延長線上の恋
《延長線上の恋》
「ねぇ、正臣くんのファーストキスっていつ?」
「はぁ?」
新宿某マンション。
ファー付きコートを羽織った青年が、突然そんなことを口走った。今まで珍しく何もちょっかいを出さず、ずっとパソコンの前で仕事をしていた恋人が言った言葉に、コーヒーを運んでいた少年はすっとんきょうな声を上げた。
コーヒーを臨也の前に出し、むすっとした顔で返す。
「なんでそんなことを聞くんですか?」
「いやぁ、だって気になるじゃん」
「そうじゃなくて」
「……………? どうしたの、正臣くん?」
臨也が正臣の異変に気付く。正臣は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな、悲しそうな顔をしている。
「臨也さん………。それを、俺に聞くんですか?」
「正臣……くん?」
「ちょっと、今日は帰らせて貰います」
「え、ちょっと待………っ!」
泣きそうな顔をして、荷物も持たずに扉へ向かう正臣を、何がなんだかわからない臨也は呼び止めようとする。
「………………ぁ」
その時、唐突に臨也の視界がぐにゃりと歪んだ。妙な浮遊感を感じ、その場に倒れ伏せる。
正臣の慌てたような、自分を心配する言葉が遠くに聞こえ、臨也は目を閉じ、意識を飛ばした。
☆
目が覚めると、見知らぬ場所にいた。周囲には見慣れた高層ビルも見当たらず、広がるのはただただ青く繁る田畑ばかりだった。
日は既に傾き、雲ひとつない空はオレンジ色に染まっている。
「ここは………、どこだろう?」
臨也は、誰にも聞こえないような声で呟いた。瞬間移動だなんてものは信じていない。故に、おそらくは夢の中だろうと仮定した。
静寂の中で、不意に子供の声が聞こえた。反射的に声のしたほうを向くと、ランドセルを背負った1人の少年が友人と別れたところだった。
少年が、こちらへ歩いてくる。その幼い顔を見て、臨也は驚愕した。髪は黒いが、その顔には面影が残っていて、見覚えがある。臨也は思わずその名を呟いた。
「正臣くん………」
「………?」
それが聞こえたのか、少年は立ち止まり、不思議そうな顔をして周囲を見渡す。
1人惚けたように起ち続ける臨也の姿を見つけると、少年は躊躇なくとてとてと臨也の傍に寄り、変声期前の幼い声で話し掛けた。
「俺の名前呼んだの、アンタ?」
「………あ、うん、そう」
「なんで俺の名前知ってるの?」
「うーん、と。………なんて言えばいいんだろう。正臣くん、今何年生?」
「………ん」
正臣は訝しげな表情をしながら、掌を突き出す。立てている指は二本。
「小学二年生?」
「うん」
「俺さぁ、タイムスリップしてきたみたいなんだよね」
「はぁ?」
「君が高校生の時代から。俺も今夢なのか現実なのか、わかんないんだけどね」
「………頭、大丈夫?」
純粋な視線を送ってくる正臣に、臨也は優しく微笑んだ。
「俺は、君の恋人だよ」
「……………はぁ」
「本当に。じゃあ、証拠を見せてあげようか」
「…………っ」
その場にしゃがみ、小さな正臣の体を抱き締め、唇を重ねた。すると正臣は驚いたように体を硬直させる。風に攫われて香ったのは、変わらぬ優しいシャンプーの匂いで。
ただ触れ、離す。正臣の顔を見ると、正臣は見開いた目で臨也の顔を凝視していた。
「正臣くん」
「な、に?」
「俺は折原臨也。次に君と会うのは多分、君が中学生になったときだ」
「中学生………?」
「うん。だから、それまでばいばい」
瞬間、目前の風景が歪んだ。正臣の泣きそうな顔が見える。会ったばかりの奴に泣きそうになるなよ。そんな思いが浮き上がる。
「臨也さん!」
☆
「臨也さん!」
「………………ん」
目を開けると、泣きそうな正臣の顔があった。蜂蜜色の髪。変声後の少しだけ低くなった声。正真正銘、臨也の知っている正臣だった。
「何、泣きそうな顔してんの」
臨也が目を開いて正臣に笑いかけると、正臣は頬をカッと赤らめてそっぽを向いた。
起き上がると、ソファーの上にいた。どうやら正臣がそこまで運んでくれたらしく、額からは濡れたタオルがぽろりと落ちた。
「臨也さん、大丈夫っすか?」
正臣はそっぽを向いたまま、目だけをちらりと臨也に向ける。
「心配してくれるんだ?」
「別に………。いきなり倒れるから、びっくりしただけです。呼び掛けてもピクリとも動かないし…………」
「ちょっとね、正臣くんに会いに行ってたんだよ」
「は?」
「小学二年生の正臣くん、可愛かったなぁ」
「っ!?」
正臣が目を見開いて臨也を凝視する。さっきもこういうことがあったと内心思いながら、臨也は正臣を引き寄せた。
「アレって、夢じゃないよね」
「…………」
「小学二年生の君にキスしてきたよ」
「な、んで」
「アレがファーストキス?」
正臣がこくりと頷く。夢じゃなかった。そう思うだけで、臨也はより一層正臣が愛しくなった。
正臣の体を抱き締める。服ごしに伝わってくる温もりと髪の香りは、小さな正臣とほとんど変わらない。
「臨也さん、好きです」
「うん」
「あの時から、ずっと」
「うん…………」
「………好きです」
「俺もだよ………」
-Fin-
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