WestendCompany.
毒のために腐らない国
葛樹学園高等部。
ある朝のこと。
「…まぁ要するに、君らの行動は我が校の校則と校訓に反しているわけだ」
分かるね? と素晴らしいほどの笑顔で言われて、呼び出された四名のうち唯一の男子生徒が口を開いた。
四人揃ってのいっそきらびやかな黒髪黒瞳、肩まで伸びたそれを鬱陶しいと言わんばかりにおざなりに括って、酷く整った顔立ちの少年は、割とどうでもよさそうに呟いた。
「…今時珍しすぎる生徒会長だ…」
新学期早々に生徒会室に呼び出された人間とは思えないほどにふてぶてしいその様子に、隣りの女子生徒が小声で窘めた。少年と同じく肩までの髪を、バレッタで留めて項を晒している。
「凜っ」
「ごめん帰りたい」
「理由になるか馬鹿者」
逆隣りの、少年そっくりの顔をした少女が、少年の頭をべしんと叩いた。艶やかな黒髪をばっさりと切っていること以外は、髪の艶から背格好、瞳の煌めき方まで少年と瓜二つである。
もう一人はというと、真面目に聞いているふりをしながら自分の世界に飛んでいた。曰く、今度のイベント予定合わなそうだな誰かに頼んで買ってきてもらおうかな以下略。緩く波打つツインテールには三つ編みが幾つか混じり、大きな瞳に桜色の唇、細く白い四肢、およそ多感な思春期の男子高校生が放っておかない容姿だが、悲しいかな本人に現実の恋愛をする意欲がまるで見られない。
生徒会長は始終にこにこにこにこにこにこしている。しかしなぜか手には鞭。
現実逃避中の一名を除く三人は同時に思った。このひとこわい。
「五十嵐凜、刻由捺奈、亜苦夜凪、稲句あすか。
今後もこんなことが続くようなら、こちらとしても相応の対処をしなければならないのだけど」
相変わらずの笑顔で言われて、凪が溜め息を吐いた。
「…すいませんこの馬鹿が飽きてきてるんで簡潔に言ってもらえ、」
嫌そうに口を開き、突然ぶつりと台詞を切る。
一瞬後には凜と凪が乱暴に扉を開けて外へ走り出していた。
「あーんもー…」
「行ってらっしゃーい」
茫然とする生徒会メンバーを余所に、捺奈は溜め息を吐き、あすかはにこやかに手を振った。
凜と凪は屋上に駆け込んだ。
そしてすぐに給水塔の上に登ると、だんっ、と凜が手のひらで給水塔を叩いた。
その手を中心に浮かび上がる、緑に光る魔法円。
「エスト、ラリク、描かれたのは夢の御名、、ずれた世界と世界の壁、裂け目を噛んだ魔力の礎、築かれた門、築いた者の名はナズナ、我等はその信託を受けし者、放たれた銀紗は道となる、我等の手の中の玉を標として…!」
言いながら、凜の手には拳銃があった。凪の手には槍。
そこに人がいたことが嘘のように、二人の姿が消えた。
学園のある世界と隣り合わせの異界。
その奥深い森の一つに、二人分の存在が増えた。
足が地を踏むと同時に、凪が走り出す。
同じ軌道上を凜が投げた短刀が追い、追い越して、繁みの向こう側の黒い影に突き刺さった。
それは黒い影としか呼び様のないもので、一見すると頭の大きすぎる猫の影絵のような、世界をその形に切り取ったような、しかしそれは確かに質量を持ってそこに存在していた。
耳障りな叫びを上げたそれの背を凪が撥ね上げた槍の穂先が深く斬り裂く。また叫び声。ぱっくりと開いた傷口は、血を流すこともなくただ黒く割れていた。
少し遅れて凪に追い付いた凜は、間髪入れずに頭部に照準を合わせた。
弾丸の発射音でどこかの木から鳥が飛び立った。
ざらざらと音立てて、黒い影が崩れて消えた。
隣り合わせの異界のもう一方。
生徒会室では、生徒会長が突然倒れていた。
「はぁいちょっと黙ってて?」
さり気なくあすかが椅子でバリケードを作った横で、捺奈が生徒会長の側に膝を付いた。
生徒会メンバーの一人が色めき立つ。
「貴様、会長に何を…!」
「うん素で貴様とか言うのやめて? 高校の時点でそれとかろくな人生歩めないよ? つーかそれ以前に頼むから救命活動に入ろうとしてることに気付いて」
さり気に差別発言をしながら、捺奈は倒れた生徒会長に片手を翳した。
その手がぼぅっと光る。
「…憂えた世界の末路を、手と手繋ぎ歌い踊りて、神と共に見届けるは、夢見るもの、築くもの、世界の破壊者とうつしみの造形主、手のひらの上で踊り躍り、ひとつの中の幾千が叫ぶは希望と絶望と太陽と月のうた」
翳した手を退けて、捺奈は「保健室へ」と言った。慌てて何人かが生徒会長に駆け寄る。
椅子のバリケードを退かし始めた捺奈とあすかに向けて、生徒会長を抱えた一人が怒鳴った。
「追って沙汰は伝える! 首を洗って待ってろ!」
言うだけ言って廊下に消える。
「…だからそれやめてってば…」
溜め息をついた捺奈の手には、黒ずんだ液体の入った切り子の瓶が握られていた。
王は削げた頬で「頼みがある」と言った。
謁見の間に立った凜、凪、あすか、捺奈は、ただ真直ぐに王を見上げた。
王は語る。曰く、数百年前(と言ってもこの王国ができる前と言うのだから千年前の方が近いだろう)からこの世界のそこかしこで黒い影が現れる。倒せなくはないのだが、先王の時代よりその数が爆発的に増えた。その原因を探り、できれば根を絶って欲しい、と。
凜と凪は重臣達の疑いの目をことごとく無視して勝手に退室し、あすかはそれを追い、捺奈は臣下の礼をとって「承りました」と言った。
それが二週間前だ。
一週間後、四人の姿は葛樹学園の敷地内にあった。
その場所が、ふたつの世界の接触点だった。
影の源は人の「思い」だ。
強い人の感情(往々にして負の感情であることが多い)が影を形成し、どういう加減か酷く近付いたもうひとつの世界に実体化する。
よって、影を元から絶つには、影を形成する原因となった感情の持ち主を、もうひとつの世界から切り離す必要がある。ただ切り離すだけでは影は極端に凶暴化するので、一度影を倒す必要も生じる。
そういう事情から、影を倒すのは凜と凪、影の宿主に封印を施して世界からの切り離しを行うのは捺奈という役割分担ができた。あすかは言い訳係(突然駆け出す凜と凪のフォロー、及び学校の監視カメラの誤魔化し)である。
…だが流石に、ここまで授業を抜け出す回数が多いと、フォローのしようもない。
後日四人は史学準備室の罰掃除を言い渡された。
箒を動かす手を止めずに凪が呟いた。
「平和になったら同じになるんだろうね」
酢でも飲んだような顔をしたのは捺奈だけで、凜は掃除の手を休めなかったし、あすかはいつもの顔で凪を振り返っただけだった。
影の脅威が消えれば、王国は栄えるだろう。
影が二度と現れなければ、王国は影のことを忘れるだろう。
発展を続ける王国が行き着く先は、ここに存在するこの世界、だろう。
どうなるかは目に見えている。堕ちて行くのは止められない。そこまでは四人は立ち入れない。
彼等は知らないだけだ。
四人は知っている。
捺奈は縋るように箒を握った。
「……分かってるよ。救えないこと、あたしたちが英雄になれないこと、よく分かってる」
言いながらも、その顔は泣きそうに歪んでいた。
こちらとあちらはじきに崩壊する。引き金を引いたのは自分達だ。英雄になれようはずもない。
凪は塵取りで埃を集めた。
「あんたが気にすることじゃない。あたしたちは願いを叶えるだけ。
どちらにしろ、こちらもあちらもあたしたちの世界じゃない」
凪は塵取りの中身をゴミ箱に空ける。
埃の中に混じっていた消しゴムが、ゴミ箱の底に当たって鈍い音を立てた。
じきに世界と世界の癒着を引き剥す準備が整う。影が現れることはなくなるだろう。
王国、及び世界の発展と衰退は、彼等の知るところではない。
…二人と一人が絶望を通り越し、一人は世界をふたつぶん見捨てることに決めた。
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