WestendCompany.
2
子供専門の奴隷商人がここを通ることを知っていて、ここで張っていたらしい。
「…街まで送ってくれるんじゃないんですか」
あたしが言うと、ヤナトさんは笑って言った。
「素人だったら馬車で待っててもらうところなんだけど。あんた素人じゃないからね」
既にそれは決定事項であるらしい。実際素人じゃないけどね、と溜め息を吐いて、あたしは茂みの影から馬車を伺った。 幌は黒い。出入り口は開いていたけど、中にちらっと箱が見えた。
小分けにして他の荷物と混ぜてんのさ、とヤナトさんが吐き捨てる様に言った。
あぁ駄目だな最低。
頭の芯が冷えていく感覚がした。
ヤナトさんが言った。
「さて…ほんとに任せて大丈夫なのかい?」
あたしは囮を買って出た。連れて行こうとするヤナトさんに、条件だと言って叩き付けた。
大丈夫ですとあたしは頷いた。
「策はあります」
そして止められる前に茂みを抜け出した。
やたら派手な格好の丸い男があたしに目を向けた。
「うん…? 何だこの小娘は」
あんたの敵だよ。
口に出さずに言って、あたしはすぅ、と息を吸った。
さぁ何処へ行こう?
君の行く先で僕は待っているから
ねぇ、聞こえてる?
世界の宴が始まる音
面食らって男は動きを止め、馬車の護衛も何事かとあたしに意識を向けた。
夢の行く先で
停止した世界が
君のものであると、
あたしは途中で歌を止めて叫んだ。
「今です!」
ヤナトさんの声が続いた。
「かかれェっ!」
突然現れた小娘に気を取られたこと、あたしの声とヤナトさんの声の間に体勢を整えられなかったことから鑑みるに、この護衛は良くて二流らしい。
あっさり決着が付いた。
あたしは馬車から降りた子供達に簡単なスープを配っていた。
まともな食事を与えられなかったらしい子供達は、結構な勢いで鍋をからにしていった。
もしかして足りないかな、と思ったとき。
「いやっ!」
馬車から子供の声がした。
まだ誰かいたんだ。
子供の中には大人を怖がる子もいて、そういう子を降ろすのはあたしの仕事だった。
「あたし代わりますよ」
幌の中を覗いて言うと、ヤナトさんとこのひとが体を退けてくれて、手を広げて仁王立ちした金髪の女の子が見えた。
真っ赤に充血した目で、その子は言った。
「来ないで! さわんないで! 近よったらひどい目にあうんだから!」
その子の後ろには誰かが倒れていて、弟かな、と思った。
痺れを切らしたらしい男の人が、後ろの子に手を伸ばした。
「だめぇ!」
女の子がすぐさまその腕に飛び付いた。
まぁ言葉通り大人と子供で、あっさり男の子には触れられたのだが。
何でこの子こんなに嫌がるんだろう、と思ったとき。
全身に鳥肌が立った。 その衝動に任せて男の人を突き飛ばした。
しゅん、と耳元で風が鳴った。
――しゅしゅしゅしゅしゅしゅんっ!
「きゃあぁぁあ!」
女の子が悲鳴を上げた。
かまいたちはさっきまで男のひとがいた空間を裂いて、当てる対象を失って幌や床板に大きな切り傷を付けた。
ゆらりと男の子が立ち上がって、子供の速さじゃない速度で馬車を飛び出した。
後を追って外に出る。思い切り引いてる大人と怯える子供達が、黒く歪んで見える子供を中心に円を描いていた。
馬車の中の女の子が泣きながら言った。
「さわんないでって言ったのに…!」
誰がこんな展開予想するよ、と思って(だってほんとに言ったらあの子傷付く)あたしはもう半ばひとを棄てているいきものに目をやった。
小柄な影。輪郭は既に黒に紛れて分からない。
辛うじて見えた口が赤く裂けた。
(憑かれてる)
子供の嗤い方じゃない。
あたしは袖口の短刀を取って逆手に構えた。
「どうする気!?」
ヤナトさんが何処かから叫んだ。あぁもう余裕、ない。目、逸らしたら喰われる。
飛びかかって来る影を避けた。具現化したくろが、爪のかたちで服の袖を裂いた。
(あぁもうこのままじゃじり貧、)
からだがこわれたら代わりを探せばいいあのくろと違って、こっちには限界がある。
(そうだこの近く、)
爪を短刀で弾き返して身を翻す。森の中へ。反射で追いかけて来たくろを見てこっそり安堵した。
(追いかけて来なかったらどうしようかと思った)
ヤナトさん死ぬのやだ。あの子ら死ぬのやだ。それに何より、十以下のこどもには人殺しさせない主義だあたしは。
あたしは足場の枝を蹴って跳び上がった。
ちら、と振り返って追って来ていることを確認する。
ついでに腰辺りの小袋の中身も。
手のひらに丸い感触。静電気の様に指先に走った魔力に吐息を吐く。
計略に気付かれてても、やらなきゃいけなかった。
一際大きく枝を蹴って跳び上がる。それを追って跳ねたくろに、胡桃程の球体を数個、投げた。
「天に伸ばしたあかの腕、届かず握った拳のまま、清しく強き守りとなって!」
ぼぅん!
投げた小球が破裂するのとくろが叫んだのは同時だった。人の喉が上げられそうにない音を立てて、くろが体に移った火に痙攣する。火傷跡残ったら怒られるよな、と思いながら、あたしとくろは水に落ちた。
ここは今日水を汲んだ小さな泉で、あたしの目的地だった。
あたしはそのままもう一度跳んで、もう一つ、小球を落とした。
「駆ける翔ける空裂く刺青傷を負った空の削られた命伝える為放たれ地にて弾かれる!」
ばちィッ!
水面が一瞬光った。声も上げずに、びくっとくろが跳ねる。叫ぶ気力もないらしい。
大きく水音を立てて降りたときには落ちた雷は水を通ってどこかに消えていた。
心停止とかしてないよな、と思いながら、あたしは短刀を手にくろに近寄った。
男の子抱えて戻った後、まっすぐ女の子のところへ行った。
その子はまだ泣いていた。動かない男の子を降ろすと、駆け寄って怖々と手を取った。
「生きてますよ」
「ほんと!?」
「正直危ないですけど」
言ってあたしは男の子の額に手をかざした。
ぼぅ、とその手が光を帯びる。
「あたしの命の欠片、貴方に差し上げる」
憑いていたくろを引き剥がして浄化した後、周りを見る余裕ができたあたしは愕然とした。
腹を見せて水面に浮かぶ魚。両手で足りない程。
さっきの雷のせいだと分からない程度には馬鹿じゃない。
この子を救う為に幾つの命を犠牲にした。連なるはずだった何万の奇跡、あたしに、それを、背負えと。ただあるだけのものたちの声がして。
そもそも魔と邪と濁を祓うなら水が流れているところの方が良かったはずだ、わざわざ泉にしたのは、
(川が、遠かった、から)
歩いて一日半、全力疾走は無理としても、一人で走るなら一日足らずのはずで、どうして川へ行かなかった。
(引き付けられる自信がなかった)
その一日、あたしだけを目標とする様に、そう仕向けられる自信がなかった。
自分の力不足棚に上げて努力もしないで救った気になって代償を余所に払わせて。
あたし馬鹿じゃ足りないくらい人間以下。
分かった背負う。
全部背負って押し潰されて死ぬ。
立派に逃げだと分かっててもやる自分に、馬鹿は死んでも治らないことを再認識した。
(だってあたし前世で人喰いしてた)
(だってあたしもうこの年で人ごろし)
(どんな魔よりもあたしはくろに近い)
…這い上がろうともしない少女。
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