[携帯モード] [URL送信]
雷霆に消える


白粉の匂いが鼻孔を擽る。
衣が擦れる音が耳に入り、気まずさが増した。
恐縮するように俯いて、手持ち無沙汰に再び視線を彷徨わせ、目の前に座る背中を眺める。
行灯の灯りは部屋の中をぼんやりと照らし、鏡に向かう女の姿に艶やかさを加えていた。
流れるような黒髪を束ねる手の白さにぎょっとして、土井半助は開けかけた口を引き結んだ。
あれは偽物だ。知っているからこそ余計胸の内がざわつく。落ち着かない。
此処に女など―更に言えば美しい女など存在しない。白い項が艷であるなど、鏡と闇が魅せる幻想だ。
――大体、町娘などという設定は、無理があると再三抗議したのだ。だが聞く耳持たず、最後には気迫で圧されてしまった。元より教師としても人間としても若輩者の半助が彼に敵うはずもない。
対等で在りたいと思う。いや、彼は対等に扱ってくれるが―それは彼の、伝蔵の配慮でしかない。
忍の力量に年齢は関係無いとは思っているものの、技量にはどうしても経験の差というものが現れる。
―思考がぶれた、と半助は眉を寄せた。丁度鏡の中の女が唇に紅を指すところだったので、半助の瞳はますます険を帯びる。
はぁ、と、溜め息が闇に濃く残った。

「あんたね、いい加減にしなさいよ。さっきから、何だってんです、鬱陶しい。大体、あんたが嫌だと言うから私がこうして腕を振るってるんでしょうに」

鏡の中の女が振り返り――半助を認めた。その顔を視界に納めてしまい、半助は小さく悲鳴をあげる。それは仕方無いことに思えた。半助を見やったのは、髭の剃り跡も生々しい、白塗りの化物だったからだ。
化物―女装した山田伝蔵のことを指す―に耐性が幾らかあるとしても、やはり不意打ちは堪える。伝蔵の拳を頭で受けながら、半助は苦く思った。
納得いかない。女装など必要な忍務ではなかったはずだ。それを嬉々として提案した人物が、何を言っているのだろうか。
半助は伝蔵を―伝子さんを恨みがましく見上げ、また視線を逸らした。

「何で女装など」
「盗賊が襲うのは女子供と決まっておる。お前のようなひょろっこい男も、金目のものを身に付けているなら襲うかもしれんがね」

棘のある言葉に、半助はむぅと口を尖らせた。

「したいから、するくせに」

ぼそりと呟いた言葉は確りと伝蔵―いや、伝子さんの耳に届いていたようで、半助はもう一度、頭に拳骨を喰らうことになる。半助とて忍の耳が聴き逃すわけがないと解っていて言ったのだが、それにしては痛かった。容赦の無い一撃に、じんと眼の奥が痺れる感じがした。

「いい加減、諦めなさい」

伝子さんは言った。それが、伝蔵の女装癖についてなのか、伝子さんに付き合わざるを得ない立ち位置にいることについてなのか、半助には解らなかった。解らなかったが、伝子さんの鏡越しの視線がとても恐ろしく感じた。

「――いや、諦めるとは違うか。認めなさい」
「何をです」

半助は自分の声が掠れていることに気が付いた。だが、その理由までは、やはり解らなかった。
鏡の中では女の白い顔に、紅だけが浮き上がっている。あの紅が言葉を紡いでいるのだ。
顏が白く浮き立つ。闇の黒との明暗でくっきりと輪郭が解りそうなものだが、視界の中の境界はぼんやりとしていて酷く曖昧だ。

「知らぬ存ぜぬとしらを切り続けるのも結構だがね、それも存外辛いものだと私は思いますよ」
「何を、嘯きます。私が知らぬ心の内を、他人な貴方が暴きますか。見えぬ尻尾を掴んでいると、得意気になるのは愚者のやることでは」

口数多く威勢を張ってみても、半助の背筋は冷えたままだ。
塗り欠けの紅が恐ろしい。だからといって完成させたいわけでもない。

「言葉が過ぎるぞ、半助」

ぴしゃりと一言で半助を威圧した伝蔵の声に女は居ないというのに、着物の右裾を掴んだ左の指先は正しく女の動作だった。

「認めて、確認せんと、それが何なのか解らない。解らないものを己の内に住まわせておくなど、あんた、気持ち悪くないのかね」
「…わたしは」

思わずすがった着物の裾は滑らかで、上等なものだと解る。近くで見ればその筋張った手の甲も飛び出た喉仏も低い声だとて男の物でしか有り得ないのに、暗闇の中で、鏡の中で、遠目では彼は彼女でしか無くなるのだ。

「わたしは、」

まやかしに動揺するなど、まだまだ半人前であるという証しにしかならない。それを受け止めようと直視する度半助は尻込みし、自分の不甲斐なさに戦く。

「自分の長所・短所を弁えておかなくてはいつか足元を掬われる。傲り昂ることも怖れ怯えることもならんと教えてるのはあんたじゃなかったか」
「私は、……名前をつけたくないのです。それが私の中に在ること自体を認めたくない、のだと思います」
「…そうか」

そうだ。伝子さんに伝えられるまで半助はそれの本質に気付かなかった。いっそのこと、気付かないままで良かった。それをわざわざ伝えたのは多分、伝子さんの優しさであり厳しさなのだろう。

「(これだから老獪は獰悪なのだ)」

伝子さんの呆れと憐憫を含んだ眼差しに晒され、半助は居たたまれなくなった。













2011/08/21-
久々に落乱。
伝子さんと半助。
中々書けなくて放置してはちょこちょこ書いてたやつ。
無自覚半助と悟ってる伝子さん。
気力が回復したら続きを書きたいかも。









[*][#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!