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行き止まりの先にあるもの


学園に新しい教師が来た。
伝蔵はまだ少し冷たい風をその背に受けながら、腕を組んで立っていた。
来る、という噂は聞いていたが、こうして実際迎え入れるために戸口に立つのとは違うもので、妙な実感が沸くものである。
学園長に連れられ、皆に囲まれながら門を潜り抜けた男は、随分と背が高く、そして傷んだ髪をしていた。
そして何よりも、黒い忍者装束に身を包んだその男は、驚くほど若く見えた。しかし周りの話しに耳を傾ければ、さすがに20は超えているようだ。
伝蔵は男の緊張したような表情を見詰めて、ふむ、と思う。
たくさんの視線に晒されての緊張とは少し違う、男の纏う張りつめた空気。
それは忍者には向かなそうな男の、確かに忍者としての空気だった。
戦忍者として前線にたっていたという話しを小耳に挟み、少し興味がわいたが、それだけだった。
自分の勤める学園に、新米教師が来た。それだけだ。
それは木漏れ日があたたかく地を照らす、春の陽気の日であった。



山田伝蔵は廊下を歩いていた。
床板がギィと軋むのも気にとめず、否、寧ろ楽しむかのように足音高く進んでいく。
これから向かうのは、生徒たちの間だけでなく、教師たちの間でも噂になっている人物のところだ。
その新しく来た教師の名を、土井半助といった。
この土井半助という男、また学園長が何処からかスカウトしてきたという話しだ。
まったく学園長の思いつきに付き合わされるこっちの身にもなってくれとも思うが、学園長の人を見る眼は確かだ。それは伝蔵も認めている。長い時間を生き、多くの人を見てきた証拠でもあるだろう。しかし。

(あーあ、また厄介なものを押し付けられた)

伝蔵は空を仰いだ。突き抜けるような青空には、まるで絵に描いたような入道雲が幾つも連なっている。
彼が学園に入ってから三ヶ月という月日が流れた。新人の定めとも言える質問攻めにあった半助は、それでものらりくらりと曖昧に笑んで、教師の誰もが半助の生い立ちを知らない。
否、知らなくとも良いのだ。教師陣も、半助とて忍びの端くれ。己に関する情報を流したくないというのは当然であろう。
ただ、半助は度を超しているように見えた。秘密主義者には見えないが、決して自身について語ろうとしない。
世間話だけでもすればいいものを、すぐに口籠もり、結局はまた曖昧に微笑んで話しを終わらせてしまう。
この半助に、興味を深める者と、倦厭する者と、関わり合いになろうと思わない、差もなければ挨拶程度で済ませる者―つまり、中立に立つ者という風に分裂してきている。
容姿は整っており、良くも悪くも人を惹き付ける半助はそのことを知っているにも関わらず、何の行動も起こさないような気配さえ在る。
そこで呼ばれたのが伝蔵だ。大木雅之助が学園を去り、伝蔵の部屋が一人部屋になるから、ということだったが、あの学園長のことだから、また何か企んでいるに違いないというのが伝蔵の意見だった。
雅之助が学園を去る――、そのことを見越しての半助の採用だったのだろう。
あの明るく煩くも、人懐こく頼りになる雅之助の後任が、あの土井半助なのだと思うと、さすがの伝蔵も溜息の一つや二つをつきたくなるのも当然といえた。
この流れから行けば、当然伝蔵と相部屋となるのが半助だということは確定だ。
ジージーと、油蝉が煩い。壁沿いに生える向日葵の色が、眼に眩しい。
伝蔵は視線を戻すと、ふと爪先の彷徨を変え、学園長の部屋に向かって歩き出した。今度は足音は一度もなかった。

学園長が一日を過ごすのは、学園内のある離れにある小さな庵だ。外にはこの学園の長、大川平次渦正の趣味である盆栽が並べられ、その下には小さな花の鉢植えが置いてある。
余談だが、ここの掃除をするのは生徒たちの役目だったが、この盆栽の鉢が幾つ割られたことだろう。その度に憤って怒る癖に、大川は掃除当番を変えたりはしなかった。

「お呼びで?」

障子越しに訪ねれば、うむ、という唸り声にも似た返事が返ってくる。入れと促されるままに、伝蔵は障子を開け中に入った。
色褪せた畳の上で、その老人、大川は悠々と茶を啜っていた。紫色の座布団は隅が解れつつも、まだその弾力を失ってはいないようだ。
伝蔵は大川の前に片膝をつくと叩頭した。

「如何様で?」
「半助のことじゃが」

―――来た。伝蔵は心中で舌を出す。

「お前と同室にしようと思う。して、伝蔵、お前は半助のことをどう思うておる」

伝蔵のことを唯一名前で呼ぶ人物が、大川だ。それを不快に思ったことはない。
それどころか、幼い頃良く聞いたような、そんな郷愁さえ感じることがある。
伝蔵はそうですね、と思案するような素振りで顎に手をやった。
予想はできていたことだが、聞かれるまで土井半助という人物に対し、そう深く考えたこともなかったのだ。
伝蔵は半助にあまり興味もなかったし、前に上げたどれかに分類するならば、中立に入るだろう。
伝蔵は話したこともない半助について考える。
容姿は、良い。多分人当たりも良いのだろう事はあの笑みを見れば解るし、生徒に対する姿勢を見ても、真面目な為人なのだということは推測できる。

「生徒には受け入れられているようですね。真面目だし、かといって冗談が言えないわけでもなし。まだまだ模索しているようですが、それが出来るだけマシでしょう。火薬の扱いにも長けているようですし、――些か鈍くさいこともないことはありませんが、まぁ、良いんじゃないでしょうかね」
「そう突き放してやるな、伝蔵」
「突き放すも何も、私はただ思ったことを述べたまでです」

ついっと視線を逸らした伝蔵を、大川は面白そうに見遣った。

「お主の言い方は、突き放した言い方じゃ。良く半助を観察しとると思うがの、何故話しかけてやらん」
「私にそれを仰有いますか。相手を間違えているように思いますが」
「それは、半助に興味がないから関わりたくないということか、それとも、心を開かぬ輩に何を言っても無駄ということか、どっちじゃ、伝蔵」
「――あのねぇ、学園長。私は何もする必要がないように思えるから手を出さんのですよ」

そりゃ、あなたの言っていることも、少しは当てはまると思いますけれどね。
伝蔵は、はぁと溜息をついて、畳の上に直に正座をした。

「あの男、見掛けよりもずっと強い。――精神面の方は知りませんけどね、あれは忍びの眼だ」

伝蔵は大川を見る。大川は涼しい顔で、湯飲みを口につけた。

「あれは、人を殺してきた眼ですよ。それも、たくさん。一流の忍びであったのではないでしょうか、だったら馴れ合わないのも納得できる。それに、あやつ、自分の状況を理解しているのでしょう?敢えて動かない気がしてなりません」

ずず、と、茶を啜る音が部屋に響く。
その先の飲み込んだ言葉を促された気がして、伝蔵は唇を軽く食む。
暫くの沈黙の後、耐えきれなくなったように伝蔵は言葉を繋げた。

「人を寄せ付けない癖に、人と交わることを望む、臆病な獣のようです」
「―――――そう思うか」

責めるような響きではなかった。それにも関わらず居たたまれないのは、後ろめたい何かが在るからだろうか。
大川は伝蔵の瞳を見、そしてそれから中庭の盆栽に眼を遣った。つられて伝蔵も視線を移す。

「あれはな、伝蔵。脅えているのだよ」

忍びのくせにですか、ということばを寸でで伝蔵は飲み込んだ。自分にも畏れるものがあることを思い出したからだ。
そんな伝蔵の気配を感じ取ってか、大川は大きく笑った。

「お前は賢いの」
「――いえ…」
「幼い頃に焼き討ちにあい家族を亡くした。それから半助は忍びとなり必死に生きてきた。だが、あの通りだ。半助は大切なものを作らない。…否、作れない。どうしても亡くした辛さばかりが先に立ってしまうのだろう」
「しかし、この時代、そんなことは珍しくありません」
「そうじゃ、悲しい世の中じゃのう、伝蔵。家族で幸せに暮らせない不幸せ、戦は戦を呼ぶ悪循環。しかし大切な者を作れないようでは教師は務まらん、解るじゃろう、伝蔵」

穏やかでいて、はっきりとした口調だった。

「伝蔵、殺すのは、何も大人で、忍びである必要はない。他の者を殺めるというのは、禁忌であるが実に容易い、何も特別な能力を持つ必要はない」

伝蔵は瞳を伏せて、一つ頷いた。
大川が、何を言わんとしているのか、伝蔵は正しく受け取っていた。

「お主の方が教師としても忍びとしても先輩じゃ。後輩に教えなくてはならない義務があろう。なに、特別なことは言わん、話しかけてやれ。はぐらしたら、怒ってやれ、笑ったらお前も一緒になって笑えばいい。初めのうちは、出来の悪い生徒とでも考えて、子ども扱いしてやりなさい」
「―――――――はっ」

大川の言いたいことが解り、伝蔵は深く叩頭した。
頼んだぞ、と肩に手を置かれ、伝蔵は瞳を閉じた。
この、あたたかな手が伝蔵を深淵から掬い上げてくれたことを、忘れたことはない。
きっと半助も、昔の伝蔵と同じような思いをしているのかも知れない。
そう理解してしまえば、何てことはない、自分はただ逃げていたのだと認めることが出来た。
人の深いところを知ることは、難しいことだ。否、知ることは容易いことかも知れない。しかしそれを受け止めることが出来るかは別だ。それはとても難しいことに思う。

伝蔵は自分の部屋に向かった。その手には、餡団子。大川が持たせてくれたものだ。

(厄介な、)

伝蔵は再び思う。しかしその顔は優しい。
解っていたのかも知れない、彼はまだまだ子どもなのだと。
半助は時折、月を眺めて立ち竦んでいた。その横顔の、寂しそうな影。

「失礼しますよ」

自分の部屋なのに、声をかける。それが少し可笑しく思えて、伝蔵は口端を上げる。
障子を開ければ、中では半助が荷物の整理をしていた。
もうそろそろ終わりそうだと思いながら部屋に入り、伝蔵は自分の湯飲みと、あともう一つ、湯飲みを用意し、机に並べた。
半助はちらりと伝蔵を見ただけで、また荷物の整理に戻った。しかしその視線は時折伝蔵の背に向けられている。

(忍びの癖に、解りやすい視線ですこと)

忍び笑いを漏らして、伝蔵は湯飲みに緑茶を注ぐ。そして、半助を振り返った。
ばっちりと重なった視線に、半助は慌てて顔を逸らす。伝蔵は思わず吹き出してしまった。
言いたいことがあるのなら、口に出してしまえばいいものを、と思う。

「なぁ、半助」

名を呼べば、驚いた顔。幼く見えるその表情に、伝蔵は淡く微笑んだ。
名を呼ばれるそのしあわせを、失ってしまう子どもがいなくなればいいのに。

「あの、…山田先生…」
「団子を貰った。餡は好きか?」
「…嫌いでは、ありません」
「それは良かった。何をしておる、こっちに来なさい」

半助は躊躇する素振りを見せたが、大人しく伝蔵の前に座る。
伝蔵は知っていた。たぶん、半助の心の内を。

「半助」

ただ、真摯に伝蔵を見詰める瞳。
その瞳には見覚えがあった。その瞳に映る自分にも、覚えがある。

「これから、宜しく頼みますよ」

滲んだ瞳から、溢れ落ちた、丸い雫。
胸の奥に見つけた感情には敢えて名を付けず、伝蔵は半助の頭を撫でた。
優しく、何度も、まるで子をあやすように。ずっとずっと撫でていた。







行き止まりの先にあるもの
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何処かで、半助に敵意を持つ教師もいた(←安藤先生筆頭に)という新任時代の話しを読んで。
勝手に雅之助と伝さんを相部屋にしてすいません;
初めは野村先生と相部屋だったんだけど、喧嘩(勝負)ばかりして部屋が壊れるので、とかいう設定。
雅之助は学園外での情報収集のため教師を辞め、何故か野菜と辣韮を作っている設定です。
伝蔵は大川に拾われたとかそんな設定っぽくなったなぁ←考えなしかい

兎も角も、壱万打ありがとうございます。
しばらくお持ち帰り自由とさせていただきます。





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