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猜疑心に蓋



階段を跳ね上がれば、カンカン、と安い音が鳴り響く。一階には蔦が這い、薄汚れた壁が築年数を如実に物語っていたが、敏樹はこのアパルトメントが気に入っていた。意外にも基礎は確りしており壁はそんなに薄くなく、地震にも耐え、また大きな音で音楽を聴いていても苦情はない。隣人が留守がちだということが大きいだろうが、それだけでないことも確かだった。
ポケットに無造作に突っ込んであった鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。カードキー等という洒落たものは此処には存在しない。
ただいま、と小さな声で呟きながら家の中に入った。誰も居ないと解っていても、つい、言ってしまう。もう、癖だ。返事がないことに落胆することなどなかった。もうずっと前から、そんなものはなかった。だが驚いたことに、今日は返答があった。「お帰り」と。
空き巣が入ったとしても何もないし、それに逆上して待っていたというのも滑稽な話である。
見れば、玄関には磨きあげられた白い革靴がきちんと揃えられていた。何より、その声には聞き覚えがあった。

「勝手に入ったんですか、四木さん」
「外で待っていても良かったんだが、困るのはお前じゃないのか?」

言われ、敏樹は口を閉じる。
敏樹が文句を言われない理由の半分が、この男の外見のせいだ。いや、この男だけではない。気が向いた時にふらりと現れる、杖をついたあの男のせいでもある。どこからどうみても堅気には見えないのだ。勿論、違わずその筋の人間である。

「データは見たのか?」

前置きもなく本題に入るところが四木らしいと思いながらも、その話か、という溜め息を飲み込んだ。

「盗ってはないよ。あんな防壁組んだ奴の顔が見たいね。強化してやったのに…まぁ、それも破られたんだけど。素人じゃないと思うよ」
「見たんだな」
「臨也の野郎に唆されたんだよ。アンタの小飼だと解ってたら手なんか出さなかった」

親切強盗みたいな心理だったんだけどなぁと呟く敏樹を、四木はじっと眺める。その見透かそうとする瞳が敏樹は苦手だった。無言の圧力。底冷えするような威圧感を伴う空気。
四木の腕が上げられたのを見届ける前に、敏樹は喉に圧迫と衝撃を感じた。左手は抵抗を防ぐ様に敏樹の腕を拘束し、右腕は確実に喉仏を絞めている。じわりと力を入れられ、敏樹の喉はヒュウと音をたてた。絶対的な暴力の支配。考えただけで身がすくんだ。

「油断するな、綻びは少しの縺れから始まるんだ、坊や」
「嘘は、言って、ない」
「確証は?」
「アレは盗む価値がない。事実性が必要なら、パソコンでも何でも調べれば?俺にはアンタ達に喧嘩を売る理由もない。…俺の人生、握ってるくせに」

言って、敏樹は何だか無性に悲しくなった。他人の熱を感じるとき、何時も敏樹の身体には痛みが伴う。暴力的な支配者から逃がしてくれたあの事故は、新たな支配者を置いただけだった。そしてそれは、たぶん、もっと質の悪いものだったのだと思う。
だが、敏樹は昔の自分の選択を間違っていたとは思っていない。まさか後見人を選ばせられるとは思っていなかったが、その中でも一際目立って凪いだ瞳の四木を選んだ自分を誉めてやりたいくらいだった。四木は恐ろしい程に冷静沈着で厳しいが、常識というものをきちんと理解している男だった。

「敏樹。俺はお前が俺を選んだあの時から、お前を家族だと思っている。勿論、身内には優しくしたいものだが、躾は必要だ。解るな?」

解りたくもない。敏樹は思ったが口には出さなかった。それが正解だとも解っていた。
何が躾だ。力付くで支配下に置いているだけじゃないか。心の中で悪態を吐いた。
漸く解放されたと思いきや、四木の左手は敏樹の右腕を掴んだままだ。どうやら先の傷が開いてしまったらしく、包帯から血が滲んでいた。それに気付いたらしい。対峙している四木の瞳に剣が籠る。

「どうした」
「…これが代償。だから言ってるじゃん、嵌められたんだって。今や俺は平和島静雄や黒バイクまでとは言わないけど、ちょっとした有名人なんだって」

敏樹の言葉を聞き、四木は静かに息を吐いた。

「全くお前は進歩がないな。こんな傷までつくってどうする。これは縫わないと駄目だろう、行くぞ」
「…何処に?」
「病院に決まっている。送ってやるといってるんだ」

四木は冷めた瞳で敏樹を見下ろした。こんな時、敏樹は自分の立ち位置を掴み損ねる。甘やかされている訳ではないが、ふとした瞬間、甘やかされているのではと感じることがある。それは勿論、この男の物差しでの妥協であるのだろうが、敏樹は身の置き場に困るのだ。勘違いしたら見放される。それは敏樹の中にいつも渦巻く恐怖だ。

「…闇はヤだな」

だから、敏樹の脳は発言する前に目まぐるしくシュミレーションを繰り返す。音にして良い言葉を選出するのに反応が遅れることもある。そんな時はイーブンだが、感情に任せた発言をしてしまうと最悪だ。四木はそれを善しとしない。
四木は口端を上げた。敏樹はそれを見て安堵する。
大人の余裕と言うものは、何時になったら身に付くのだろう。そもそも大人になったら身に付くものなのだろうか。例え敏樹が大人になったとしても余裕が見出だせるようになるとは思えない。

「…とーしき、くん?」

へらりとした男の声が耳に響き、敏樹は息を詰めた。
いつの間に家に上がったのか。敏樹の背後に立ったのか。その気配に微塵も気付かなかった。四木の表情に、変化は、ない。

「赤ばっ…」

戦慄と共に振り返ろうとするも、背部に強烈な突きを喰らい、敏樹は四木に体当たりする勢いで倒れ込んだ。息が上手く出来ず、目の前が一瞬真っ白になる。杖で撲られたのだと理解すると同時に、鈍痛が走った。そして、敏樹の中に恐怖が拡がった。
恐い。何をされるか解らない恐怖がじんわりと痛みと共に全身を駆ける。
痛みにより生理的に浮かんだ涙が視界を滲ませた。咳き込んだ勢いで四木の値の張りそうなスーツに爪をたてた。吐き気がしたし、目眩もした。
一拍の間をおいて、携帯が着信を告げ、敏樹はビクリと肩を震わせる。場にそぐわない英語の歌詞が、静まり返った部屋の空気を不気味に煽る。胃がズンと重くなるようなストレスを感じ、敏樹は堪らず通話ボタンを押した。

『きっと、私達は、可哀想な者同士なのよ』

第一声にしてはあんまりな言葉だったが、敏樹は妙に納得してしまった。現状が現状だ。
知っている声が耳に届き、敏樹は幾ばくか安堵し、右手で四木のスーツを掴んだまま左手で携帯を耳に当てる。そして相手の名前を呼んだ。横森、と。
その声は随分と掠れていて情けないものだったが、敏樹は声が出たことにまた安堵した。

『私、敏樹のこと、好きよ。だから、ずっと友達のままでいてね』

敏樹は瞬いた。
あぁ俺もだよ。神宮の足元にも及ばないがお前がすきだよ。だから、俺と友達のままでいてくれ。郷愁にも似た想いに切なくなる。

「―――解ってる」

俺たちは何時まで経っても交わることはない。線同士が重なっているように見えたとしても、見る位置を変えればそれが間違いだと解る。錯覚のようなものだ。

「敏樹」

手を叩かれ、畳の上に落ちた携帯に、見慣れた杖が追撃を加える。グシャ、と耳障りな音が響いた。
急なことに驚き、四木の胸元の金のネックレスをまじまじと見詰める。痛みはあったが、理不尽な扱いに、流石に怒りが込み上げた。恐怖と憤怒とが混じりあい、溢れた感情が行き場を無くす。

「…人のライフラインに何してくれるんですか」
「マナーがなってないね。人と話している時に電話に出るときは、一言断りを入れるのが礼儀だ。四木の旦那はそれをお前に教えてくれなかったのかな?」

敏樹はギュッと唇を噛んだ。
この男はいちいち卑怯だ。
本当に、泣きたくなった。四木の顔が見れない。

「……すいませんでした。以後気を付けます」
「それは、誰に対しての謝罪なのかな?」
「四木さんと赤林さんにですよ。すいませんでした」

敏樹はゆっくりと顔を上げて赤林を振り返る。掴み所のないへらりとした表情に、それでも押し潰されるような威圧感を感じる。野良を装う猫のように、毛を逆立て飼い慣らされまいと必死に楯突いてみても、結局それは恐怖の前に打ち砕かれる。餌を貰わなければ生きていけない。死ぬ覚悟さえ持ち合わせていない。
例え赤林があたたかな心を欠片でも持っていたとしても、敏樹にはそれが見えない。触れられない。それが尚更恐ろしい。敏樹は箱の中にいながらにして外野でしかないのだ。

「…もう良いでしょう」

静かな溜め息と共に、四木が終わりを告げる。赤林はおや、という表情を浮かべたが、それ以上何も顕にしなかった。
右手を引かれ、敏樹は立ち上がる。そのまま、たった数分前に帰ってきた家を出た。
パタパタと畳の上に落ちた血痕は、涙の跡に酷似していた。














"磊落たる太陽"の続き。
 "鳴り響く跫音"派生。
 敏樹と893:現状について

4までは読んだけど…てな感じで、四木さん他の性格容姿その他が解りませんので何時にも増して捏造してます←
途中放置してて 続き書いたら…ん? 何を書きたかったんだろ?←
デュラも結局5巻止まりだ


2010-12-25







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あきゅろす。
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