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鏤骨と踊る

―――――なぁ。
突然背後から聞こえた音が、自分にかけられた言葉だと理解するに数秒かかった。振り返り、その声の主を認識するためにまた数秒。あまりにも都会の濁った黒に溶け込んでいたものだから、敏樹はその男の輪郭を捉えるのに眼を細めなければならなかった。
男は敏樹を眺めて、にこにこと笑っていた。否、笑っているような雰囲気を醸し出していた。それが心からの笑みでないことに気付いたのは、単に敏樹の交友関係に主因があると言えるだろう。取り繕うための笑みに、敏樹は敏感だった。
何か用ですか、と敏樹は男に低く問う。この時世に、そしてこの街で、見知らぬ不審な人間に警戒心を抱かないなど自殺行為に他ならない。敏樹は肉弾戦が得意なわけでも逃げ足が特に速いわけでもないのだ。

「そんなに固くならないでよ。ちょっと話がしてみたくて声をかけただけでしょ。あ、自己紹介が未だだったね、初めましてこんばんは―、あなたの折原臨也です」

男は一歩踏み出し、頼り無い月明かりの下にその容姿を曝す。ニコニコ。人好きの浮かべる表情。
胡散臭い奴に捕まった――、というのが、敏樹の折原臨也という人間に対する第一印象であった。

折原いざや?
――――折原、臨也。
脳で数回復唱してみるも、生憎、敏樹の脳内で当てはまるのは「敵に回してはいけない」と言われる「折原臨也」だけだった。
とはいえ、相対峙したのはこれが初めてだ。名前だとて、敏樹が一方的に知っているだけで、相手は敏樹を知らない筈だった。敏樹は彼等のように有名ではない。だが、一方で、流石――と「情報屋」折原臨也を評価する敏樹がいた。

「そう言えば、君の彼女、ええと、横森可奈さんだったかな?元気?」

態とらしい、と思う。言動、その雰囲気全てが。そう感じさせるものを臨也は持っていた。そしてそれはある意味において才能だと評価される。

「その口振りからすれば横森が彼女じゃないことも知ってるんでしょう。そう言うからかいは間に合ってますし、俺に対しての脅しにはならないですよ」
「友達なのに?」
「友達だから」

そう伝えれば、臨也は少しだけ眉を寄せた。解らない。そんな表情。だが、すぐに笑顔に掻き消される。それを見届けてから、敏樹は付け足した。

「それに、神宮がついてる」
「あぁ!あの女の子!過激だよね。まるで女版のシズちゃんみたい」

言ってから、臨也は凄く嫌そうな顔をした。自分の発言に嫌悪したらしく、早く死んでくれないかな、等という物騒な独り言が聞こえてくる。

「嫌ってるのに、そこは信頼してるのかな。姫を守るナイトって?」
「そこに関しては揺るがないから、あいつは。それに、俺は別にあいつが嫌いな訳じゃない。あいつが俺を嫌ってるだけだ」

それ以前に。

「横森は、大人しく守られてるだけの女じゃねぇよ」
「なら!」

臨也は笑みを深くした。

「君がお姫様の方だったのかな!」
「―――黙ってください」

敏樹は臨也を睨めつけた。勿論、そんなことで臨也が怯まないことくらいは知っていたので、ちょっとした意思表示にしか過ぎない。

「あら、ご機嫌斜め?ごめんね。横森可奈が闘う姫なら、君は守られている王子だと思ったんだ」
「安直ですね」
「そうきたか、君は辛辣だね、リューガくん」

リューガ――龍臥と呼ばれ、敏樹は微かに眼を見開いた。龍臥は、敏樹のハンドルネームのうちの一つだ。そして、その龍臥を使うときは、大体において「仕事中」であった。
敏樹の副業―と言っても、趣味と実益を兼ねたちょっとした小遣い稼ぎで始めたものだった。だが、敏樹はそれが肥大し日常を蝕み始めているのを感じていたところだったので、あまりにもタイムリーな話題に一瞬怯んだのは事実だった。

「君はこの前仕事をしたよね。うん、詳しくは語らないけど、実はそこのデータが何者かによって盗まれてしまったんだよねぇ」

敏樹の反応に気を良くしたのか、臨也は軽いステップを踏んだ。軽やかに跳ねるフードを眼で追って、敏樹は精神を沈ませる。
感情的になったら勝てない。一挙一動に宿る感情を悟らせてはいけない。それが敏樹の電脳戦に於ける信条だった。

「俺じゃない。俺はちょっと覗いただけだし、あんまりにも薄いから、防壁をちょいと厚くしてやっただけだ。盗られたというならば、その後だろ。…あの防壁を潜られたってのは、若干腹が立つけど」
「ん―、でも、君が盗ったかどうかは、実際どうでも良いんだよね。問題は、そのデータが君に見られたか否かなんだ。それを君が公言しようがタレ込もうが黙っていようが、彼等には関係無い。面白いだろ?その情報を自分達ではない誰かが知っているという事実は、影のようにそいつらにまとわりつき、軈て悪夢になる」
「…生半可な度胸試しでトラップを潜るな、ってことでしょう。開けたのはパンドラの箱でしたじゃあ済まされない問題だ。淋しがりやなのは過去だけじゃあない」

敏樹の返答に、臨也は満足そうに頷いた。

「ちなみに――」

ニコリ、と臨也が笑う。

「勿論、君の名前もバッチリあげさせてもらったから」

その言葉に、敏樹の警戒が最高潮に達する。
―――コイツは、影だ。
陽炎のようにゆらゆらと不透明でいて、付かず離れず相手と一定の距離を保ち、本体といつすり変わってやろうかと目論む、影だ。
臨也の表情は崩れない。ニコニコ。笑いながら、情報を小出しにしながら敏樹の反応を観察している。敏樹は挑むように臨也を見返して、微かに拳を握った。

「じゃあ、怖いお兄さん達に捕まらないように、君も精一杯犯人捜しに協力してね」

臨也は破願したように笑った。
それが、敏樹と臨也の初めの会合である。












デュラ買った記念に(笑)。


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