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羊水に帰す胎動


階段を足早に駆け降り、路地に出ると四木の手は静かに敏樹から離れた。数歩の遅れは更に大きくなり、敏樹は誰かに連絡をとる四木の背中をぼんやりと見詰める。
また、失望させたのだろうか。それとも、最早失う望みすらないのだろうか。考えて、じわりと滲んだ視界を、慌ててクリアにする。泣いたら負けだ。それは敏樹が自分に課したルールだ。そうして挫けそうになる自分を律する。解放を求める弱さを押し止める。決して、泣いてすがれる相手が居ないからでないと、敏樹は自分に言い聞かせる。それもまた強さなのだと。
敏樹は右腕を見下ろし、解け掛けた包帯の端をきつく引く。傷口に爪をたてる勇気はなく、少しばかりの自虐心が、ちりりと心臓に火傷を負わす。

「(四木さん、俺はどうすれば善かったんだろう。あの理不尽な暴力を受け入れれば良かったのかな。止めてと叫ばなきゃ良かったのか、声をあげて泣けば良かったのか、それともとうさんと呼ばなきゃ良かったのか。俺は今でも解らない。たぶん、一生解らない。でも、俺はきっと考え続ける、あのひとたちに囚われ続ける。
四木さん。俺はあのひとたちに愛されていたんだろうか。家族だと認めてもらえていたんだろうか。あんなんだけど、俺の家族はあのひとたちだけだった。だけど確かに家族だったのか、俺には良くわからなかった。
ねぇ、しきさん。)」

あ、ダメだ、と思った。
四木の背中がぼやける。慌てて下を向けば、アスファルトが音をたてて濡れた。
四木が振り返る気配を感じ、敏樹は四木に背を向け走り出した。呼び止める声はない。ただ、深い溜め息だけが敏樹の耳にはっきりと残った。
敏樹は走った。呼び止められることを期待していなかったと言えば嘘になる。心臓がばくばくと大きく脈打っているのは久しぶりに走ったからだけではない。あの溜め息の音が耳について離れなかった。
じわりと涙が滲む。弱い、と自分が情けなくなった。誰かに逢いたくなったが、逢いに行ける人間がいない事実が余計に敏樹を惨めにさせる。
陽が落ち掛けた公園には誰も居ない。敏樹は乱れた息を整える為にその場に踞った。ぼろぼろと溢れた涙が地面を濡らす。陽の落ちかけた公園に子供の姿はない。
四木は家族だと思っていると言ってくれたけれども、本当のところ、解らないのだ。血の繋がりなんてない。親類ですらない、赤の他人。血が繋がっていたって家族にはなれなかったのに、どうして周りの人々は"家族"になれたのだろう。それは敏樹にとって一番の疑問だった。敏樹のケースが稀であることも理解はしていたが、何故そうなるのかまでは理解出来なかった。
無条件の愛情なんか、きっとない。
みっともなくて、情けなくてまた泣いた。四木の部下に見られたら、四木はどんな気持ちになるだろうか。こんな情けない敏樹を叱るだろうか。殴るだろうか。
叱責されるなら、まだ大丈夫。四木の気持ちは何であれ、ベクトルは敏樹に向いている。感情が向かわなくなったらお仕舞いだ。

(嫌わないで)

こわい。四木に捨てられることが何よりも怖い。2度も家族に成れなかったら、敏樹は3度目には期待が持てない。何よりも可能性がない。そうだ、これがラストチャンスなのだ。
カァ、と烏が鳴いた。次いで羽ばたきの音が聞こえ、直ぐにまた静寂が訪れる。
大声を上げて泣き喚いて、心情を曝け出してしまえたらどんなに楽になるだろうか。しかし敏樹はそれが出来ない。少し泣いて、溢れ出した分を外に出してしまったら感情が冷めてしまう。ふと涙が引っ込む。どこか褪めた感情が、現実を見下ろしている。そうして少し空いた空間に、敏樹はまたあらゆる感情を溜め込むのだ。
家の鍵、財布、携帯、定期。必要なものは全部ある。行こうと思えば何処にだっていける。だけど。生まれ育ったこの街を離れる決心が、敏樹にはまだ出来なかった。
ずくずくと、胸の奥が痛む錯覚。
心ってのは、何処に在るんだろうか。見えて触れられたら、敏樹はもっとどうかすることが出来たのだろうか。
近くの小学校から6時を知らせるトロイメライが流れるのを、敏樹は踞ったままぼんやりと聞いていた。















羊水に帰す胎動 title by 誘罪

ただ愛されたい横森と敏樹。
愛されたいなら愛さなきゃ。


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