WestendCompany.
駆け抜ける
気付いたら夜だった。
おまけに川辺だった。足元で砂利が鳴って気付いた。
まず空を見上げて驚いた。降って来そうな空ってやつを俺は初めて見た。黒と白の面積比が、うちから見た空の百倍くらい違う。もっとかも。
周りを見渡した。なんにもない。川のこっち側はしばらく砂利の後は草っ原がずっと続いてて、川の向こう側は見えなかった。
そこで初めて疑問を持った。ここ、どこだ。
広い。川上も川下も見えない。何にもなさすぎる。人がいない、建物もない、そもそもここ、日本、か?
おれはほんとうにここにいるんだろうか。
不安で胸と肺がいっぱいになって膝を付いた。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
「あの、」
後ろから声をかけられた。
ばって振り向いたら引かれた。この野郎。
男だった。年は俺と同じくらい、十六、五かな。もっと下かも。んで真っ黒だった。髪も目も服も。真っ黒一色で逆に俺が引きたかった。
ていうか、
「ふーが?」
「あ、やっぱゆきみちだ」
間違えてなくてよかった。
緩い顔で笑ったのは俺のクラスメイトだった。寮制の男子校なんてわけのわかんないとこに通う物好きの一人。
俺?
俺はいんだよ、ばーちゃんち近いから様子見行けるし。住むのはちょっとな、腰痛めてるから、孫が一緒に暮らすからってはしゃいで入院なんてやだよ俺。
あ、やばい泣く。
「それでなんでここに、…えっちょっ、待って俺泣かしたみたいじゃん!」
俺がいたことが証明されたのに安心して、ふーがに縋り付いて泣いた。
俺はまだなんか違和感のある目を擦りながらふーがの後に付いて川縁を歩いていた。
大泣きした俺がどうにか収まった後、ふーがに「ここはどこだ」と訊いてみた。
ら、こいつは無邪気に首なんか傾げて見せて言ったのだ。
「三途の川?」
「泳いであっちまで渡って来い」
「いやほんとに! ここはそうなんだって!」
ふーが曰く、ここは「川の向こう側は死者の国」と考えてる人たち専用の冥界の入り口らしい。みんなが列になって国によっては明かりも持って、そして渡し守の船に乗って冥界へ渡る。
「ゆきみちは一人だったんでしょ?」
「ん」
そうでなきゃあんなにパニクらない。……や、わかんない。周りみんな冷たい無表情の中で延々歩いてたら気が狂う。かも。
不意に背中が寒くなった。
「……ふーが、俺、」
「あ、ううん、違うよ。ゆきみちはまだ死んでない。列から外れたんなら戻れるよ」
にこりと風雅が笑ってまた泣きそうになった。
で、今ふーがが何しに来たかって言うと、俺とはまた別の奴の迎えらしい。
「俺も頼まれたんだよ、頼んで来た知り合いがここ、ってゆーかここの渡し守と折り合い悪いらしくて」
にこりと笑ったふーがを見て思う。
今初めて思ったけど、こいつ何者だ。
いつもクラスでなんとなく浮いてて、部活に入るでもなくバイトするでもなく、たまに遊び誘うと三回に二回は「ごめんちょっと仕事が」だし、何度か校門にお迎えだって来てた。揃いも揃って目立つの何の、しかも結構なビビリのふーががちょっと引いちゃうような美人と平然と話したりして。
しかもこいつは、あんまり目立たないけど目茶苦茶運動神経がいい。俺は見た。四階建ての校舎の屋上から飛び降りて、その後平然と校舎裏の花壇(そのときうちのクラスは花壇の清掃を担当していた)に向かうのを見た。
大体ここだって、冥界の入り口? そんなの信じる方がおかしい。でも確かにうちの近所にこんな川はないし、いつまで経っても家ひとつ見当たらない。それに全然疲れた気がしない。
俺はほんとに死にかけてるのか。
不意に思ってぞっとした。
「信じなくてもいいよ」
いつの間にかふーがが振り返って俺を見ていた。
「夢にしていい。こっち側に巻き込むつもりはないんだ。俺はね」
お前じゃなきゃ巻き込まれるのか、とは言えなかった。
「大丈夫、ちゃんと送り返すよ。ほんとに死んじゃったら俺寝覚め悪いからさ」
あれ、目覚めだっけ? と首を傾げるふーがにはいつもと変わったところは無かった。
今日の時間割とか、宿題とか、ゲームの話とか、そんな話と同列で俺を生き返らせる話をするのか、こいつは。
とりあえず「生き返る」ってワードに寒気がして、その間にふーがに置いてかれそうになって慌てて川辺の砂利を蹴った。
白い猫がいた。
しばらく歩いた先(移動してるかわかんなくなるほど周りの景色変わんないけど)の川縁に、小さな白い猫がぽつんと座っていた。
「あの、」
「どうかした?」
「猫、…だよな」
ふと自信がなくなって訊くと苦笑された。
「ちょっと惜しい」
違うのかよ!
言おうとしたらふーががいきなりその猫(?)に片膝付いて礼をした。
引きまくってる俺とじっとふーがを見てる猫(?)は放置で、ふーがは嫌に堅苦しい台詞を並べた。
「お迎えに上がりました。皆様貴方のお還りを、打ち揃ってお待ちにございます。
どうか自らの性をその身に戻し、在るべきところへお戻り下さい。白金の瞬王、ガルフィストス様」
猫(?)が口を開いた。
「―――やれ、もう来たか」
喋ったことよりおっさん声にびっくりした。
猫(王様だかなんだか言ってたけど忘れた)は後脚で頭をかりかり掻いて、くあ、と欠伸をした。
「衰えたこの身、今更惜しむこともあるまいに。このまま水面に沈むも良しと思うたが―――なれば、参ろうぞ」
ぶるりと頭を振ると若いライオンになった。
驚くより怖がるより見惚れた。体はきらきら光る白、たてがみと尻尾の先と爪は金色だった。青い目が、空の星よりきらきらしてた。
ライオンは何度か足で地面を叩いた。体を確かめてるようだった。
「ふん……こんなものか」
「瞬王様に重ねてお願いがございます」
まだ跪いていたふーがが言った。
「構わぬ。申せ」
「有難く存じます」
ふーがはどこまでも堅苦しく言った。
「ここにおります童、我が学び舎の同窓にございますが、手違いにより迷い込んだ者にございます。私には世界の壁は越えられませぬ故、瞬王様の御力により還して頂きたく」
………え、もしかして俺の話してる?
ついて行けてない俺を白いライオンが見た。いや俺わかんねぇし! 見られても困るし!
「……よかろう」
「…ありがとうございます」
ふーがが、ほ、と息を吐いた。
「……なんで、ふーが」
「寝覚め悪いって言ったろ?」
ふーがが顔を上げて、にこりと笑った。
いきなり襟首捕まれてぶん投げられた。一瞬呼吸止まって、咳込みながら目を開けたらライオンの背中の上だった。え、何これ。咥えられたとかそんな感じですか。怖ッ。
「次は己で来る様要に伝えておけ」
「心得てございます」
「では行くぞ、振り落とされぬ様気をつけよ」
いきなり走り出したライオンの背中に縋り付く。落とされそうになったのは、ふーがが寸前で「またね」とかって笑ったせいだと主張しておく。切替え早ぇよお前。ちょっとびっくりしたじゃん。
すごく早かった。本気落ちるかと思った。全身でしがみついて、やっとどうにか落ち着いた。
バランス崩しそうで後ろは向けなかった。明かりのひとつもなくて、星明かりでどうにか、ここが草っ原の真ん中だってことが分かった。
ライオンは暖かかった。
体の下で、ふむ、と声がした。
「こうして駆けるも久方振りか」
これは俺返事しないと駄目な感じですか。えっでもどう返せばいいわけこれ。
「なんだ童、無口だな。ひとと話すのも久方振りだ、何か申せ」
「えーと、…その」
だから何話せばいいんだって!
名前すらうろ覚えで、ふーがが使ってた言い方を真似してみた。
「瞬王、様」
「ガルフで構わぬ、誰も咎める者もおらぬでな。どうせこれきりの縁だ、あまり畏まるでない」
「はぁ」
言った相手は、どうやら随分楽しそうだ。顔は見えないけど。
「走るのが久しぶりって、」
「…我はもう老いた。この姿は、境界の更に狭間のこの場所なればこそのかりそめのものだ。…我が長の任を任されるよりも前、野を風よりも速く駆けるを無上の喜びとし、またそう為していた頃の、な」
言い方難しい。けど、今度はなんとなく悲しそうだ。
俺は慌てて違う話題を探した。ら、逆に問いかけられた。
「ぬしはどうだ、童。…いや、まずは名を聞いておこうか」
「あ、俺は拓人」
「タクト…拓人、か。名付けたは祖父殿か?」
大当たりだ。俺は驚いてゆらゆら揺れるたてがみを見た。
「すげ…なんでわかんの?」
「仮にも獅子王の称を与えられた身、この程度読めなくて何とする」
ガルフはちょっと偉そうに言った。なんか占い師みたいだ。
そう言ったら、「一緒にするな」って怒られた。
それから散々いろんな話をした。話噛み合わせなくてあれ? ってなったりしたけど、それもおかしくて笑った。
周りには相変わらず何にもなかった。空は触ったら怪我しそうなくらいきらきらしていた。耳のすぐ横で風が渦巻いて鳴っていた。
ずっとこのままな気がした。
ふと気付いて言った。
「ガルフさ、さっきからずーっと走ってっけど疲れねぇの?」
答えまで間があった。
しかも答えですらなかった。
「帰りたいか?」
「は?」
ガルフは真剣だった。でも俺はついて行けてなかった。
「ここは時が流れぬ。我は疲れを知らず駆け続けられる。ぬしも何に煩わされることもない。死して後、魂が向かうと言う神の庭、ここは確かにそうであるともわからぬ」
そしてガルフはもう一度、帰りたいか、と訊いた。
返答は結構あっさり出た。
「帰りたい」
理由は付けられなかった。
ガルフは「そうか」と一言言って、ぐんとスピードを上げた。
「うっわ、」
「目覚めて後、ぬしが我を覚えているとは思わぬ。よくできた夢と笑うのやも知れぬ」
夢にしていいよ。
脳内スクリーンでふーがが笑った。
「だが我は忘れぬ。ここでこうして駆けたこと、再びこの地に来るまで忘れぬ」
なにかが堪らなくなって金色のたてがみに顔を埋めた。髪とたてがみと、擦れてしゃらしゃら音がした。
「拓人」
声が優しかった。返事ができなくてしがみついた手に力を込めた。
「名を呼んでくれぬか」
深呼吸をした。声が揺れないようにするのが大変だった。
「がる、ふ」
結局揺れた。
ガルフが笑った。
「息災であれと、白金の瞬王が願う。狭間の川辺で出会った、久方振りの友人に」
なんにも見えなくなった。
俺は交通事故にあったのだそうだ。
すぐ側に突っ込んで来たトラックの割れたガラスが、なんとか言う結構太い血管をざっくり切ってて、救急車が来たときにはもう意識がなかったらしい。
手術して三日、検査含めてもう一週間、ショックで自分が入院してしまったばーちゃんの見舞いと世話で更に五日。
二週間ぶりの学校は大して変わりがなかった。
野次馬なクラスメイトは全部無視して、だん! と叩いた机の持ち主を睨み付けた。
「ガルフんとこ連れてけ」
ふーがはぱちぱち瞬きをして、「…俺に言われても困るよ」と苦笑した。
ふーがに連れてってもらった店。
そこで作ってもらったストラップの先で、金色のライオンが揺れている。
…巻き込み型日和見主義者と巻き込まれた同級生。
[戻る]
無料HPエムペ!