自然にこぼれたことば 「最近どうなの?」 なぜ、彼がここにいるんだろうかとか、そのうちあの平和島静雄がやってきて、この場は一時騒然となるんじゃないかとかそんな想像ばかりが先行して、彼の問いにすぐさま答えることが出来なかった。 それでも彼はもう一度、「最近どう?」と同じ口調で問いかけてくる。 そこでようやく、まあそれなりに、と答える事が出来たのだが、そのあとに繋げる言葉が見つからない。フェンスに寄りかかるようにして言葉を待つ彼は、大した興味も無いようで、ただ笑う。 会いたくなかった。 それは、この街で暮らす者として思うことでもあるし、自分自身の弱さだとも言えることだろう。彼といるとどうしても、昔の自分を思い出すようで良い気分はしない。 「臨也さんも、相変わらずで」 「随分他人行儀になったね。それとも、今の平和な暮らしを俺なんかに邪魔されたくない?」 相変わらず痛いところをついてくるものだと思う。思わず背けてしまった黒々とした人物は、予想通りだと言わんばかりにそっか、とだけ呟いた。 別段変わった会話をするわけでもないのに、緊張感はどうやっても抜けなかった。休日という緩やかな空気に包まれた自分の身体はそちらに慣れてしまっていて、突然降ってきた厄災に対応しきれていない。 それはおそらく相手も重々承知の上だろう。なんといっても相手は情報屋折原臨也、彼に一度関わってしまえば、自然と蛇に射抜かれた蛙のようになってしまうことだろう。 「そんなに緊張しなくてもいいよ。親しい後輩が幸せだからって俺は、決して妬んだり羨んだりしない。君が幸せならそれでいい」 こんな整った顔をした男に歯の浮くような台詞を言われてみれば、大抵の女性はくらりとくるのだろう。ただ、自分は男であるし、それ以前に彼が本来の意味でそれを言っているとは思えない。 先程に比べればいくらか普段の顔に戻ったようにおもうが、警戒心は強まる一方だ。 いつも、いつものあの口調だ。思い出そうとすればするほど、自分の裏側を知らない親友の顔ばかり思い浮かんで逆に言葉にならない。 「…学校は、楽しいですよ。今から帝人と出かけるし……」 ようやく絞り出した言葉は、真実だ。大好きな友人がいて、信頼してくれて、楽しく過ごせる仲間がいて。それはある意味で自分が望んでいた形なんだろう。けれど、目の前の臨也という存在は、それを根こそぎ否定してしまうような人物だ。 もちろん、彼が全面的に起因しているわけではない。こうやって話しながら、危ないと分かっていながら彼に近づく自分が一番許せないのである。 いつまでも後ろを気にするばかりではいけないと誰かが言った。だが、押し込めた過去という存在は望む望まぬに関わらず、確かに自分を蝕み始めている。 あの時から、前になど進むことは無かった。何もかもを忘れてしまえば楽になれる。頭上に広がる青が、常にこのままであればいい。 「やっぱり、平和な日々の方が楽しい?」 臨也は空を見上げた。空へつづくコンクリートジャングルの真上には、青い空が広がっている。 「でも、通り雨はいつも突然だ」 何が起きるかわからないから、楽しいのさ、と付け足しながら、臨也はこちらに目を合わせてきた。 「………臨也さん、て俺の嬉しい話、嫌いですよね」 「そんなことないよ。可愛い君の、俺に縋ってくる時の表情が、君の本心だと思うとそっちの方が愛しいだけさ」 歯の浮くような台詞。作ったわけでも、あらかじめ用意されていたわけでもなく、臨也の口からこぼれた言葉は、自分の中を大きく震えさせる。 どこまで本気か、なんて考えるだけでも馬鹿馬鹿しい。彼がこんな態度を取るのは自分だけじゃない。手駒になりそうな人にはこうやって言葉をかけているだけなのに。 それでも、抗うことが出来なかった。それは、自分もまた、この青空の下にあって、急な通り雨を期待する側の人間になってしまったからだろう。 「…本当にそうおもうなら、いつも笑って、流さないでくださいよ」 その言葉に臨也は穏やかに笑って見せた。 「ごめん紀田くん、遅れて……えっ、と、折原、さん?」 その声で振り返ると、後ろには驚いたような友人の顔があった。戻ってくる日常感。 遅かったな、といつもの口調に戻す前に帝人は無邪気に微笑んだ。臨也とは全く異なる、けれど何処か似た雰囲気を漂わせながら。 「仲、いいんですね、2人」 空はまだ、青い。後ろでは明らかに笑いを堪えている臨也の声がする。 |