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WestendCompany.
花連にある黒

 妹の墓には墓石はない。ただ一面の花畑があるのみだ。
 花を愛し、種から芽が出て茎を伸ばしきつく巻いた蕾が綻ぶ課程のすべてを愛しいと言った妹への配慮だ。冷たい石が上にあるよりよほどいい。
 私は久々にそこを尋ねることにした。もぎ取った一日分の休暇を、この場所でぼんやり空でも眺めて過ごすつもりだった。
 私は木立ちを抜け、そこだけ開けた花畑に足を踏み入れ、目を見開いた。
 黒い少女がそこにいた。
 この国では珍しい黒い髪に黒い瞳。装束も闇の色で、この国では珍しい足を晒すもののようだ。短く切られた髪は少年と見紛う程で、細い手足と胸の膨らみが彼女が女性であることを示していた。
 一瞬の驚きの後、私は理不尽な怒りを覚えた。今日一日休むために散々苦労して、周りを振り切って来たというのに、見知らぬ人間が妹の墓を足蹴にしているとまで思った。
 その八つ当たりめいた苛立ちのままに私は声を張った。

「そこの娘、何をしている!」

 黒い少女はゆっくりと私を振り返って、何かを呟いた。

「――――、」

 ―――何だ?
 少女はいっそ無邪気に首を傾げ、更に言葉を紡いだ。

「――――――、」

 やはりわからない。これはどこの国の言葉だ?
 眉を寄せる私を見て、少女は溜め息を吐いた。
 …まぁいい。とにかくこの場は退いてもらおう。

「疾くこの場を去れ。でなければ無理にでも退いてもらう」

 腰の剣を抜くと、少女の瞳が私を捉えた。黒い真直ぐな瞳がそこにあった。あれだけの目はなかなかない。
 次いで空を見上げ、ゆるりとひとつ首を振り、右手を軽く上げた。
 ―――がき
 金属音の後、少女は黒い柄の槍を構えていた。
 この少女、戦い慣れしている。
 私は眉間の皺を深くし、改めて剣を握った。
 それでも私は、少しこの少女を甘く見ていた。






 鈍い音を立てて、もう何度目かわからない打ち合いが始まる。
 少女は強かった。おまけに私の知るどの流派とも違う武術を修めているようだった。身のこなしは軽く、付くと決めればこちらがどれだけ距離を置こうとぴたりと付いて来て、離れるとなれば何度も宙返りを交えて一気に距離を取る。かと思えば身を翻し、一度ならず私の頭を飛び越えて死角から刃を突き出して来た。
 今もまた、とん、とんと何度か地を叩いて五歩以上離れた場所に着地する。その面は静かで涼やかで、髪一筋の乱れもないように見えた。
 反面私は息を乱していた。なるべく花を傷付けないよう剣を振るっているのだから当然だ。少女は何度目かの鍔競り合いの後、ひとつ首を傾げて見せた。その後は刃を地に付く程振るうことはなくなったように思う。
 気を使われている、そのことが私の怒りを増長させた。
 ざっ、
 少女が花を蹴立てて駆けて来るのを見て、私は歯噛みして剣を構え直した。
 決定打が欲しい。このままではこちらの神経が削られるばかりだ。
 突然少女が足を止めて空を見上げた。
 その様子があまりにも無防備で、私は釣られて空を見上げた。
 太陽を遮る影があった。
 雲ではない。雲よりも低い空を、翼持つ巨大ないきものが飛んでいた。

「あれ、は」

 竜―――!
 黒にも見える深い深い蒼の鱗を持つその竜は、首を巡らせてこちらを見ると旋回しながらこちらに降りて来た。長い首、体は大きくない。最初に巨大と思ったのは、体長に倍する翼のせいなのだろう。後脚は揺れる長い尾(これだけで体長の半分を賄っているようだ)にぴたりとつけられてどこまでがそうなのかわからなかった。
 ばさり、翼がひとつ羽ばたく度に風の塊が叩き付けられる。腕で庇った視界には平然と(茫然と)そこに佇む少女の姿があった。
 竜の目指す地がここであることに気付き、私は咄嗟に少女に叫んだ。

「逃げろ!」

 聞こえなかったのか聞く気がないのか、少女は反応を返さなかった。
 羽ばたく翼の圧で堪らず数歩下がった私の目の前に、竜が降り立った。―――少女が一歩踏み出せば、直ぐさまその体を以て華奢な体躯を無惨に潰せる程の距離に。
 そして私の目は、足が届く前に下げた竜の頭が、伸ばした少女の手に捉えられる様すら映した。
 私が思ったよりも緩やかに降り立った竜は、広げたままの皮膜の翼を少女を守るように前へ降ろした。その隙間から、少女が無表情の中にも安らいだ様子を見せて、愛しげに竜の頬を撫でるのが見えた。
 通じないことを知りながら、私は茫然と呟いた。

「―――君は、何者だ……?」

 ゆるりと首を巡らせて、竜の蒼い瞳が私を見た。

「そこな人間、私が騎士と定めし娘に文句があるのか?」

 私は思わず膝を付きたくなった。
 古より竜の言を耳にできるのは神殿の祭司長のみとされる。竜に見捨てられたと称されるこの国で、竜の言葉を聞く者などいない、筈だ。
 ―――ならば何故私にはあの竜の声が届く。
 竜に抱かれる格好の少女が私を振り返って、竜を見上げた。

「何、案ずるな。そこの戦士には私の声が届くらしい」

 明確な驚きの表情で少女が私を振り返った。そうして見れば、謎ばかり突出した少女はなるほど美しい。
 半ば現実から逃げるように少女を見ていた私は、「ところで」という竜の台詞にはっと焦点を合わせた。

「戦士よ。何故我が騎士に刃を向ける。―――事と次第によっては私が相手になるぞ?」

 そうして翼を広げた竜に、私は戦慄した。

「私はっ、…妹の墓に他人が土足で踏み入れるのが、」

「墓? …ふん、なるほどな。なればそう言えばよかろう。人間のその良く回る舌は繰り言のためだけのものか?」

「カーリュース」

 りん、とその場に少女の声が響いた。
 竜が首を巡らせて、私は全身で息を吐いた。知らず止めていた呼吸が荒い。

「言葉が通じない?」

 少女と何事か話していた竜はそう言って、人間はこれだから等とぶつぶつ呟いていた。
 竜の首に手をかけた少女がぺこりと頭を下げた。それを見て、竜が嫌そうに言う。

「…墓とは知らず入り込んですまなかった、荒らしたことお前に刃を向けたことは幾重にも侘びよう、だそうだ」

「それはこちらもだ。我が国で竜は神の弟、その竜が騎士と成した方に、言葉が通じぬとはいえこちらの勝手な事情で仇成そうとしたこと、どうか許して頂きたい。…そう騎士殿にお伝え願えるか」

 竜は鼻を鳴らしたが、私の言葉を少女に伝えてくれたようだった。
 また何事か話し込む一人と一匹を視界に入れながら、私は溜め息を吐いた。まったく、突出しすぎた出来事には返って冷静になってしまうというのは真実のようだ。当たり前に竜と言葉を交わし、あまつさえ頼み事すらして見せる自分に呆れを通り越して笑みさえ漏れる。
 と、少女がふわりと竜の背に乗った。

「私達は急ぐ身でな。どちらが侘びるにしろ時が足りぬ。またこの国へ来る時があれば寄ることもあるだろうが、まぁ期待せぬで待つがいい」

 最後まで表情らしい表情を見せなかった少女が竜の背から私を見ていた。いや、驚いた顔は見た、か。
 私は唇に笑みを乗せた。

「―――必ず、来てくれ。できれば貴方がたとは友人でいたい。……私はユグリス国のアリュード・ガナ・ベスタ、どうかアルと読んでくれ」

 少女はぱちりとひとつ瞬いて、竜に何か耳打ちした。
 竜はどうやら笑ったようだった。

「私はカーリュース、この娘は凪という。さらばだ、変わり者の王よ」

 何度か羽ばたいた竜は、あっという間に見えなくなった。
 残された私は苦笑した。

「……ばれていたか」

 足元の花を撫でる。散った花は多いが、また花は咲くだろう。私が死んであのナギという少女が死んで、長寿と言われる竜が死んでも、花は変わらず咲くだろう。

「ナギ、か」

 竜の背に乗ることを許された少女。

「お前も気に入るかな」

 呟いて、私は昼寝を決め込むことにした。





…恋ではないけど、そのくろに憧れに似て惹かれた。



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