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スリーピングデイズ2



2.




放課後、部活動見学に行かないかという誘いを断って、ときやは屋上にいた。
誰の姿も無い屋上は閑散としていて、時折少し冷たい風が吹き抜けていく。
瑠璃色の空に千切れ雲が浮かび、風に流されては虹色の光を遊ばせている。
フェンスに身を預け、ときやはカフェオレの残りを飲みながら、空を眺めていた。野球部か陸上部か、それともサッカー部だろうか。マラソンの掛け声が遠い。
ときやは眼を閉じると深呼吸した。肺を空気でいっぱいにすると、細く長く吐き出す。瞳の裏に映るのは眼に焼き付けた蒼穹だ。
ふと異なるものの気配を感じ、ときやは視界を地上に下ろす。グラウンドの端の木陰に眼をやれば、オレンジが見えた。一護だ、と気付くと、ときやはしゃがみ込んで眼を凝らす。一護の視線の先にいるのは子どもだった。そのまま凝視すれば、子どもはチカチカと赤や紫や緑色を纏い始める。
これはときやの人間とそうでないもの見分け方だった。つまり一護は俗に言う幽霊と会話していると言うことになる。酷く優しげに、しゃがみ込んで子どもに目線まで合わせて。
ときやは計らずしも彼のプライベートを覗き見してしまったような罪悪感を感じたが、それよりも野次馬根性が湧き上がった。彼は幽霊が見えるのだ。ときやと同じように。
もしかしたらあのオレンジの髪の色が、ときやの瞳と同じ意味を持つのかもしれないと思い当たる。しかしこれは憶測でしかない。
後頭部が陥没した子どもは一護に笑顔を向けると、小さく手を振り消えた。微かな光の粒子は子どもが浄化されたことを表している。子どもは満足し、この世に残した未練を断ち切ったのだろう。きらきらきら。十数秒で消えた儚い光の鎖をじっと見詰めながら、一護は口惜しげに顔を歪めた。あの子どもが死ぬ前に出会いたかったとでもいうのだろうか。引き結ばれた口がその可能性を物語っているように思えたが、ときやにはそれが不思議でならない。死んでから、その想いを救ってくれる人間と出会えるなど、奇跡に近いのではないか思うからだ。
実際、ときやは例え彼らを見ることが出来ても、アクションを起こすことは殆ど無い。ちょっかいを掛けられる事はあっても、係わり合いたくないという気持ちがときやの根底に座している。
見えるだけで仲間外れなのだ。それ以上であって、いい事などあるはずも無い。
ときやは一護が見えなくなるまで見送って、そのままずるずるとコンクリートの上に座り込んだ。
どうして小さい頃から色々なものが見えたのか、その答えはない。疑問に思っていたって、答えをくれる人間はいなかったし、そもそもそれを知られてしまったら、そんな疑問を話せる人間も周りには居なくなった。
父親は小さい頃からいなかったし、母親は事故で亡くしてしまった。あの忌々しい事故は、ときやの眼だけでなく、人生を変えてしまったのだ。
ぶるりと身震いし、ときやは自分の身体を抱きこむように両腕をきつく掴む。
空が落ちてきそうな圧迫感を感じ、ときやはぎゅっと眼を瞑って俯いた。何かが出てこようとしている。強大で恐ろしいものが、近くに。そんな錯覚に襲われ、ときやは上手く息が出来ず、はっはっと短い息を繰り返す。冷や汗がじわりを浮かんだ。
唇を噛み締めたとき、ときやを何かあたたかいものが包み込んだ。それとほぼ同時に恐ろしい気配が消え去り、ときやは滲んだ視界の先に赤と黒のコントラストを見る。

「大丈夫かよ」

耳に馴染む声にのろのろと顔を上げれば、猩々緋が眩しく映り、ときやは眼を細めた。
ときやを心配そうに覗き込んでいる青年は、漆黒の着物に身を包んでいた。髪は長く、後頭部の高い位置で一纏めにされており、額にはゴールが鎮座している。眉の上から額にかけての刺青が特徴的だった。

「…れんじ?」

ぽつりと漏れ出したような呟きに、おう、と短く返事をして、れんじ―阿散井恋次―はニィっと笑う。そして、ときやの顔を両掌で包むと、呆れたような顔をした。

「ひっでぇ顔してんなぁ」
「は?―え?何で恋次がここにいるの」
「いや、近くに出るって情報を掴んだからよ、お前がまた泣いてるんじゃないかって思ってよ」

その言葉に、ときやはむぅと口を尖らせる。

「泣いてなんかいない」
「でも、もう一歩ってとこだろ?泣き虫のくせに無理すんじゃねぇよ」
「無理もしてない。それより…出るって、何が?」

確かめるかのような声の響きに、恋次ははっとしたように一瞬だけ動きを止め、すぐに笑みを取り繕うと、ぐしゃぐしゃとときやの頭を乱暴に撫で回す。

「お前が心配するようなもんじゃねぇよ。現に、出てこなかったしな。取り越し苦労ってやつさ」
「…本当に、心配ないんだろうな?」
「しつけーな、そんなつまんねぇ嘘吐くかよ」

ときやは恋次の着物の袖をぎゅっと握り締めると、怒ったように言う。

「あんなのがまた出たら、また恋次は剣を振るうんだろう?また怪我をするかもしれないんだろう?心配するに決まってるじゃないか!」

その怒声に驚き、ぽかんと口を開けて間が抜けた顔を晒した恋次に、ときやは尚も続ける。

「わたしは恋次が傷付くのは見たくない」
「戦いに身を置くのが使命だ。その為の鍛錬だってしてるし、多少の傷ならなんとも思わねぇ。危険なやつらを野放しには出来ないし、お前みたいなやつを増やしたくない。俺はお前を守るって、誓ったんだ」
「でもっ」
「でも、だって、は聞き飽きた」

鼻の頭を指で抓まれて、ときやはふぁ!?と小さな声を上げる。

「俺は戦いを恐れねぇ。寧ろ己を高めるのが愉しいとさえ思う。相手が強ければ強いほど、俺は気分が高揚するんだよ。だが、それに犠牲はあっちゃいけねぇと思ってる。取り返しがつかないもんなら尚更だ」
「…わたしは、…怖いな。自分が傷付くのも他人が傷付くのも」
「どちらかを選ばなけりゃならない時だってある。でも、安心しろよ、俺が居る限りお前にそんな時は訪れない」

恋次は大きく笑うと、もう一度ときやの頭を撫でた。

「わたしは恋次に守って欲しいわけじゃないよ」
「そうかよ」
「そうだ。わたしは恋次を傷付けたいわけじゃないんだ」

そう言って、ときやは俯いた。言っていて段々と情けなくなってしまって、視界が滲むのを感じたからだ。傷付けたくなくたって、ときやは何も出来ない。そういったものが近付いてきても、ときやは蹲ったまま何も出来ないのだ。
恋次はそんなことはお見通しなのだろう。ときやの前で、恋次は笑っている。あの時から、恋次はときやを不安にさせないように、どんな時でも笑っていてくれる。

「ばーか。お前がそんなこと思う必要ねーんだよ」

がっと顔を掴まれて、ときやは乱暴に上を向かされた。目と鼻の先に恋次の顔があり、ときやは息を詰める。髪と同じ色の瞳に見入り、涙が出そうになった。

阿散井恋次は人間ではない。 阿散井恋次は死神だ。死神という言葉に始めはピンとこなかったが、恋次曰く、現世と霊界の均衡を保つ世界の調整者であるらしい。人間達が住む現世を守護してくれているそうだ。死覇装と呼ばれる黒い着物に身を包み、斬魄刀と呼ばれる刀を帯刀している。
死神にも色々あって、学校や貴族や、階級だなんてものが存在するらしい。詳しくは話せないが、といって、恋次はときやに少しだけ死神について話してくれたことがあった。死神というものが存在すること自体に驚いたことを覚えている。
数年前の事故でときやは母親を亡くし、傷を負った。その時助けてくれたのが恋次だった。恋次もときやを庇って傷を負った。目の前で散った赤を、ときやは未だに忘れられないでいる。

「恋次は優しいんだよ。パッと見怖いくせに」
「喧嘩売ってんのか?」
「ぶっきら棒な物言いも、不器用なだけだもんね。ありがとう、感謝してる」
「…なんだよ、気持ち悪ぃな」

身体を引いた恋次の髪の毛を引っ張り、ときやは唇を尖らす。そして、痛い痛い!と喚く恋次を軽く睨み、陽の光を跳ね返すゴーグルを見た。その様が記憶の中の振りかざされ、光を受け煌いた刀身に重なり、ときやは身震いする。そんなときやの心の内を知ってか知らずか、恋次は少しだけ眉を寄せてときやを抱き寄せた。そして、背中を擦る。無骨な手なのに、あたたかく労わるような優しさを持っていて、胸が締め付けられるような気がした。
ときやは恋次の胸に顔を埋めて鼻を啜る。
もしときやに戦うという勇気があったなら、逃げるという勇気があったなら何かが変わったのだろうか。蹲り固まって目の前の光景を受け入れることも出来ず、ただ無様に泣いていたあの時の自分をどうにか出来たなら。そんなことを思っても、今のときやだって、何も出来ないままだ。何かをする勇気を持てないまま立ち尽くしている。

「恋次、どうしたらわたしは強くなれるのだろうか。怖いんだ。何かをすることが。どうなるかなんて何にも解らないのに、どうしてかすごく怖いんだ。そんな自分が情けないと思うのに、何もしないことが平和で、どうしようもないんだ」
「もし、お前が本気で何かをしたいと思うなら、怖くたってなんだって、動いてみろよ。間違ったって、失敗したって、いいじゃねぇか。叱られても莫迦にされてもいいじゃねぇか。そうするべきだと思ったことが出来なかったら、絶対悔やむ。やらなくて駄目だった時よりも、やってだめだった時の方が諦めがつくだろ。後悔だけはするな。もし現状維持が一番だと思ったって、その現状を維持するためにしなくちゃならないことはあると思うぜ」
「嫌われたらどうしたらいい。わたしは他人の目が怖い」
「…お前は、世界中の人間全員に好かれたいのか?そんなんは土台無理だ。取り繕って生きるのか?そんな生活いつか破綻する。そもそも、殆どの人間はお前のことを見ていないと思え。お前のことをちゃんと見てくれる奴なんか、ほんの一握りしかいない。そういう人間のことを大切にしろよ。その他大勢なんかどうでもいいだろ」
「…そう、かな」
「そうだ。ただ、困ってる奴がいて、助けられそうなら助けてやれ。無理だと思ったら初めから手を出すな。途中で差し出した手を引っ込めるほど無慈悲なものはねぇからな」

恋次は、と死覇装を掴む手に力を込めて、ときやは続けた。

「どうして怖いと思わないんだ。敵わないものだってあるだろう」
「…俺には、目標がある。やりたいこともある。俺には、それがあるからな。…ときやは、まだそれに出会ってないだけだ。きっと出会えるさ、夢中になったり、目標にしたり、自分の全てを懸けても惜しくはないと思える何かに」

そうだろうか。ときやは心の中で呟く。もしかしたら一生出会えないかもしれないじゃないか。卑屈な自分が希望を持ち掛けた自分を嘲笑うのだ。

「でも…」
「でも、だっては聞き飽きたって」

ぎゅう、と、抱き締めた腕に力を込めて、恋次は喉で笑う。その振動を身体で感じ取り、ときやはむっとしたが、次の恋次の言葉に涙が頬を伝わるのを堪え切れなかった。

「俺はお前の味方だから、それだけは忘れんな。少なくとも俺はお前のことを見ててやるから、怖くたってなんだってやってみろよ。失敗しても笑われても、貶されても叱られたって、お前は死ぬわけじゃない。もしかしたら出来るかもしれないことを、出来ない想像だけしてやらないのは勿体無いぜ。お前が望むなら叱咤激励してやるし、愚痴も聞いてやる、笑い話は一緒に笑ってやるよ。だから忘れるな、お前は一人じゃない。少なくとも、俺はいる。ずっといてやるから」
「…嘘吐き」
「ああぁ?」
「傍にいてくれるならずっと居てよ。家に居てよ。ただいまって言ったらおかえりって言ってよ。
居てくれないじゃん、うそつき」

ぼろぼろと涙が零れた。八つ当たりだということは解っていたが、止まらなかった。

「居てやりたいが、そうもいかねぇことは解ってんだろうが」
「…わかってるよ。ホントはこんなに頻回にわたしに会いに来ちゃいけない事だってわかってるさ。死神は干渉してはいけない…んだよね。それでも恋次はこうして何かある毎に来てくれる…わたしの味方だから」
「…わかってんじゃねーか」
「うん。…うん。知ってるよ」

でも淋しいんだよ。口に出しかけた言葉を、何とか押し留めて、ときやは口を引き結ぶ。音にしてはいけないと解っていた。虚しさを増長させるだけで、誰も幸せにしない言葉だ。

「ごめんね恋次」

謝れば、恋次は少しだけ困ったような顔をして、それでも笑った。
笑顔を強要しているような気分になって、ときやは心の中でだけもう一度謝る。

「もう、恋次、だいすき!!」

ぎゅうっと力任せに抱き着いて胸元に顔を押し付ければ、恋次が頭を撫でてくれるのは知っていた。
この時間がずっと続けばいいのに。
ときやは、そう願わずにはいられない。










( この言葉は誰も幸せにしない )








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