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嘘吐きの君

「シズちゃんにまた遭っちゃったよ…」

そう言いながら帰宅した臨也は、傷口から血を滴らせていた。
臨也の自宅に住み込んで働いている正臣は、その姿を見て様々な衝動に駆られた。



嘘吐きの君



「それでね、シズちゃんはそれ以来俺のこと見掛ける度に暴力振るうようになっちゃってさ」
「思いっ切り自業自得じゃないっすか」

消毒液が傷口に触れる度に、臨也は痛そうに顔を顰めた。
だが口調は至って楽しそうで、正臣はマゾですか、と毒づいた。

「そう言われちゃうと何にも言い返せないよね」
「自覚あったんすか、驚きました」

正臣は何となく理解していた。
臨也が楽しそうなのは痛いからなんかじゃない。

「あのねぇ…」

毒を吐く正臣に、臨也は苦笑いで返す。
その笑い方を見た正臣は、なんとなく居た堪れなくなった。

臨也はすぐに話を戻した。

「…シズちゃんの暴力って理不尽だよね」
「…そっすか」
「うん。理不尽でしかも加減が出来ないってどういうことだし、本当」

先程までの苦笑いは、またも楽しそうな笑顔に変わった。

自分の推理は恐らく合っているのだろう。
正臣は自虐的に笑うと、手当てを終え、そのまま玄関に向かった。

「…?どっか行くの?」
「…臨也さん」

臨也が楽しそうなのは。

「…あんたなんか、大嫌いだ」

静雄が好き、だからだ。

「さよなら」

バタン、とわざと大きな音を立て、正臣は臨也の自宅を後にした。
直前に臨也の驚いたような顔が見えた気がしたが、正臣はどうでもいい、と割り切った。

--------

音信不通。

二人の間では無縁な言葉だと思い込んでいた。

臨也は正臣という駒に、異常なまでの愛着を持っていた。
そして、そんな正臣も密かに臨也に対する恋心を持っていた。
お互い言うことは無かったが、二人は暗黙の了解的に「両思い」という関係だった。

あの日から二週間が経っていた。
携帯電話は一週間もの間、臨也からの着信を告げていない。

最初の一週間、正臣の携帯は臨也からの着信を絶え間なく告げていた。
しかし、正臣は出なかった。

そうしているうちに、正臣と臨也の間には、いつの間にか不在着信という繋がりさえも消えてしまった。

自分は相当怒っていた。
いや、意地になっていた。

臨也が静雄の話をするのは当たり前じゃないか。
二人は何か特別な絆で繋がっている気がする。

(本人達が聞いたら怒るだろうけど)

要するに、嫉妬だ。
自分たちには暗黙の繋がりしかない。言葉などなかった。

そして今、自分から繋がりを絶ってしまった。

正臣はため息をつくと、携帯電話を開いた。

アドレス帳。
震える指である名前を探す。

「折原臨也」

ピッ。ピッ。
断続的な操作音。

画面に臨也の電話番号が大きく表示された。

あと一回押せば。

しかし、正臣は親指でそっと電源ボタンに触れ、携帯電話を閉じた。

正直言って怖かった。
何て言えばいいのだろうか。

自分は勝手に嫉妬し、恐らく臨也を傷つけた。
許してもらえるのだろうか。

もし、許してもらえなかったら、俺は。


俺は。


気が付けば、正臣は街の中を駆けていた。

--------

臨也の自宅マンション。
正臣は臨也にもらった合鍵をポケットから取り出すと、鍵穴に触れた。

鍵に付いた「M☆S」と彫られたキーホルダーがカチャリと鳴って、正臣の心臓は呼応するように大きく動いた。

そして意を決したように勢いよく開錠した。
否、鍵は開かなかった。

「…え…?」

そういえば、いつもと手の感触が違う気がする。

これは。

「…鍵、変えられた…?」

正臣はその場に崩れた。
そして、ポロポロと涙を流し始めた。

「…臨也さ、なん、で…」
「邪魔なんだけど」

背後から聞きたかった声が響く。

しかし、声は確かに愛しいものだったが、声色は全く違った。
自分が求めていた声じゃない、言葉じゃない。

反射的に振り向いた正臣を、冷たい目が見下ろした。
そして乱暴に蹴り、正臣をドアの前からずらした。

「あ、あの、臨也さ、」

ガチャ。

「…いざ、」

バタン。

「…や、」

臨也は正臣の声を無視し、ドアを開いて部屋の中に入ってしまった。

「や、やだ、」

ガチャ。

「…あ、や、」

中から鍵を動かした音がした。
正臣の体内を、恐怖が支配した。

恐怖。恐怖。

正臣は慌てて起き上がると、ドアを強く叩いた。

「臨也さ、聞いて、ください…!」

涙は勢いを増した。
言葉も自然に途切れがちになる。

ガンガンガンガン。無機質な扉が悲鳴を上げる。

ご近所の方々はさぞかし迷惑だろう。

しかしそんなことはお構い無しに、正臣は扉を叩き続けた。
正臣の理性が少しでも残っていたなら、インターホンを使っただろう。

「臨也さん、い、ざやさ、…」

忙しなく動かしていた手を止め、正臣は泣き崩れた。

恐怖、絶望。

「うあ、あ…い…」

もう、遅かった。遅かったのだ。
正臣は涙を流し、コンクリートがぽつぽつと色を変えていくのを見詰めた。

臨也に嫌われるのが、こんなに辛いことだったなんて。

正臣は強く後悔した。

嫉妬したのは仕方ないと思う。
臨也のことが好きで好きで仕方ない。だから、嫉妬してしまった。

そうじゃない、悔やまれるのはそこじゃない。

臨也は確かに自分を愛してくれていた。
信頼してくれていた。

臨也は信頼のない人間に傷の手当てを頼む人間ではない。
好きでもない人間を住み込みで働かせる人間ではない。

愛していない人間に愛を囁く人間ではない。

愛していない人間に合鍵を渡したり、しない。

鍵は変えられてしまった。
自分は臨也の私空間に入ることが出来なくなってしまった。

それは、つまり。

絶望、絶望。

しかし、その時。
カチャリ。正臣が絶望の底に落ちる直前、目の前の扉が音を立てた。

「…え?」
「近所迷惑だよ…取り敢えず中、入って」

本当に迷惑そうな顔をした臨也は、正臣を中に招き入れた。

--------

ぎくしゃく、そんな表現が今の正臣にはぴったりだ。
先にスタスタと部屋の中に入って行った臨也を、正臣が後から追った。

しかし二人とも、一言も言葉を発していない。

(取り敢えず、すぐ謝らなきゃ)

恐らく仕事をしていたのだろう、臨也は部屋に入ると付けっぱなしだったノートパソコンに向かった。
背を向けるように、臨也は椅子に座った。

「、あ、あの、臨也さん」

正臣はぎゅっと拳を握ると、臨也の名前を呼んだ。

「…」

返事はなかった。
代わりにキーボードの音だけが部屋を支配した。

「…、怒ってるんですか」
「…」
「あの、俺、悪かったです」
「…」
「無視して、ごめん、なさい」

一向に返事は無かったが、それでも正臣は臨也に話を続けた。

「いざ、や、さん、俺、でも俺、」
「…」
「嫌、だったんす、よ」

正臣は液晶に向かう臨也の背中を見詰めながら、ぽろぽろと泣き出した。

「あんた、が、静雄さん、の話、楽しそうに、する、か、ら」
「…俺がシズちゃんの話をするなんていつものことじゃん」
「…!…そ、れは、そう、だけど」

やっと口を開いた臨也に、正臣は若干喜びを感じた。
しかしやはり怒っているようだった。

「…臨也、さん、が、笑ってた、から」
「…?」
「あんた、が、楽しそうに、笑ってた」

正臣は臨也のすぐ後ろまで歩みを進めた。
そして、くるくる回るタイプのその椅子を、自分の方に向けた。

そして両手で臨也の両頬を押さえ、目と目を合わせた。

「まさ、」
「あんたが俺と話すとき!苦笑いや愛想笑いしかしない癖に!」
「…正臣くん、」
「嫉妬ですよ!嫉妬したんですよ!」
「俺はいつでも君を愛してるって、思ってるし」
「足りない!」

一際大きな声を出した正臣に、臨也は僅かに瞠目した。
正臣の目からは止め処なく涙が溢れていた。

それでも、ただただまっすぐに臨也を見詰めていた。

「足りない!それじゃ足りないんですよ!」
「正臣くん、」

そして正臣は俯き、静かに涙を流した。
臨也は優しく微笑むと、正臣を膝の上に乗せた。

「い、臨也さ、」

正臣は泣きながらも、顔を赤に染めた。
そして臨也の胸の辺りに頭を埋め、擦り付けた。

「ごめんね、正臣くん」
「嫌いです…あんたなんて嫌いです…」

そしてまたぎゅうぎゅうと臨也を抱きしめた。
臨也は正臣の柔らかい髪の毛をふわふわと触ると、口を開いた。

「俺はさ、正臣くん」
「…はい」
「君を愛してるよ」
「…」

正臣がむすっと拗ねたような照れたような表情をした。

「だからね、嫉妬も嬉しくて」
「…?」
「…だから…」

臨也は綺麗ににっこりと微笑むと、言葉を吐いた。

「可愛いものが見れて、実に有意義だったと思うよ」
「…え?」

臨也と正臣が目を合わせる。

「でも少し、やり過ぎちゃったね、ごめんね?」
「…あんた…!」

正臣が怒りを露にしたような表情になった。

「あんた、全部仕組んで、」
「いや、まあ、怒鳴られたのは予想外だったけどね」
「…最低だ!」
「でも正臣くん、今ので自分の気持ち、ハッキリしただろ?」
「…」
「辛い、だろ?」

相変わらずにこにこと笑みを浮かべたこの男を、誰か殺してくれ。

「…、あんたなんて大嫌いだ!」
「またまたそんなこと言っちゃっ、て!」

臨也が急に正臣の唇を己の唇で塞いだ。
部屋の時間が甘く、遅くなる。

二人が離れると、真っ赤に顔を染めた正臣が蕩けた表情をしていた。

「…久しぶりだったからね、気持ち良いだろ?」
「…嫌いだ、あんたなんて…」

臨也は拗ねたような正臣に、楽しそうに微笑んだ。
楽しそうに、楽しそうに。



嘘吐きの君
(嘘吐く君の唇を、塞いでしまいたい)



心の底から、楽しそうに。


あきゅろす。
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