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磊落たる太陽



白昼からバーテン服を纏った金髪グラサンの男と歩くなんて目立つな、と思いながら掴まれた右手を眺める。それが手なんか―いや、繋いではいないんだけど―捕まれてるし、怪我してるし、どんな組み合わせに見えるんだろうか。乾き始めた傷口の皮膚が、振動に捩れてまた赤い涙を流す。痛みを伴ったが、その赤はやけに絵の具の色に似ていた。
敏樹は手首から静雄の後ろ姿に視線を移す。この男が池袋最強と言われているなんて、もし敏樹が彼と初対面だったならば俄には信じ難い話だと思う。道路標識やガードレールや、はたまた自動販売機を放り投げてしまえるなんて、実際に見たとしても信じ難い光景なのだ。例え池袋では最早日常と化したとしても、その他の都県民にとっては違うのだ。慣れとは恐ろしいものだと思う。
そんなことを考えている内に、静雄が何の躊躇いもなく足を踏み入れたのは、高そうなマンションだった。丁度止まっていたエレベーターに乗り込み、ボタンを押した。
静雄がチャイムを容赦なく連打する表札には「岸谷」とあった。岸谷……岸谷新羅。その名前も聞いたことがある。闇医者の名前だ。黒バイクと親しいらしい。黒バイクは都市伝説らしいが、敏樹も何度か見掛けたことがあった。色々調べてみたが、運び屋をやっているらしい。
漆黒のバイクだった。総てが―乗り手さえも漆黒の闇色のバイク。馬の嘶きのような音と共に現れ、エンジン音もなく、無音で去っていく。噂によれば首から上が無いらしい。確めたことはないが、それもありじゃないかと敏樹は思っている。

「あ〜もう!僕とセルティの憩いの一時を邪魔するなんて野暮だよ野暮。馬に蹴られて死んじゃえ。ついでに近所迷惑だから止めてくれる?」
「テメェが死ね」
「あっ御免なさい土下座するから許して静雄」

笑顔をひきつらせて、出てきた男が頭を下げた。少し長めの髪に黒渕の眼鏡というスタイルは何処にでもいそうな優男、という感じだが、まっさらな白衣がそれを打ち破る。頭を上げた時、その意外にも鋭い洞察力を持った瞳が敏樹を納め、微かに見開かれた。

「奇想天外、吃驚仰天、これは吃驚した。何だい、君、自分の手当てに来た訳じゃないんだね。あぁ勿論、自主的に手当てに来たとしても僕は驚いただろうけど、まさか、まさか君が怪我をさせた相手を連れてくるなんて!これは夢かな?もしかしたら今セルティに結婚を申し込んだら受けてくれるかも知れない!セルティッ、セルティ――!!この熱い想いを今君に伝えたい゛っ」

ばこん。鈍い音がして、新羅が蹲った。頭を押さえている。視線をずらせば、静雄のぴんと伸ばされた中指が見えた。デコピンでさえ、人並み外れた威力である。

「あー、こんな奴だけどよ、俺も幽も、たまに世話になってる。変なことはされねぇよ。……たぶん」
「ちょっと、何その付け足し要らなくない?というか当人を前にしてその飾らぬ台詞は流石と言うべきなの?」
「……かすか?」
「君まで無視か」

新羅の突っ込みを無視して静雄は平和島幽の紹介を、少しだけした。それを聞いて、敏樹は少しだけ羨ましくなった。日常から逸脱してしまった力を持て余していても、日常と変わらぬ幸せを得ることが出来る。だが、日常から逸脱していない筈なのに、日常と変わらぬ幸せを得ることが出来ない人間も、居る。それは当人の性格であったり、少しずつ、ずれてしまった周りの環境のせいだったり、そんな要因が少しずつ重なったせいでもある。
絵に描いたような幸せな家庭なんて、本当はないんじゃないかと敏樹は思っている。誰だって何かしらの柵に縛られて生きているのではないか。それを押し隠して、或いはそうとは解らずに笑って過ごしているのではないか。そう、思うのだ。

「―――――良いな」

敏樹は思わずそう呟いた。

「良い弟さんだし、あんたも良い兄貴だね」
「そう、か?」

静雄は若干緊張したように身体を強張らせ、照れたように訊く。だから、敏樹は素直に頷いて見せた。

「そうだよ。一方通行じゃないし、例え方向はバラバラでずれているように見えても、結局向かう先はお互いで、そして周りだろ?それはあんたが、…あんた達が、心の優しい人間だからだ。だからあんたの周りには人が集まるんだろうな」

言えば、静雄の表情は曇る。

「人なんか集まらねぇよ。みんな俺を遠巻きに見ているだけだ」
「違う。俺が言いたいのは大衆じゃない。平和島静雄、あんたは皆に好かれたいのか?あんたの周りには、弟さんだってこの医者だって黒バイクだって、ワゴンに乗ってる四人組だって名前は忘れたけど寿司屋の客引きやドレッドヘアの上司だって居るじゃないか。損得勘定無しで付き合ってくれる仲間が、あんたにはそれだけいンだよ。他に何が不満なんだ」

噛み付くように言い切れば、静雄はぽかんと口を開けて敏樹を見た。気付けば新羅も同じ様な表情で敏樹を見詰めついて、敏樹ははっと口を押さえた。顔に血が上る音が聞こえるようで居たたまれない。だが、そんな敏樹に、新羅は拍手を贈った。

「いやぁ、今日は驚いてばっかりだ。朝セルティが料理を作ってくれたんだけど、珍しく失敗が無くてね。勿論、僕はセルティの作ってくれたものだったら例え消し炭でも食べるけど、それでも少しは驚いたし、静雄は怪我人を連れてくるし、その怪我人はあの静雄にこんなにハッキリ物を言える人間だったなんて…。世間は広いなぁ、そして狭い」
「ごめっ…、俺、こんなこと言うつもりは」

静雄は静かに瞬いて、右手で敏樹の頭を軽く撫で回す。その顔には、苦笑。

「いやぁ、眼から、なんつの?鱗?眼が醒めたって感じ?」

ありがとな。ポンポン、と軽く頭を叩かれて、敏樹は複雑な表情を浮かべた。礼を言われる事ではない。口が滑ったのだ。だが、静雄は妙に納得している様子だった。

「あ、ヤベ。俺夕方から仕事があんだよ。じゃあ、俺は帰るわ。ちゃんと手当てすんだぞ」

じゃあな、と片手を上げて、静雄はそのまま敏樹を中に押し込んでドアを閉めた。気まずい沈黙が流れる。そんな空気を破ったのは、苦笑混じりの新羅の声だった。

「―――で、此処に来たのは本当に偶然、不可抗力だったみたいだけど。お久しぶり。お兄さんは元気?」

新羅の言葉に、やはり覚えていたようだ、と、敏樹は小さく息を吐いた。敏樹と新羅に直接的な関わりはない。ただ、兄と新羅の父親は、ちょっとした知り合いだったようで、顔を合わせたことはあった。本当に、その程度の顔見知りでしかなかった。

「―――死にました」

簡潔に告げれば、一拍の後、そう、と、シンプルな返事がある。敏樹は微かに笑った。追求されるのではと変に身構えていた自分が居たことを認識したからだ。
新羅はリビングに敏樹を促すと、救急箱を持ってきて手当てを始める。固めのソファは、弾力があって座り心地が良かった。

「応急処置しかできないからね。ちゃんと病院に行って縫ってもらった方が良いよ。じゃないとハッキリ跡が残るかも」
「……ありがとうございます」
「これは忠告なんだけど…、あまり目立つことはしない方が良いよ。君が平穏に生きたいと思っているなら尚更。幾らインターネット上の架空世界が匿名制が高いからと言っても、それは絶対じゃあないからね。それを暴くことを生き甲斐としている性悪な人間だっているんだ」

そうですね…と、敏樹は濁して返した。小さく身体を捩ったのは、消毒液が傷に滲みたからという理由だけではない。
たぶん、敏樹の日常の半分以上が既に闇に巣食われている。それは敏樹の意図せぬところで始まって、敏樹の意図で確固たるものを手に入れた。最終的に決めるのはいつも敏樹だ。いや、そうでなければならなかった。

「岸谷さんは、…こちら側に、何を見出だしているんですか…?」

新羅はキョトンとした表情を浮かべた後、躊躇いもなく笑う。

「セルティさ」

それは愛の告白というよりも一種の呪いのように敏樹には聞こえたが、当の本人は至って幸せそうだ。恍惚とした表情がそれを物語っている。

「セルティが居るから僕はこちら側に居るけれど、表でも裏でも一つの世界に変わりはないよ。延いてはセルティがいるから僕はこの世界に居られるわけで、セルティが居なかったら今の僕は存在しない。…君が、どんな答えが欲しかったのか僕には解らないけれどね、君が君らしく存在するために言い訳なんか要らないと僕は思うよ。少なくとも僕はセルティを言い訳なんかに使わない」
「俺は、言い訳を――探してるように?」
「僕にはそう見えた。つまりそれは僕の主観であって君の考えではないよ」

いや、と、敏樹はそっと眼を伏せる。

「―――そうなのかもしれない。俺は自分の優先順位を下げられない人間だから、だから、俺は過去から派生する未来に居場所を見出だせない。今となっては確認すら出来ない想い出を軸に置くのが怖いんだ」
「それでも良いんじゃないかなぁ。そもそも過去に未来を責める権利はないよ。君が忘れなければ辛辣に騙ることもしないだろうし」

慣れた手つきで手当てを終えて、新羅はやんわりと微笑んだ。つられるように敏樹も口端を歪める。何とか笑みを作った敏樹に、新羅は笑みを深くした。

「また、お出で。今度は怪我をしていないときにね。セルティを紹介するよ、僕の女神を!」

是非、と苦笑し、敏樹は礼を述べ、軽く頭を下げる。新羅の見送りを受け、階段を降りながら、敏樹はふわふわとしたフェイクファーに顔を埋めた。
何だか顔がにやけて仕方がなかった。












何だか長くなった…。
新セル台詞が多すぎた(笑)




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