた。どっちかと言うと、これはジュンの台詞だな。
だけど、本当に言わなくて良かったと思ったのは、顔を真っ赤にし、体中を強張らせて俯いてしまったフルっちを見てからだ。
「あ、ごめん、ごめんね」
「……ち、が」
「んぇ?」
びっくりした。お陰様で変な声が出てしまった。まさか返事が返って来るなんて思わなかった。
彼女はこれまでの三年間で一度も誰とも口を聞いていなくて、小学生の頃も何も一言も喋らなかったって話を、噂だけど聞いてて……。
家ではどうなのかとか、学校の外ではどうなんだとか。詳しくは分からないけど、とにかく僕は胸が暖かくなったような、宙に浮いてしまいそうな、そんな気分だった。
「ごめんね、ごめん。だけど、その……せっかくだからさ」
「うぁっ、や、その……あぅ……」
手をばたばたさせながら、必死になにかを伝えようと口を動かしている。小さな赤ん坊が、まだ喋れもしないのに言葉を発しようとしている、そんなような動作。鼓動は高鳴る一方だ。僕まで、なにをどう言えばいいのか分からなくなる。だからとりあえず、一言だけ。
「ありがと、ね」
「……こちら、こ……そ」
少しだけ、いや、かなり距離は縮まったんじゃないかな。僕が嬉しくて手を差し出すと、フルっちの白くて華奢な手のひらが乗せられた。そのままそっと握る。壊れてしまうんじゃないかと思うほど、小さくてほんのりと暖かみを持っていた。
END
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