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さあ始めよう


【逃走遊戯】

「久しぶりだね、紀田正臣君。」
逢いたく無い男に逢った。
「その制服、来良学園のだねぇ。あそこに入れたんだ。今日入学式?おめでとう」
それだけで少年の日常は脆くも崩れた。爽やかな光の粒で彩られた日常は、暗澹の闇に塗り潰された。正しくあの男の髪の色と同じ、底の無い闇色に。

―――
「一体何の積もりですか?」
正臣は友人にも滅多に見せないような、しかめっ面を臨也に向けた。その声もまた、低くて抑揚の無い、不機嫌をそのまま模した声色だった。そんな正臣とは対照的に、臨也は楽しそうに笑っていた。
「言っておくけど、もうあんたの口車に乗せられたりしませんよ。」
「ちょっとちょっと、そんなに怒んないでよ。ちょっと呼び止めただけじゃ無い。」
「自分の行動を省みたらどうですか。俺があんたの事憎んでいることくらい解るでしょ。あんたの顔見るだけで不快なんです。」
正臣の言葉に迷いは無かった。普通なら、どんなに嫌いな相手でも言い難い言葉を正臣は言ってのけた。世界で一番嫌いであろう人間に。しかしそれでも尚臨也は、陰のある笑顔を浮かべたまま正臣を見詰めているのであった。
「やれやれ、俺も随分嫌われちゃってるみたいだ。」
「やっと解ってくれたみたいですね。では俺はこれで、」
「待ってよ。まだ俺の話しは終わって無いんだから。」
路地裏から出ようとした正臣の腕を透かさず臨也は掴んだ。強制的に歩みを止められた正臣は、一段と濃い憎悪を込めた視線を送る。
「君は本当に俺の事が嫌いなんだねぇ」
「当たり前で――」
「だったらさっさと俺の事忘れちゃえば良いのに。」
途端、正臣の声が止まった。何も言えなくなってしまったのだ。
「俺の事、沙樹の事、黄巾賊の事、全部全部君の嫌な事、さっさと忘れちゃいなよ。そしたら楽になれるからさぁ。」
「それは…」
「まぁ無理だけどね。てか、俺がそう教えてあげたんだっけ。」
正臣の脳裏に焼き付いた傷だらけの過去が浮かび上がった。それだけで彼の胸は脳髄は、ナイフで抉られる様な痛みを感じた。目の前が眩む程鼓動が高鳴る。臨也の笑顔の背後に妙な既視感を覚えた。
「過去は寂しがり屋だから逃げられないってね。ああ、この話しは止めた方が良いかな。君の思い出したく無い事を思い出しちゃいそうだもんね。」
臨也は明らかに確信犯だと解るように囁いた。相変わらずの陰のある笑顔。彼の存在感自体が正臣にとって煩わしき病。
「臨也さん…俺の事虐める為に呼び止めたんですか?」
正臣は壁に背をつける。ひんやりとした路地裏の壁。
「まぁ単刀直入に言えばそうなるかもね。だって正臣君面白いんだもん。何でも俺の思い通りに動いてくれる、俺の予想通りに行動をしてくれる。
だから好き――」
瞬間、正臣の怒りが十分に籠った拳が臨也の目前にまで迫ってきた。しかし臨也はそれすらも予想していたかのように、あっさりと拳から顔を避けた。正臣の怒りは虚しく空気にぶつかる。
「こうやって、怒りに耐え兼ねて俺に殴りかかろうとする事も、全部俺の予想通り。だから、好きさ。」
「好き」という単語に全く愛を感じられなかった。臨也からしてみれば最大限の愛情を込めたつもりであっても、正臣には全く届いていない様だった。それすらも、煩わしくて。
正臣は臨也が憎くて、憎くて堪らない。余りにも憎くて、殺したいくらい憎いから、顔を見上げる事すらしなくなった。
「ねぇ、正臣君、俺は君の事好きなんだよ。人間は皆好きだけど、君は特別お気に入りなんだ。」
「何ですかそれ、新手の嫌がらせですか?」
「いやこればかりは本気だよ。君とだったら付き合ってみたいなぁ。」
「冗談…」
「本気だって。」
漸く正臣は顔をあげた。それと同時に臨也は正臣の顎を掴み、顔を寄せた。予想通り正臣はいかにも嫌そうな顔をした。今にも唾を吐いてきそうだ。だけどそんな彼の顔すらも臨也は愛しそうに見詰める。
「恋人が嫌なら妻でも良いよ?それともペットになる?それだったら何もしなくても俺の側に居させてあげるよ。」
「いい加減に…」
「俺は別に君の恋人になりたい訳じゃ無いの。君を側に置いておきたいだけ。ここ重要。」
「いい加減しろっつってんだろ!」
正臣は再び我慢の限界を越えた。そして臨也の肩を勢いよく押し返し、その場から逃げるように走り去った。
臨也は喉を震わせ笑った。無垢な子供のように無邪気に、しかしその瞳には人間には無い深い深い闇を燻らせて。彼は言葉には不釣り合いな清廉な声で、少年への歪んだ愛を語る。誰も居ない空虚な路地裏に響き渡らせ。それは一種の呪文の様で、陳腐で形式的な詩歌の様で、残酷だ。
「そうやって自分の立場が悪くなったら逃げ出す所も俺の予想通りだ。あれから何も成長して無いんだね。それでも良いよ、そんな愚かで矮小な所も、皆皆愛しいよ。これからも君は俺から逃げるだろうね。だから俺はずっと君を追い掛ける、君が俺から逃げる限り、君が俺に捕まるまで。
さぁ、始めよう。」


永遠に続く逃走遊戯(鬼ごっこ)を。


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