WestendCompany.
3.夜
18:14p.m.
空は既に濃紺を写し、日は沈み切って微かに西の地平線を橙に縁取るのみとなった。
周りに人工物の何もない道を、二頭立ての馬車が走る。
御者台に座るのは少年だった。手綱を右手に握り、左手は細長い布包みを抱えている。行く手を見据えるきつい瞳と少しなびく髪は、闇に溶けない光を放ちながら尚黒い。
ぱちん、と少年の背後の覗き窓が開き、中から鮮やかな緑の瞳が覗いた。
「直刃さん、代わりましょうか?」
「ん…や、いい。止めるのめんどくさい」
よく分からない怠惰な台詞を吐いた直刃に、緑の瞳の少年は「そうですか」と返して覗き窓を閉めた。
「……もうすぐ、だよ」
そう呟いた声に、緑の瞳の少年は隣りに座った少女の顔を覗き込んだ。
黒く短い髪は直刃と殆ど長さが変わらない。纏うのは黒のドレス、肩と胸を覆って腰で二つに分かたれ、間からはたっぷりとした純白のレースが重ねられている。黒い長手袋に包まれた手が自らの頭を抱えていた。顔面は血の気が失せて白い。
少年がそっと少女の名を呼ぶ。
「…相里さん」
「ん…大丈夫、ほんとにつらいのはあたしじゃない」
ていうかリークだってキツいっしょ?
中途半端に良過ぎる耳を持つ少女は、下手な笑みを浮かべて、義理の弟にして自分に最も近しい能力を持つ少年を見た。
リークと呼ばれた少年が、悲しげに俯く。
「…僕は、相里さんのように、全部を聞くことができるわけではありませんから」
その柔らかな金の髪に、そっと手が乗せられる。
手の持ち主は平凡な黒の燕尾服を着た顔色のあまり良くない青年で、顔を上げたリークに人のよさそうな笑みを向けた。
「聞こえるのも聞こえないのもキツいよな。つらいのを見てるだけはつらいけど、お前はそこに存在するだけで相里を救ってるよ」
そう言って一度手を離し、今度は二人に向けてにっこりと笑った。
「気楽に行こうよ。俺達のやることは後方支援、下手打ったら囮だ。せいぜいいいカモに見られる努力くらいしかすることないよ」
「慧」
咎めたのは慧一郎の横に座った女性だった。
浅葱色の丈の短い上着に白いドレス、髪は結わず、顔の右に水色と緑の玉の嵌まった髪飾り、装飾らしい装飾はそれだけだった。
覗き窓が、外からぱちんと開いた。
「少しは気ィ張ってもらわないと、俺が困るんですけどね」
半眼で睨む弟に軽い口調で謝って、慧一郎は自分の足に頬杖をついた。
「俺はねぇ直刃、お前らはちょっと頑張りすぎだと思うんだ。
これだけ人がいるんだ、全員百の力出してたら行き過ぎて結局駄目になる」
そう思わない? と問われて、直刃は兄を睨んでいた目を少し逸らして呟いた。
「……それでも手は抜きたくない」
ぱちん、と閉められた覗き窓を見て慧一郎と水輪は溜め息を吐いた。
「…結局、力が足りないのが怖いだけね」
「怖がりは変わんないなーあいつ」
馬車の中に微かな痛みを降らせて、それでも馬車は進む。
19:30p.m.
パーティが始まってしばし、会場の大広間は、表面上は楽しげなさざめきに満ちていた。
軍服に似せた上着の房飾りをいじりながら、由夢がひとつ溜め息を落とした。
「…っはー……ひーまー……」
由夢が半ば腰掛けるような形で体重を預けている椅子の背、その座面に座った弘怜が、後方の由夢に目を向けないままで応じた。
「踊ってくれば? …そろそろ始まるだろ?」
「冗談。ワルツ苦手だし男性側のステップ分かんない」
「せめて女性やれよ…」
弘怜が溜め息を吐くと、周りから感嘆の溜め息が漏れ、由夢と弘怜の双方がそちらを睨み付けたいのを堪える羽目になった。
ドレスで着飾るのを断固拒否した由夢は、軍服に似せたリオお手製の薄藍の「正装」を身に付けていた。女性にしては少々高い身長で、下手な仮装となるのは避けられている。髪は首の後ろで括り、手入れのよくない黒が乱雑に照明を跳ね返していた。必要以上に鋭い目と相俟って、親の七光で軍籍を賜った子爵達よりもよほど堂々として見える。目付きが悪いのは緊張のためだが、会場の八割は誤魔化されていた。
そして弘怜。
右側頭部の髪を重量に逆らって跳ね上げさせ、紫の薔薇を都合五つは頭に飾られた弘怜は、一言で言うと、女装していた。
首を緩く巻いたショールで隠し、手の形は手袋で誤魔化し。ドレスはいっそ夜着だと言っても差し支えない白の薄物、肩に引っ掛けたマントには、両肩に薔薇をあしらってある。マントの布地も薔薇も、色の濃淡はあれど全て紫。
弘怜と由夢の「正装」を一手に引き受けたのはリオである。由夢はともかく、弘怜の格好は完全にリオの趣味だった。
リオの楽しみをわざわざ邪魔して地獄を見たいとは思わなかった弘怜は、内心大泣きしながらリオの好きにさせた。
結果、由夢の男装は早々に噂となり、その横にいる弘怜が男性か女性かについての議論が、密やかに、その実本人達には筒抜けでなされていた。
遠巻きにされた二人に近付く小柄な影が二つあった。
従者として二人に同行した律暉と郎暉が、硬質な光を宿した瞳で二人を見た。
「一通り見回って来ました」
「リストのうち三人が遅れるらしいです」
肘置きに頬杖をついて、弘怜がちらりと二人を見る。
「開始は」
「十時です」
郎暉が答えると、はッ、と由夢が空を仰いだ。
「嘘でしょ、今何時だと思ってんの。うーわもっと後に来るんだった」
「そしたら目立つじゃん」
弘怜がさらりと答えると、郎暉が苦笑して言った。
「…どっちにしろ、この状況じゃあんまり変わんないですけどね」
弘怜は目線を逸らした。
その先に後輩達の姿を認め、由夢が溜め息を吐く。
「あーあ。…向こう行ったら駄目なんでしょ?」
「知り合いだってばれたら、どっちか捕まったとき芋蔓で目ぇ付けられる。やばそうな可能性は全部潰すべきだよ」
とはいえ、と弘怜が苦笑して三人を見回した。
「外回りも内部も、見回りの手は足りてる。…歌でも歌おうか」
「それこそ目立つでしょうよ」
由夢が髪型を崩さないように弘怜を小突いた。
そしてゆるゆると時間が過ぎ。
知る者も知らぬ者も、少なくとも表面上はパーティを楽しみ。
時計の針がもうすぐ十と十二を示そうという頃、あすかが画面の前でカウントダウンを始めた。
五、
四、
三、
二、
一、
…理と世界の回り方を覆す。
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