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1からやり直そう



「あんたなんて嫌いだ。」
吐き捨てられるその言葉は紀田正臣の紛れもない本心だ。
だけれど『嫌い』というその唇が、どうしても紡ぐ事が出来ない『好き』の二文字も、彼の心の中にしっかりあることを、折原臨也はきちんと理解していた。
そうした正臣の複雑な感情は人間として大変面白いと思うことも臨也の中で真実だったし、「嫌い」と口にする正臣の自分を責めるような、泣きそうな、何とも言えない一瞬の表情がとても愛しいと思うことも、また真実だった。




『1からやり直そう』




インターホン越しの彼の声は、いつも通り刺々しかった。
「来ました」
と不機嫌そうに一言。
そういえば昨晩呼びつけたのだった、と、たった今思い出して、だが「良く来たね、待ってたよ」と、出来る限りの優しい声で言ってから、オートロックを解除した。


臨也の前に現れた正臣は、何故か、どこか泣きそうな顔でキッと臨也を睨みつけている。
その表情は、臨也のことを嫌いだと言った後に一瞬浮かべる表情ととても似ていた。違うのは、普段は一瞬で引っ込められるその表情が今も続行されている事だ。

「ん、どうしたの、そんな顔しちゃってさ?」
「別に」

たった一言放って、正臣は顔を背ける。その姿は、今自分の前にいる人物が憎くて仕方がない、というよりはむしろ。

「何、君、拗ねてるの?何で?」
「死ね」

やはり一言。しかも死ねと来た。実に可愛げがない態度だと臨也は思う。
そんな物騒な事を言う口は塞いでしまおうか、と思ったが、
「柄にもなく…」
と、程なくして続いた彼の声に耳を傾けることにした。

「柄にもなく、悔しくなったんすよ…。」
「悔しがるのは、むしろ君らしいと思うけど。」

そう言うと睨まれたので、「はいはい黙るよ」と肩を竦めて見せた。

「臨也さん、俺を呼んだの、俺が来るまで忘れてましたよね」
「あれ、気付いてたんだ?」
「あんたが気持ち悪いくらいの優しい声を出すのは、裏がある時と、なんか、後ろめたい事がある時だけなんですよ。」

あれ、気付いてなかったんだ?
と、臨也のセリフを意識して、似たような口調で問い掛けて笑った正臣の生意気な口を、今度こそ自分の唇で塞いでやった。
驚いたのか瞳を見開いた正臣だが、キスに抵抗する気配はない。
むしろ、ぎゅっと臨也の黒いインナーを縋るように掴む手に
(俺の事、嫌いって言う癖に)
と、臨也は意地悪なことを思いながら、少しだけ開かれた唇の隙間から舌を入れて、深く貪る。
キスをするのは別に好きなことではない。
だけれど、唇を重ね合わせた後の、彼の赤くなった頬とか耳とか唇とか、潤んだ目、荒い息遣い、つまり紀田正臣のそんな姿がたまらなく

「可愛い」

と、思う。
全く、自分の方こそ柄じゃない、などと思いつつ、俯いてしまった正臣の髪を撫でてやる。

「…るさい、黙れ、死ね…あんたなんか嫌いだ…っ」

荒い息の間に震える声で紡がれる罵倒に、臨也は苦笑を漏らす。

「口の悪さは可愛くないなぁ。でも君は、俺が君を呼びつけたのを忘れていたのがショックだった。」

きっと、忘れられていた事に気付いた彼は寂しかったのだ。そして悔しかった。

「そうだろう?」
「…まぁ…俺ばっかり、臨也さんに振り回されて、でも臨也さんは俺を呼んだこと忘れてるし、じゃあ来なくて良かったのかと思うと、無性に腹が立った事は事実です。」
「で、あんな態度だった訳ね。」
「俺は折原臨也が誰より嫌いなんです。それは、間違いない。」
「酷いなぁ」

正臣の嫌悪に対して、心にもない感想を述べると無言で睨まれた。

本当に、この子供は人間らしくて可愛い。
折原臨也は人間が好きだ。中でもこういった、無駄に思考し、結局矛盾した自分の考えに悩み、また思考する、悪循環の化身のような人間が気に入っていた。

(しかも、この子はなかなか賢いしね…)

考えて、やはり自分はこの紀田正臣という存在を、人間の中でも、取り分け愛しいと思っているのだと実感した。
だが、人間という種族を愛している折原臨也として、一人を贔屓するのはどうだろうか。なんて、そんなどうしようもない疑問が生まれて、やはり自分も止めどなく思考する人間の一人なのだと思い知る。

「ねぇ、俺のことが大嫌いで大好きな君の、その人間らしい矛盾が俺は好きだよ」

だから、あくまで人間らしい矛盾が好きなのだと、少しだけ濁して告げる。

「…うるさい。それから、知ってると思いますけど、俺には君じゃなくて紀田正臣っつー名前がちゃんとあるんだから、『人間らしい矛盾』じゃなくて『まさおみくん』が好きって言ってくれてもいいんですよ。」
「………全く、君ってば、気付かなくて良いことはちゃんと気付くよねぇ…」


この時、ニヤリと笑った正臣に、こんな子供ごときに…、と、少し悔しくなったので、

「ああ、なんだ、君、俺に好きって言って欲しいの?」

と、大人気ないことに、半分以上悔し紛れに問いかければ、

「…そんなこと…絶対ない…やっぱり臨也さんは死ねば良いんです…」

と、途端に顔を赤くするものだから、あっという間に精神面での形勢が逆転した。
気を良くして臨也は続ける。

「言って欲しいなら言ってあげるよ。ただ、俺だけじゃ不公平だろう?君が、臨也さん大好きって言ってくれるなら、ね、どうかな。」

別に、こっちは特別言って欲しいわけではないけれど。
今まで、絶対に言わなかった『好き』を口にする瞬間、この子が浮かべる表情をとても見たいと思った。

「そうだ、素直じゃない君が言いやすいように、最初からやり直そうか。」
「…どういうことっすか?」

一歩後ずさる正臣を、臨也は一歩前進して追い詰めて行く。

「もう一回キスしてあげるからさ、今度はキスの後に『嫌い』じゃなくて『好き』って言ってよ。」

そう言ってから唇を奪う。そうしてすぐに離れて促す。

「さぁ、やってご覧。君は?俺のこと?」
「誰が言うか…っ」

予想通り、あくまで反抗の姿勢を取る正臣の耳元に唇を寄せて

「君が言ってくれたら、とびっきり優しく抱いてあげる。折原臨也らしくない、君だけのために愛の言葉なんて囁いてさ。」
「……気持ち悪いっすね」
「でも、悪くないだろ、ねぇ、正臣?」

囁いてやれば、息を呑む気配がした。
果たして、この賢くて可愛い子供は、あとどれ位で陥落するか。

悔しそうに、だが、自ら臨也の首に腕を回して抱きついて、「嫌い」と一言呟いた正臣のそこに、臨也は再び自らの唇を押し付けた。

「不合格」
「…やっぱ死ねよ、あんた」



end





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