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雰囲気なんてぶち壊して

 痛みは危険信号だ。痛いとおもうからこそ発達した人間の脳味噌、チャチなコンピュータよりよほど複雑に入り組まれている右脳左脳は身体に過剰な害を為すことを止めさせる。薄い皮にナイフなりの刃を立てて厚い肉を切り裂いたらそれは見事に鮮血が飛び散るだろうことは受けあいだ。誰だって出血多量で生涯を終えるなんてしたくないし、その他だって同じこと。焼死斬死水死爆死凍死病死エトセトラエトセトラエトセトラ。あー、いまの状況で死ぬならばどうなるのだろう? 撲死? ドクドクドクドクドクドクドクドク、体温と同じ暖かさを持つ血液はいっそう心地好いと思えそうなリズムで傷口から溢れてくる。いや、まあ実際は気が狂いそうなほど痛い痛いと泣き叫んでやりたいけれどあいにく喉はガラッガラでスレッスレで、声なんて出したくない。だから「う」、とか「あ」、とかなんの意味も持たない単語を弱々しく夜の公園に響かせるだけだ。

 人工的な光を持つ外灯は正直有り難いものではない。顔はそこまで損傷はないからいいとしても、衣服に染み渡った赤黒く変色を終えた鉄分を多く含んだ液体は誰が見ようと素通りできるものではない。深夜の公園だろうと、土地がら人が絶対に来ないとは云いきれないのだ。だから月明かりとは比べ物にないくらい夜道を照らす外灯を浴びているのは出来るだけ避けておきたかった。…けれど、一方的に暴力を受けていた人通りの多い町中からここまで人の目を交して辿りついたんだ。体力は限界に近い。今はベンチに横たわっているからいいけど、地面に足をつけたら三秒後には体も地に埋まっているだろう。ああ情けない情けない。…いや、よく頑張ったよオレ。これは過大評価とか自信過剰とかじゃなく、マジで。

 さて、どうするべきだろうか。ケータイで迎えを呼ぼうにもオレをこんな目に会わせたヤツが開閉式マイケータイはちょうど真ん中でポッキリ折ってドブに捨てやがったよ。(まあ友達を呼ぼうにも帝人や杏里にこんなところ見せられるわけないしなあ。滝口…もダメだろ。静雄さん、はなあ。事情を話したらぜってー池袋崩壊ですよ奥さま。あとは…うん、沙樹もダメだ。アイツに迷惑なんてかけるわけにはいかないだろう。)なんだかんだ思考を巡らせてるけど、正直なところは頭グッラングランしてるし痛いしそろそろ本気で意識が飛びそうだ。まぶしいくらい目玉に光を浴びせていた外灯は、もうほとんど光もみえない。ああ、まぶたが重くて、疲れて、眠い。ああ、ああ、ああ、きっとこれで寝たら死んじゃうなあ。指先一本動かないような感覚に襲われる。いや、動く。今曲げた親指は確かに塗装されたベンチをなぞっている。あれ? これ、ベンチか? …とうとう末期なのだろうか。とりあえずマジ寒い。ヤバい、なにこれー。

 ぽふっ。

 なんともマヌケな擬音が聞こえた。と、同時にモフモフと毛のようなものに顔を覆われる感覚。無機質で触り心地のいい、人肌で暖められたかのような、そんな暖かさがあった。あえて云うなら寒い朝のためにこたつに入れておいた衣服のようだ。なんだろう、と動かなかったはずの手でギュウ、とそれを握ってみたら、固くて、でも素材は良いものなのだろうとすぐわかるものだった。視界は閉ざしていたけれど、恐らくは衣服だろう。と云うよりもこの感触はイヤと云うほど知っている。

「大丈夫? 正臣くん」

 極めつけ、と云ったような低いような高いような声。それを聞いた瞬間に体中が活性化したような感覚に見回れた。もちろん身体は必ずしも脳味噌に従うわけでは、いや、従えるわけではないためオレの体制はそのまんまだ。だが脳内では数えきれないくらいの罵声をこの男に浴びせている。ノロノロと重いまぶたを上げると、どこか焦ったような、でもやっぱり人を揶揄したような笑みをした男が立っていた。オレをこんな目に合わせた張本人である。彼にはいつも着ているジャケットがなく、ズボンにVネックインとセンスを疑う格好をしていた。そしてそれを見ると、やっぱり、とこの暖かいものの正体を改めて察してしまい、布を握っていた手に力をこめ、顔をグシャリ、歪ませる。

「ちょっとちょっと、まだ肌寒い真夜中にこのオレがジャケットを貸してるんだよ? しかもこんなものまで買ってきてやって」

 こんなもの、と云いつつ見せびらかしたのはガサガサと小うるさいドラッグストアーの袋。きっとあの中には傷薬とか包帯とかがいっぱい入ってることだろう。いや、もしかしたら生理痛薬がいっぱい入ってるかもしれないな。なんのためにって嫌がらせに。まあ絶対に前者だろう。なんにせよ助かったことには代わりない。このまんま放置プレイみたいなのはイヤだし、薬って実は使うときになると消耗早いくせに高いんだ。…だが。

「オレ、を、こんなん、に、したの…ア、ンタだとおも、うんすけ、どっ」

 途切れ途切れ、壮絶な痛みに散散あえがされた声帯は一言一句音にするだけで相当なダメージを与えた。…だが。だが、なんとしてもこれは云わせてもらうべきだろう。だって事実だし。そもそもこの人がオレに暴行したのただ帝人に嫉妬しただけじゃん。ただの焼きもちじゃん。おいおい素敵で無敵な情報屋さんはいいのかそれで。(でも無理矢理セックスとかされなかっただけいーかな。…ってよくないよくない。なに慣れきってるんだ自分。)けれどうざやさんは、じゃなかった。いや間違ってないけど。…けれど臨也さんは、まったく、なんにも、さも『ボクは無実です』的にキョトンとしている。なにこいつマジうざいんですけど、ちょ、殴らせて一回でいいから。痛くしないから。(するけど。)

「そんなの浮気する君が悪いんでしょ? ほら、手当てしてあげるから」

「…は、あ?」

 浮気、浮気、浮気い? 誰が、いつ。みたいな。オレは臨也さん一筋ですよー。死ねー。いや、云わないけどね。…さて手当てするとかほざいた臨也さん。ビリーッ、と云う音とほぼ同時に脚が外気に晒される。あれ? この人オレのお気にのダメージジーンズ切り裂いてねえ? これ以上ダメージいりませんからね? てゆーかこの人ティッシュに消毒液ドップドップ浸けてるんだけど。絶対痛いんだけど。(自分でやる、って云うタイミング外した。)…って違った。さっきこの人聞きがたいこと云ってたし、まずはそっちだろう。っ、とジュウ! と傷口に消毒液の染みたティッシュが押し付けられた。擦り傷に消毒液、って地味に痛い。

「浮気、って、なに、っ、痛いっ!」

 蚊の飛ぶような音量で問うが、あまりの痛さに足が跳ねた。衝撃的にただなるがままだった足は、云わずもがな足元にいた臨也さんの顎にぶつかった。ちょ、これ絶対痛いだろ。

「…すんま、せっ」

「いいよ、別に。ところで、君ナンパなんで止めないの。あと帝人くんとの縁は包丁でぶったぎって」

「…」

 後者に絶対的な悪意とか殺意とかが見えたものの、(なんか帝人の首をぶったぎれって云われたような気がしますー。)とりあえずオレの脳味噌は云いわけを考えていた。いや、ナンパはオレの趣味。アイデンティティ。人間三大欲望に匹敵する、(一応云っておくがオレは可愛い女の子と過ごすのが大好きなだけでありあくまでセックスがしたいわけではない。そのため紀田正臣花の十六歳の中ではナンパがしたい欲望と性欲はイコールの関係で結ばれていないわけである。)つまりは空気、酸素と同じなのだ。だがそんなので臨也さんをごまかせるわけもない。ああどう説明しようか。少し、体を起こすと、包帯の入った箱を開けようとする臨也さんと目があった。別に、だからなんだと云うわけでもないけど。

「…まあ、いいよ。君をそんな風にするのにちょうどいい理由だった」

 えー、えー、いやいやいや。絶対それは半分くらいアンタ本気だろ。だって今のアンタの顔、ちょうスネてんもん。だけど正直のところもう半分のほうも気になる。多分だけど、あれだよ。痛がった顔が可愛いとか、そんなすっごい気持ち悪いの。(これが静雄さんとのケンカで、だったらもっと酷いもん。あの人がよく知らないオッサンに病院の集中治療室行かせるくらい殴ってんのみたことあるし。まあいいんだろう。あの人はきっと臨也さん信者、そうされんのが嬉しいのかもしれない。)

 別に。別に。どうでも、いいや。この人が謝るとは思えないし謝られたらなんだかんだで臨也さんを好きになっちゃったオレは彼を赦してしまう。だから彼なりの謝罪なのかもしれないような手当てだけで十分だ。いや、手当ても普通に痛いけど。

 足の大まかなキズが終わって、あとはもう脇腹のちょっと長い切り傷。刺された、くらいじゃあないからいいか。あ、いやダメだって。右肩にもなんかされた気もするけどやっぱり腹が先。見たくもないのに腹に行ってしまう視線、そこはやっぱり血みどろで気持ち悪い。それをウェットティッシュで丹念に拭かれるが、冷たいそれにいちいち『うっ』、とか『いたっ』、とか反応する。が、喉はやっぱり痛くてなにこのダブルパンチ。けれど見た感じもう終わる、あと少しの我慢だと唇を噛み締めると、ピタリと止まる手。そして、めずらしいほど抑揚のない声。

「あー、ごめん。なんかたった」

 …。てん、てん、てん。三点リーダー。文にするならそんな感じ。オレとしては放心、だったのだが彼はまた手を進めた。いや、早めた。まるでこの作業が終わった後になにか待ち詫びるようなものが有るみたいに。たった? タッタ? 立った? …ああ。

「わー、すごー、い。ク、ララが、たちまし、たね。チーズ、でおい、わいでも、します?」

「なにそれつまんない」

 えええええ。人がせっかくあらぬ方向へ行かないよう頑張ったのに一蹴しやがったあああ。ガーンッ、とショックを受けていると突如のしかかってくる、なんか黒いの。

「…じゃ、しようか?」

「…あの、まだ腕、が」

「見たところ血も止まってるし大丈夫だよ」

「い、やー、でも痛い、し、多分腕の、ほう、やってくれた、らオレ眠るんで、気合いで眠るん、で、状況回避、みたいな」

「なんか作戦ダダ漏れなんだけど。寝たら放置するよ。意識のない人間て重いんだから。でも起きて付き合ってくれたら高級車でケーキ食べながら毛布にくるまって帰れるよ」

 いや、車呼ぶんなら重いの関係なくねえ? つかこんな公園でセックスとか絶対風邪ひくだろ。うん、やだ。そもそも今そんな空気と違ったはずだろう。やっぱりそーゆーことしたいならそれなりに空気を作る努力をするべきだ。さすがにこんな女の子みたいなこと云うのはどうだろうと思うけれど、女役になるんだったら抱かれる身としてそれなりの権限は使ってもいい気がする。(確かに仕事でパシリとして使われてるけれどこれはあくまでプライベート、恋人間のことなのだから上司も部下も関係がない。)

「…で、いいよね」

「全力、で。拒否っ、は、風邪ひ、く」

「あ、そっか。じゃあちょっとフェ…」

「死ねっ、あ、バカ。雰囲気、考え、ろっ」

 ラ、に続くその言葉を遮って効果が皆無と知りながらも罵声を浴びせた。こんなズタボロの日はせめてユックリしてたいのだ。臨也さんは日替わり、いや時間区切りでテンションが変わる。優しかったり酷かったり、それは理解しているつもりだ。けれど、無理。さすがに着いていく気はしない。

「まあまあ、そんなものぶち壊そうよ。オレほどのKYもそうはいないよ?」

 あはははは、死ねばいい。つかなにこの人空気読めないの自慢してんのバカじゃない。いやバカだった。年下の男に野外プレイを望むほどバカだった。とりあえず明日はタンスに入ってるVネック全部に虫食いみたいな穴開けて、それから大トロにマヨネーズぶっかけといて、指輪をリングキャンディに替えておこう。時刻は午前二時。今日はまだ始まったばかり、なのになぜ明日、って聞くなバカ。オレのバカ! 痛みは危険信号、そしてこの人はオレの脳味噌を正常に機能させないのだ。あ、ああ、ああ、腹が立って仕方がない、のに! のに、…はあ。



(雰囲気なんてぶち壊して)(?)(けれども空気は読みましょう!)


END


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