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世界が滅びるその時まで

ガタリゴトリと牛車が揺れる。
舗装した道ではない道を行くため、常よりも更に揺れる牛車の中で、半助はただ眼を開いていた。
常、というほど牛車に乗ったことがあるわけではないが、乗り心地の悪いものに思われた。これなら歩いた方が良い。
何を見るというわけでもなく、ただ目の前の空間を見据えている。半助は周りの景色などに興味はなく、また、これから向かう先には殊更興味など沸くはずもなかった。
半助は自分の生い立ちを多少なりとも知っていた。
それは何処までが正しいと線引きできるものではなかったが、半助が親に捨てられ田舎に追い遣られたのは真実だ。
勿論、そこに家と家族と呼べるような人たちを用意してくれたのは生みの親であっただろう。しかしそれは体裁を整えただけに過ぎず、半助には"家族”と呼べる者たちは、実際のところ居なかったのである。
それが、急にどうした。半助が二十歳を超え、もうすぐ二十五になるというとき、生みの親から伝令が来た。戻れ、と、ただそれだけ。理由どころかそれ以外何も伝えず、半助は半ば強制的にこの牛車に乗せられた。
身一つのまま、家を追い出された時の様にまた、半助は唐突に身一つのまま家に呼び戻されることとなった。
理由を、半助は何となくだが知っているような気がした。
――いや、結局は想像でしかないが、強ち間違ってもいないだろう。あんな田舎でも、城の噂話は耳にする。そして、人間というのは得てして噂話が好きなものである。
世継ぎが生まれないで城主が焦っているとか、城にいた御子はどうしたと家中で噂になっているだとか。その噂の御子が半助だと知るものは、城主とその側近、そして行方の知れぬ母と、半助自身だけである。
これから半助が向かわせられる場所はその城であり、その城主こそが半助の父親であった。

「参りました」

半助は村で畑仕事をしていた格好のまま広い部屋に通された。
畳は新しく、襖には金箔が施されており、半助が今まで訊ねたどの家よりも煌びやかであった。
金の地に描かれているのは葛と、菖蒲だろうか。視線を上にずらせば、墨汁で描かれた龍が天に向かって昇っていく。
家臣たちは高貴そうな着物を身に纏い、頭こそは下げているが、悠々とした態度でそこに座っていた。
半助は落ち着き無く辺りを見渡し、自分の服を見ては恥じ入るように拳を握る。
服は継ぎ接ぎだらけで、裾には泥がつき、手は節くれ立ちお世辞にも綺麗とは言えない。
羞じることはないのだと自身に言い聞かせながらも、半助は顔を上げられなかった。
ここでは鍬や鋤を持ち、土を弄ることがとてつもなく似合わず、場違いであることが解っていたからだ。
「面を上げよ」
いつの間にか、上座には男が座っていた。歳は五十になるだろうか。煌びやかというよりは荘厳といったような着物を身につけ、男は堂々と半助を見据えていた。そこに子を想う愛情は見えない。
男が半助の近くに控えていた男たちに下がれ、と短く命じれば、男たちはすぐに部屋を後にした。残ったのは半助と男―この城の主だけである。
半助はまるで品定めをするような視線から逃れるようにまた下を向いた。
―――解っていたはずだ。
半助は更に強く、拳を握る。男は決して半助を親として呼んだのではない。城主として呼んだのだと。
「幾つになった」
唐突な問いに、半助は咄嗟に答えられなかった。矢張り、といった諦念だけが半助を占めていく。
矢張りこの男は半助の父でも何でもない。親が子どもに歳など訪ねたりするものか。
「今年で二十五になりまする」
「…二十五か…、まだ大丈夫だろう」
誰にでもなくそう呟いて、男は今度はきちんと半助にだと解るように口を開いた。
「お前は今日から此処に住んでもらう。身の回りの世話は女中が引き受けよう」
「あの、」
「字は書けるか」
「…いいえ、書けません。それに、読めません」
「では、教師をつけよう。一通りの教養は身につけてもらうぞ」
それだけ言い放つと、もう半助などと話すことは無いとでもいう風に、男は素早く立ち上がり部屋を出て行った。半助を振り返りもしない。
半助は項垂れた。今更、と思ったが、それでもショックは大きかったのだ。
矢張り半助に家族など居ないのだ。そう思うと、胸が締め付けられるようだった。
すっと隣の襖が開き、半助は視線だけをそちらに向けた。
「お初にお目にかかります」
男と入れ替わりに入ってきた女中は、珠代と名乗った。
少し緑がかった長い黒髪が美しい、歳は二十歳くらいの女だ。
半助は今まで近い歳の娘と話したことがなかったので慌ててしまう。それをみて、珠代は鈴が鳴るように笑った。
「今日から半助さまのお世話係を務めさせていただきます。よろしくお願いしますね」
「あ、あの、こちらこそ…」
「ではまずお召し物を変えましょうか。その前に湯浴みをしていただきます。その間に私は部屋の用意を」
さあさあ、と珠代に促されて、半助は立ち上がった。そしてそのまま珠代の後に続いて部屋を出る。
廊下は広く長く、そして綺麗だった。右脇には襖や障子で隔たれた部屋が連なっており、左側には手入れの行き届いた中庭が広がっている。
中庭には一面砂利が敷かれており、奥の方には池があるようだった。ちらりと石の隙間から見えた赤は鯉のものだろう。
半助が裸足で歩いているのを時折擦れ違う人々が眉を顰めては、しかし何も言わずに通り過ぎていく。
半助はまた恥ずかしくなり、身体を縮込ませて、成る可く音を立てないように歩いた。
長く歩いた気がする。実際にはそうでもなったのかも知れないが、緊張している半助にはとても長い道のりに思えた。
「さあ、此処です。その奥で服を脱いで置いてくださいまし。新しいお召し物は籠に入れて置いておきますから、上がって着替えをお済ませになったらお声をかけてくださいね」
「解りました」
「ごゆっくりなさってください」
にっこりと微笑んだ珠代に見送られる形で、半助は中に進んだ。
所謂脱衣所は広かった。陽の光をたくさん取り入れる工夫がなされているようで、明るい。
檜造りなのか、良い匂いがする。服を入れる籠は滑らかで、それを置く棚すら檜で、手触りも良い。
風呂に続く道は天然岩を切り出して作った道になっており、その先に見える風呂は、とても豪勢なものに見えた。
温泉だろうか。白濁色の湯は、半助には馴染みのないものだ。いや、此処にあるものの殆どが、半助が今まで眼にしたことのないものばかりであった。
半助は置いてあった布を湯に浸し、身体を擦った。泥に塗れた身体を流せば、湯は汚れた色をしていて、溜息を吐く。
聞きたいことがたくさんあった。これからの自分の境遇も気になるし、村の半助の持ち物がどうなるのかも気になる。
ごしごしと、強く身体を擦る。頭から湯をかぶって、このまま垢と一緒に悩みも流れてしまえばいいのに、と半助は思った。
足を湯につけて、熱いと思う。慣れるまで時間がかかりそうだと思いながらも身体を沈めていけば、暫くして手足の指に痺れが走った。身体を大きく伸ばす。贅沢なことだ、と半助は眼を瞑った。村ではこんな風呂には入れない。
これからどんな生活が待っているのか、想像もつかない。不安もある。何のために半助が呼ばれたのか、半助でなければいけないのか。
かくりと首が傾いて、半助ははっと眼を開いた。どうやら少し眠ってしまったらしい。もう少しで口まで湯に浸かってしまうというところで、半助は体制を立て直した。もうすっかり身体は温まり、湯中りして頭がくらくらするくらいだった。
ふらふらと立ち上がり、冷水で顔を洗う。上がったら水をもらおうと思いながら、半助は用意されていた大きな布で身体を包む。いつも半助が使っているゴワゴワしたものとは大違いで手触りが良く、頬摺りして、また溜息が漏れた。
用意されていた衣装も、半助が着てきた服とはまるきり違ったものだった。眼が覚めるような赤に、半助の知らぬ花模様が描かれている。広げてみて、頬が引きつった。どう贔屓目に見ても、女物にしか見えなかったからだ。
思わず珠代を呼ぼうとして、思いとどまる。いくら何でも裸で女性と相見えたいとは思わなかった。
仕方なしに袖を通せば、ひんやりとした肌触りが火照った身体に心地よかった。絹だろうか。それも、とても高価なものだ。
一応格好だけは整えて、半助は控えめに珠代を呼んだ。すぐにはい、と返事があり、戸が開けられる。
「あの、珠代さん…」
「呼び捨てで結構ですわ。あら、よく似合う」
くすくすと笑った珠代に、半助は頬を染めた。からかわれていないことは珠代の顔を見れば解るが、それでも女物の着物を着ている姿などを見られれば恥ずかしいのも当然かと思う。
「でも、帯を直した方が良さそうですわね。先にお冷やをどうぞ」
「ありがとうございます」
「あら、敬語なんて」
おかしそうに笑う珠代を、半助は困ったように見返すことしかできない。
取り敢えず手渡された水を飲み干す。よく冷えた井戸水は喉を潤すのに最適だった。
「あの、色々とお聞きしたいことがあるんですけど…」
「でしょうね。だって、そんなお顔をしていらっしゃるもの。でもそれはお部屋に戻ってから、私が話せることは全部お話ししますから、さぁ」
早く行きましょうか、と背を押され、半助は頷くしかなかった。
行きとは違う道を行く。足袋を履く機会などそうそうないな、と足下を見ながら歩けば、珠代から漏れる笑み。
「暫くは私が道案内をいたしますが、お一人で城内をお散歩されても迷子にならないようになっていただかないと」
「こんな広いのに、私一人で歩き回ったら部屋に戻れないよ」
「あらあら、では迷子になられてもすぐに探せるように鈴でもつけておかなければなりませんね」
本気とも冗談ともとれない笑みを浮かべて珠代は半助を振り返った。
「そこを右に曲がって一番奥の部屋が貴方様のお部屋でございます」


そこは質素ながらも決して狭くはない部屋であった。少なくとも、半助の家よりも数倍は広い。
畳は代えたばかりなのか、青草の独特な匂いがした。手前には机と、書物、そして書の道具一式が揃えられている。
屏風で仕切られた向こう側には、箪笥に書棚、そして水差しや花などが生けられているのが見える。そして雨戸の向こうには、中庭を挟んで何か道場のようなものが見えた。
珠代は辺りを素早く見回すと、そっと襖を閉めた。そして半助に向き直る。
「さ、お掛けになって」
「はい。――あの、珠代さ…」
「呼び捨てで、お願いしますわ。私はただの貴方様の召使いなのですよ」
「でも、私は何も解らない田舎者です。あなたの方が此処は長いのに」
「ですから、慣れていただかないと私が困ります」
珠代は笑みを消した。真剣な顔に、半助の背筋が伸びる。
「私は貴方様の身の回りのお世話を命じられた、たかが女中でございます。良いですか、半助さま。貴方様は殿の大切なご子息です」
「しかし私は!!」
「殿に跡継ぎがいらっしゃらないのをご存じですね?その為にあなたは殿中に呼び戻されました。不本意でしょうが、仕方ないことだと思って割り切ってくださらないと…」
「私は父に捨てられたのに…」
目頭が熱くなって、慌てて半助は唇を噛み締めた。女性の前で泣くなんて情けなくて、ただでさえもう二十歳を超えているのに。
「正確には、姫様として半助さまには此処で過ごしていただきます」
「お…ひめ、さま?」
意味が解らない、という風に半助は反芻する。何だって?
「姫様です。一通り習い事を終えましたら、姫様にはお見合いをしていただかなければなりません」
「私は男だ!!なのに何故そんなことをっ」
「私だって重々承知しておりますとも。しかし殿の意向には逆らえません…。私からも重ねてお願いいたします」
「私が…姫だって…?」
呆然と呟いた半助を、珠代は憐れむように見た。
「私に出来ることなら、何なりとお申し付けください。私は半助さまのお見方です」
なら、やめさせてくれ!と喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込むと、半助は項垂れたように頷いた。
ここで子どものように駄々を捏ねてもどうしようもないことは解っていたし、心配してくれている珠代を困らせるようなことをするのは忍びないような気がした。
「私の名は…何というのだろう」
「伺っております。彪姫さま――と。これからはそうお呼びするよう言いつけられています」
「―――彪、姫」
そうです、と珠代は平伏した。
「彪姫さま、今日からよろしくお願い致します」
こちらそ、と深々と頭を下げて、半助は珠代と顔を見合わせて笑った。
悩むことは多い。これからの生活も不安だらけだ。しかし、今半助には今、った一人だけでも見方が居る。そのことが嬉しかった。この少ない時間の中でも、珠代は信頼がおける人物だと理解できた。
「では、明日からお習字にお花にお抹茶に…大変ですわね」
莞爾、と。大きく笑んだ珠代に、半助は引きつった笑みを返すことしかできなかった。










title*Enchant+


日記に書いたネタでパラレルを発掘。
山田先生出てこなかった…(笑)
でももうあんま続き書く気ないなぁ←




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