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残酷な言葉

 何時間も電車に揺られてやって来た場所は、金色の十字架を掲げる小さな教会だった。嘗ては美しく輝いていたであろうステンドグラスは、今ではもうその殆どが割れてしまって、無惨に土の上に散らばっている。砂にまみれた硝子片は既に色を失いかけ、ただただ土と化すのを待つばかり。最早教会と言って良いのか判らない程の朽ちようだったが、屋根の上に立てられた巨大な十字架が辛うじて教会としての体面を保っていた。
 嘗ての栄光、嘗ての力。何人もの人々を救ってきたであろう神聖な場所。少年は今は無き光に思いを馳せ、そこに自分の姿を重ねる。生ぬるい風が頬を撫で、呪いの様に肌に絡みつく。馴染みのない風貌に漂う不気味さが、やけに背筋を凍らせた。


「儀式をしよう」
 重苦しいその場所で、一番最初に正臣を出迎えたのは、教会という場所には不釣り合いな闇を抱えた男だった。けれど何故だろう、この寂れた風景には、彼の纏っているような退廃的な色がよく似合っている。軋む床を踏みならし、欠けたマリアの顔の前で笑う様が、とてもその場に溶け込んでいたのだ。

「俺はね、神様って信じてないんだ。けど、格式張った儀式ってのは嫌いじゃない。なんでだかわかるかい?」

 突如、容赦なく突き出された言葉。厳かに響く声を前に、正臣は口を閉ざした。そうして考える。投げられた問いの答えを導き出す為ではない。ただぼんやりと、自分が今立っている場所について思いを巡らせているだけ。どうして彼はわざわざ自分を此処に呼んだのか、この場所はいつから人の手から遠ざけられたのか。そして今、この荒涼とした場所に足を踏み入れた自分達を、どのような思いで受け入れているのか。目の前の男が鼻から問いに対しての答えなど期待していない事は、これまでの付き合いからよくわかっていた。
 束の間生まれた無言の空間のなかで、臨也は笑う。穏やかに、まるで嘗て此処に在った聖職者のそれを真似るように。

「わかり易く言えば、人間の想いが溢れているから。何を想い、何を願い、何に祈るのか。餓えたくない、幸せになりたい、或いは、死したる者に安らかな眠りを。どんな儀式も、突き詰めれば人の欲に繋がる。そんなところが好きだ」

「……」

「神がいるのかなんてね、大した問題じゃないんだよ。大事なのは、神の前で儀式をしたという事実だ。そしてそれで人々が満たされるか、それだけ。それだけの為に此処も存在していたんだろうし、それだけの為に現在でも此処に在り続ける。そう、今、俺の欲を満たす為に存在している様に」

 つらつらと並べられる理屈に、正臣は静かに眉を寄せ、不快感を露にした。何を言っているのか理解できない、そうはっきり言ってしまえれば良かった。けれど、楽しげに語り続ける臨也を見ていると、何故か言葉は出てこない。流れ出す言葉の中には、正臣の入り込む隙間さえ無いように見えたのだ。

「だから君と、今此処で儀式をしよう」

「……?」

「それを君がどう受け取るかは自由だよ。ただ、愛の証として贈られる想いを、君に贈ってみたかっただけ。これは俺の欲だ」

 そうして、ぷつん、と、流れるように響いていた言葉が途切れた瞬間。かつ、と鈍く地を蹴る音がして、正臣の視界を深い闇が覆い尽くした。
 抱き竦められた、と、やっと思考が状況に追いついたのは、耳元から直接声を流し込まれてからだ。

「その病める時も健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も――」

 逸らさぬように、逃げぬように、見た目よりもしっかりとした手のひらに頭を固定されて、正臣の瞳が大きく見開かれる。彼が言葉を紡ぐ度、その光は動揺の色に揺れて、思考はぐらぐらと風に弄ばれる振り子の様に揺れる。

「如何なる時もこれを愛し、これを慰め、この命ある限り、君に寄り添うことを誓います」

 まるで結婚式のようだ、と思った。十字架の前、二人で寄り添って、本来ならば生涯寄り添う二人が交わす誓いの言葉を聞いて。けれど此処には結婚指輪も無ければ、本来在る筈の祝福も無い。ならば、今此処で臨也が発したそれはどんな意味合いを持つのだろう。

「ねえ、君は俺の言葉を聞いて何を思い、それをどう捉えた?」

「……そう、ですね」

 正臣はゆっくりと思考を巡らす。聞かせて、と掠れた声で促す臨也に応える様に。
 長い、長い沈黙のあと。やがて正臣は、緩やかに唇を吊り上げた。割れたステンドグラスから差し込む光を眩しそうに見つめて、少しだけ笑う。そうして少しだけ身を乗り出して、臨也の耳元に唇を寄せる。


 ‘まるで呪いのように重たい、残酷な言葉だと思いました’。


 今度は、正臣が臨也に贈る番だった。




あきゅろす。
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