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恣意する青空


はあ。敏樹は溜め息を吐いた。
幸せなんか逃げてばっかりだ。
あの臨也に協定を申し出された日から―敏樹自身は脅されたと受け取ったが―敏樹の日常には陰が差した。町を歩けば変な連中に因縁をつけられるし、追いかけ回されるし、ガムを踏むし。…マナーがなってない、と敏樹は憤る。今日も一方的なおいかけっこが始まって、敏樹はもう一度幸せを逃がす。それもこれもみんな臨也のせいだ。此処には居ない傍観者に向かって精一杯の悪態を吐いた。
―――と、敏樹は前方での喧騒に気付く。喧嘩だ。しかもかなりの大人数。しめた、と微かに口端を上げる。このまま紛れてしまえれば一番良い。
敏樹はスピードを上げかけ――逆に失速した。唖然として、追いかけてくる4人のチンピラのことも忘れた。眼の前の状況を、脳がなかなか受け入れてくれなかったのだ。
その騒ぎの中心に居る金髪の男は、右手にバット代わりの道路標識を握り、軽々と振り回していた。根本にはコンクリートが、まるて鉢植えの根本の土のようについていて、それが道路から引き抜かれたものだと伺い知ることができる。そんなことが出来る人物を、敏樹は一人しか知らない。「喧嘩を売ってはいけない人物」の一人――誰が字をつけたのか、自動喧嘩人形と称される男――平和島静雄。
デジャヴ。嫌な予感。敏樹は静雄が敏樹を視界の中に納めて笑ったのを見て、背筋に冷たいものを感じた。

「いーぃざぁーやぁ―――!!!」

振りかぶったモーションを捉え、敏樹は思わず叫んでいた。

「ちょ、ストップ!!人違いだから!!!」

その声が届いたのか、どうだったのか。まるで槍投げのように飛ばされた標識は、構えた敏樹の右腕を掠って後方で壁にめり込んだ。少し身体を捻ってこの被害なのだ。直撃していたらと考えると恐ろしい。
しんと静まり返った路上で、しかし敏樹は声をあげずにはいられなかった。

「いってぇぇ――ッ!!!」

良く見れば服が裂け、ぱっくりと開いた傷口から血が滴り落ちている。黒いアウターはじっとりと血を吸って重くなり、その焼けるような痛みに敏樹は呻き声を上げた。それに呼応するように、遠巻きに見ていた女性の一人が小さな悲鳴をあげ、辺りに再び喧騒が戻ってくる。我に返ったチンピラたちは、この惨状を目撃してもなお振り上げた拳を下ろせないらしく、敏樹に、延いては平和島静雄に向かいナイフや鉄パイプを向け威嚇し始めた。変にあるプライドというものも厄介だな、と敏樹は他人事のように思う。ただ、この喧嘩は、もう自分のものではないという事だけでも随分と気が楽なものだ。代償としては些か大きなものになってしまったのは否めないが。
静雄もやっと立ち直ったのか、敏樹の前に立ちチンピラを睨み付ける。眼力で人が殺せたならば、間違いなくこの場に居た人間はみな即死していただろう。それほどに強い力を宿した瞳だった。

「俺は暴力が嫌いなんだ。そんな俺に暴力を震わせて、挙げ句の果てに人を傷付けさせられて…。テメェら、覚悟はできてんだろうなぁ!!ぁあ゛!?」

怒声と共に人が宙を舞う。比喩ではなく、本当に人間がボールのように投げられたのだ。そこからは早かった。10人もいたチンピラどもは、あっという間にのされてしまったのだ。時間にして数十秒。
良く、あんな細い身体で人を投げ飛ばせるもんだ。敏樹は感嘆の息を漏らす。いや、噂によれば彼は自動販売機さえも投げ飛ばせるというのだから、人間の秘めたる可能性と言うものには驚かざるを得ない。

「おぅ…、なんだ、その、……大丈夫か?」

遠慮がちにかけられた声に、敏樹は眼をしば叩かせる。先程とはうって変わり、怒りが微塵も感じられない悄気た瞳だったから、面喰らってしまったのだ。
インターネット上の情報や臨也との"喧嘩"を見ていて、先入観に縛られ本人を見なかったことに今更気付き、敏樹は微かに唇を噛んだ。それが命取りになることがありえることを敏樹は知っていたからだ。

「いや、俺も…こんなカッコしてたから……悪かったッス」

フェイクファーつきの黒いコート。しかも黒髪で短髪。自分に否があるとは断言は出来ないが、紛らわしい格好であることは認める。ある意味でそれが如何に理不尽であることは置いておいて。

「あの、ありがとうございました」

ズキズキと痛む右手を庇いながら、敏樹は軽く頭を下げる。静雄が面喰らった顔をして、お相子だ、とバカなことを思った。静雄はむすりと口を引き結び、固い声で言った。

「礼なんて言われる筋合いはねぇ」
「結果的に助けて頂いた訳ですし。…実をいえば、あんたに喧嘩を擦り付けようとしてたんだから、この怪我でチャラってことで」

へらりと笑えば、静雄はまじまじと敏樹を見詰め、そして破顔した。

「随分と高くついたな」
「プラマイゼロどころかマイナスだなんて、俺もまだまだッスね」
「…悪かったって」
「だから、チャラですって」

妙な沈黙の後、静雄は敏樹の右手首を掴んだ。少しの衝撃でもかなりの痛みを伴い、敏樹はヒュッと息を飲む。その様子を見て、静雄はそのまま敏樹を引き摺るように歩き出した。

「服は弁償する。治療代も払う。最悪、傷痕が残ったら責任も取ってやる」
「へ、」
「知り合いに医者が居る。信頼は出来ないが、腕は良い。行くぞ」

自分の腕から滴り落ちる赤い滴が道路に点線を描くのを、敏樹は何処か別の感覚で捉えていた。
右腕は焼けるように痛かったし、たぶん、貧血になるだろうことも縫わなければならないだろうことも現実的ではなく。ただ掴まれた手首だけが熱く、直接的な感覚だけが鮮明だった。
朝から名も知らないチンピラに追い掛けられ、こんな怪我までして、本当についていない。しかし良く良く考えてみれば、平和島静雄という人間と知り合えたことは大きく、結局のところプラスだったのではないだろうか、とぼんやりと思った。











弑する青空
(自由とは、つまり孤高だ)


静雄の「責任をとる」=「蚤虫ブチ殺す」の意です。






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