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WestendCompany.
流と小夜ちゃんその1
 俺と小夜がその世界に行ったのは、小夜の武器を仕入れるためだった。
 俺たちが便宜上「リスティア」と呼んでいる世界では、「事象の固形化」という技術が確立していた。炎や氷なんかの分かりやすいものから「落下する」という事象まで、その種類は限りない。分かりやすいものは比較的安価で、町の商店で普通に取引されている。まだ力の弱い魔導師とか、魔力を持たない武闘派の旅人なんかが買っているんだそうだ。
 ピンポン球みたいなそれを買い込んで、小夜は「大聖堂へ」と言った。
「大聖堂の宝物庫から杯を一つ受け取るように言われています」
「今更なんだけど。どうして同行者にそういう情報が届けられないのか訊いていい?」
「決定事項だからです」
「だからこそ情報がほしいんですが。お願いだから運命共同体と状況を共有しようと思ってマジで」
「運命共同体?」
 先に立って歩いていた小夜が、振り返って笑った。唇を持ち上げただけで目が全然笑っていなかった。
「あたしと流が? 馬鹿言わないで下さい、いざとなったらあたしは全力を以て貴方を守ります。あたしより先に死ぬことはあたしが許さない」
 そこまで深刻に捉えなくていいんだけど。思いながら俺は黙って首を竦めた。

 小夜は潔癖だ。融通が利かない。自分が他の誰かより存在として劣っていると、信じて疑わない。
 その理由を俺は知らないし、多分何事もなければ一生知ることはないだろう。知りたいけど。自分の身の程は理解してるつもりなので、聞いても俺にはどうすることもできない。小夜の理由は、そういう他人にはどうにもできない類のことだ。
 その理由はこの無尽蔵気味の体力も関係しているんだろうか、まだまだ先の長い階段を見上げて俺は溜め息を吐いた。
「休憩しますか?」
 少し先に行っていた小夜が俺を見下ろして言った。
「あー……ごめん。お願い」
「構いません。流の体調損ねるほど、急ぐ必要はないので」
 小夜は年代ものらしい石段をいくつか降りて、隅の方に腰を下ろした。
 神様の降りるところが高いところにあるのはよくあることだ。目的地の大聖堂もそうだった。高い山の上にある大聖堂は、渓谷の壁面にある石段の他に道を持たない。もう正確にいつ造られたか定かでない石段は、所々欠けてすり減っていた。
「危ないのと違う?」
「この石段そのものが、聖なる修行の場として有名ですから。最近は流石に老朽化しているので、別に道を作る計画があるそうです」
 できればその道ができてから来たかった、と思いながら、俺はまた溜め息を吐いた。この滑りやすい石段をあとどれだけ登れば、大聖堂に着くんだろう。

 宗教じゃよくあるように、大聖堂内は基本的に菜食だった。
 巡礼者用に作られた食堂でスープを飲みながら、俺と小夜は周りのテーブルの話に聞き耳を立てていた。
 セイシュチョウ様の弟が最近亡くなったらしい。殺されたらしい。犯人は運び屋らしい。もう捕まったらしい。今は地下牢にいるらしい。近々処刑されるらしい。
「仮にも聖堂で処刑ってどうなのよ」
「仮にもとか言わないで下さい。とっとと神の御元で裁かれてこいってことらしいですよ」
 注意した割りに小夜の台詞も身も蓋もなかった。罪人の魂は魔のものの好むもの、魔のものに食われる前に裁きを受けさせようということらしい。
「セイシュチョウってなに?」
「聖主長、つまり教皇です。大聖堂の長であると同時にこの世界宗教の最上位者ですね。そういう人の身内ならここまで噂になるのもわかりますが」
 ごちそうさまでした、と手を合わせた小夜が、少し眉を潜めた。
「どしたの小夜」
「いえ。……面会の手続きしに行きましょう。話は通ってるはずです」
 ぐるりと見回してみても変わったものはなかった。それでも小夜が反応する「何か」があったんだろうことは確かで、少し気をつけている必要はあるだろう。小夜のカンの良さはちょっとした占い師並みだ。絶対、何かある。

 あっさりと、目的のものは手に入った。
 青の地に金の細工の入った金属器は小夜の手に抱えられるくらいの大きさで、小夜はそれを手際よく布でくるんで背負っていた袋に入れた。
 宝物庫に案内してくれた(多分監視役も兼ねている)人は、道々よく喋った。聞いてもいないのに聖主長の今日のお言葉とか弟君の下手人の牢の場所、亡くなったときの状況までよく喋った。
「こうね、戸口があって机があって、その間に俯せで倒れていたんだそうだ。床の色が変わるほどに血が流れていたとか……本当にお気の毒だよ。聖主長様共々、人ではないかのように気高くお優しい方だった」
 二言喋る度に聖主長と弟君を褒め讃える口振りからして、この人はずいぶんと二人に心酔しているらしい。詳しい話はこの人からしか聞いてないから、ほんとにそうかは判断できかねるところだ。宗教団体に限らず、組織の上層部が腐りきってるのは呆れるほどよくある話だ。
 小夜は喋るのが好きらしい案内人に、いくつか質問を投げていた。
「弟様はどういう役についていらしたのですか?」
「マゼイ宗塔、東にある塔だがね、その塔の番をしていらした。教養も人望もお持ちだったから、もっといい役につけただろうに……実際何度も打診されたらしいんだがね。自分にはこの役が相応だと、毎度断られていたそうだ。なんて謙虚な! 本当に惜しい方だったよ」
「その夜も番をなさっていたのですか?」
「いや、前日から体調を崩されていてね、他の者に番を任されて自室でお休みだったそうだ。近々聖席の試験があるんだが、候補生の勉強を見ておられたらしい。お優しい方だよ、本当に」
「宗塔にいつも通りいらしていたら亡くならずに済んだかもしれませんね」
「いや、どうだろうな……マゼイ宗塔は下層が書庫で、上層は年に一度しか使われない特別の祈り場なんだ。書庫は聖席以上の方以外は出入り禁止だし、ましてや夜だからな……あの下手人が弟君を狙っていたなら、マゴイ宗塔にいても結果は同じだったかもしれん。いや、むしろ日が昇るまで誰も気付かないままだったかも……聖拠にまします我らが主、弟君に健やかなる来世を」
 案内役の長話から解放されたのは入り口の吹き抜けに着いてからだった。礼をして歩いていく案内役が見えなくなってから、隣の小夜に囁く。
「で? なんかわかったの?」
「特に何も。あのままだと聖主長様と弟様の偉大な功績、とか長々と語られそうだったから話逸らし続けてただけですが」
 何か聞き出そうとしてたわけではないらしい。俺はちょっとがっくりした。名探偵小夜ちゃんの事件簿! 的な展開にはならないらしい。
「なんだつまんない。小夜ちゃんの大活躍期待してたのに」
「期待されても困ります。事の真相が知りたいなら本人に聞けばいいでしょう」
「弟君召還? この世界って生まれ変わり式でしょ? 循環に乗っちゃってる人呼び出すの面倒じゃない?」
「いえ、まだこちらにおられるようです。本当にお優しいみたいですね……捕まってるのが本当の下手人じゃないからって、誰かにそれを伝えるまでは部屋に残り続けるつもりのようですよ」

 弟君の部屋は掃除されていたけど片付けられてはいなかった。主のいない部屋独特のいたたまれなさが漂っていて、次の主が決まるまでこれは消えないんだろう。
 よく日の入る南向きの窓に背を向けて、小夜は言った。
「どうぞ。聞き手はあたしじゃなくて流ですので、このひとに聞こえるように言って下さい」
 小夜の目の前、部屋の中央。霧がかかったようにぼんやりと、床の木目が見えなくなっていく。それはかろうじて倒れた人に見えなくもない、という程度に固まった後、ふっと立ち上がった。輪郭もよくわからないのに「立ち上がった」と、自分でもよくわかったと思う。
 立ち上がった弟君(たぶん)は、俺の方にふらふらと近付いてきて、突然倒れた。
「ーーーーー!」
 とっさに頭を庇ったけど当然衝撃があるはずもなく、ただ腕から腹にかけて沁みるような冷たさを感じて、それから瞑った瞼の裏にセピア色の景色が見えた。
 本だ。この世界の教典。使い込まれた机の上に乗っている。ずっとノイズが聞こえている、他の音はわからない。なのにノックをされたとわかった。
 視覚以外の他すべてが利かない鈍い色調の世界で、机と閉じられた本が視界から外れる。鳴らない喉で応えながら、正面のドアが近付いてくるのがわかった。
 ノックの主は知っている人間だった。だからためらいなくノブを回してドアを開けた。
 客を迎えて入るように言う。休むように言われて、そちらこそ、三日寝込んでいたらしいじゃないか、と笑って答えた。飲むものは水しかないが構わないか、と言って振り返って、
 客の手が短刀を握っていることに気付く。
 その短刀が、ずぶりと簡素な祈り着に埋まるのを見る。
 がくり、がくり、視界が揺れて、気付くと床の木目に両手が置かれていて、すぐに床と目線が平行になった。目の前に長衣に半ば隠れた靴が置かれる。ゆっくりと長衣に沿って視線が上がって、血に塗れた短刀を見下ろす男を中心に置いた。
 ぐらぐらと揺れる視界の中で、動かない口を動かそうと必死になる。

 あ に う え

「流、もういいでしょう。戻って来て下さい」
 ぱちん、耳元で指を鳴らされて、俺ははっと我に返った。
 ぐらぐらする頭を押さえながら周りを見回す。南向きの窓からは傾きかけた日の光が差していた。机の上には本、扉は閉まっている。部屋には小夜と俺だけ、短刀を持った男はいない。
 息を吸って、吐いた。視覚だけだったのはありがたい。痛いのは好きじゃない。
「弟君は?」
「伝えるだけ伝えたら満足したらしくて、もう向かわれました。あたしたちに言われても、その誤認捕縛は解けないと思うんですけど」
「必死だったんじゃないの。俺視覚だけだったよ。意識はある程度教えてくれたから聞こえた音の判断はしてもらえたけど……小夜、お前いつ弟君に合ったわけ?」
 聖堂に入ってから別行動はとってないはずだ。俺は小夜より霊的な感応力はないけど、流石に小夜が何もないところに話しかけてておかしいと思わないはずがない。
「気付きませんでしたか、ここって杯のあった宝物庫の真上なんです」
 小夜が床を指さして、俺はがっくりと肩を落とした。宝物庫は地下、ここは一階だ。確かに宝物庫に入ったとき、珍しいものが多くて時々置いて行かれかけた。その数分のうちに接触されていたとは、流石に思わなかった。
「あーもう……うんわかったそれはいい、これからどうする?」
「どうにもできないので帰ります」
「待て待て待て待て」
 言い切った小夜の両肩に手を置く。ほんっとうにこいつはドライというかシビアというかビジネスライクというか! いや確かに仕事中ですけれども!
「証拠も何もないんですよ? 弟君はお還りになられましたし、短刀はもう処分されているでしょうし、あたしこの世界よく来るんで運び屋さん脱獄させて指名手配なんて嫌です」
「いやだって弟君ってその人が間違って処刑されるの嫌だから俺と小夜にアレ見せたわけだろ? 放置したら俺らすごいヤな奴じゃんか」
「それを非難できるひとはろくろく伝言もせず相手も吟味せず死に様見せて満足して安らかになられましたけど」
「……ねぇ小夜」
「なんですか」
「お前弟君にむかついてるだけだろ」
「だけとは言いませんが気分はよくないですね」
 俺は大きく溜め息を吐いた。つまり冤罪を見逃さないことを期待するだけして丸投げして満足した弟君の他力本願的な考えに苛ついているらしい。いやお前、死んで実体なくなった人にどんな過剰な期待寄せてんの。
「あのさぁ小夜……霊魂はみんながみんな、他人呪ったり誰彼構わず姿見せたりポルターガイスト起こしたりするわけじゃないから。むしろ少数派だから。そんな積極的なやつあんまいないから」
「いますよ」
「討伐屋退治屋拝み屋全部兼ねたやつの意見が一般的だと思うなよ!」
 人間だろーとそうじゃなかろーと関係なくへち倒せる小夜の価値観は、はっきり言って、歪んでいる。普段は黙って有能だからあんまり気付かれてないけど、こいつの生死観とか人生観とかは間違いなく変だ。それを修正しようとして頑張ってそろそろ一年、諦めかけつつ持ち直すことが最近の日課になりつつある。泣きそう。
「で、聖主長を引きずり出せば満足ですか」
「や、俺じゃなくて弟君ね。うんいいんじゃないか、あ?」
 頷きかけて首を傾げる。斜めになった俺の首を見て、どっちですか、と小夜が眉を寄せた。
 いやいやいや待て待て待て、ここで頷いたらまたこいつは極端に走る。この大聖堂ぶち壊すくらいで止まったらめっけもんだ、小夜は猪よりタチが悪い。慎重に考えて走る道筋決めないとどこに向かうんだかわかりゃしないんだ。
「・・・あー・・・いや、牢のひと逃がして聖主長に悪夢見せる程度でいいんじゃないか。あくまで弟君の依頼は下手人の誤解を解くことだし」
「わかりました、なら聖主長の意見を変えさせて牢の人の無罪の証拠を集めればいいですね」
 少し時間ください、言って小夜は窓から出ていった。上着の裾が翻るのを呆然と眺めて、俺ははっと我に返る。
「てめ待てこら入り口使えー!」
 窓の外に叫んだけど、例によって小夜は知らんぷりで駆けていった。


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