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咎送り

戦場で真に恐ろしいものが何だか、知っているだろうか。






[虚空に還る時]





半助の責めるような視線を受けながらも、伝蔵は気付かぬふりを続け、筆を休めたりはしなかった。
障子の隙間から入ってくる風が蝋燭の灯りを一層頼り無いものにするが、今はそんなことは大した問題ではない。
今書いている手紙を書き直すだろうことは確実であったし、何より、書いている内容も最早どうでもいいことばかりだった。それほど長い時間、半助は伝蔵に、伝蔵は手紙へと向き合っていたのだ。
よくもまぁ飽きずに伝蔵を睨んでいられるものだと、いっそ感心してしまうほどに半助は動かない。根比べというには少々くだらないような気がして、とうとう伝蔵は折れることにした。

「何ですか、土井先生」

さっきから、という言葉は飲み込む。飽く迄も伝蔵は”今”気付いたのだ。それを半助も解っているだろう。それでも伝蔵が半助に視線を移したことが嬉しいのか、淡く微笑む。不毛だ、と思った。

「いえ、ね。月が綺麗なものだから、月見酒でも一緒にどうかと思いまして」

繕ったような笑みに、違和感はない。それは何時も半助がそういった笑みを伝蔵に向けているからだろうか。子どもたちに向けるそれとは違うものだ。
良いですねぇ、月見酒。風情がある。伝蔵は半助に微笑み返して、やっと筆を置いた。もういい加減書く内容も思い浮かばなかったので仕方ない。今夜は伝蔵の負けといったところか。苦笑して、伝蔵は立ち上がった。
月は、満月。いつもよりも明るい月明かりは紅がかって、より美しく見える。縁側に座り、半助の隣で猪口を持ち上げながら、伝蔵は遠くを想う。空は繋がっている、確かに。だからといって想いまで繋がっているとは限らない。

「山田、先生」
「なんですかな」
「私、あなたに言いたいことがたくさんあるんですよ」

またしても微笑んだ半助に、伝蔵は背筋が冷える思いがした。あぁ、それは怖い、とちゃかして見せたが、半助の笑みはいつも伝蔵の心の臓をつかみ取るような力を持っている。それでも一流の忍者たるもの、そう簡単には表情に表したりしないものである。そう考えると、半助の笑みは、在る意味無表情と同じ効果を持っているような気がした。真意の読めない表情。

「ねぇ、山田先生。私はね、あなたが好きなんですよ」
「それは嬉しいですな」

引きつりそうになった口元を隠すために猪口を口へと運ぶ。そんな伝蔵を見て、半助はふふっと笑った。確信犯の笑み。

「誤魔化さないでください」

ねぇ、聞いてくださいよ。半助はにこりと笑いながら伝蔵の猪口をやんわりと奪い取る。そして、半助と伝蔵との僅かな距離さえ詰めようと、伝蔵へと身を寄せた。
夜、といってももう夏に近く、まとわりつくような熱気が服を肌に張り付かせる。風があるのが幸いだったが、半助の熱や夏特有の熱気とは別の、澱んだような空気が息苦しい。それは、伝蔵の錯覚であったかも知れないが、今は艶やかに怪しく輝く月を見る気にもなれなかった。
不毛だ、と思うのだ。いつまでも平行線を辿るしかないはずのこの関係に見切りをつけたいと思ってしまう自分の想いも、どうにかしてその線を混じらせようとする半助の想いも。

「あんたが好きです。同僚だからとか、父親みたいだとかじゃなくて、恋愛対象として。…愛してます」
「…あんたね、土井先生」
「半助、と。呼んでくださいな」

昔はよく呼んでくれたのに、淋しいです、と宣う半助の目の奥は、笑っていない。深い混沌を抱えた、闇色の瞳。思わず覗いて、その深さを確かめたくなるような、そんな瞳。良くも悪くも、人を惹き付ける男だ。
伝蔵は半助と距離を置くように体を捻ろうとしたが、半助の手がそれを拒んだ。

「私の気持ちに気が付いていらっしゃったのでしょう?」

片方で伝蔵の利き手を押さえて、半助はもう片方の手で伝蔵の顔の輪郭を指でなぞる。

「さあて、解りませんなぁ」
「つれないこと」
「本当に解らないのですよ」
「なら、少しは知ろうとなさって下さい」

くつりと半助が喉で笑う。そして、猫のように眼を細めた。
ついその年の割りに幼さを残す外見と行動に忘れてしまいそうになるが、半助も立派な忍なのだ。先を読み、優位に立てるように罠を張り、相手を誘導する。忍の基本であり、最も難しいことの一つでもある。それを半助は簡単にやってのけるのだ。半助が顔を曝せば、恐らく十人に七人はその外見に騙されるのではないだろうか。

戦場で真に恐ろしいものが何だか、知っているだろうか。
それは、優れた策士が戦の指揮を取ることではない。カリスマ性のある武将が部下を奮い起たせることでもない。確かにそれも恐ろしいが、何より。

「今、此の場だけの戯言で結構。酒の場の迷い事と笑うこともできましょう。
 …一言、言ってくださいまし。私のことを愛してると」

傷付くことを畏れぬ人間が恐ろしい。目的の為には手段を選ばぬ、己の心すら欺いて終えるヒトが、恐ろしい。何を仕出かすか解らない恐怖。

「解らぬなどと逃げないで、知らぬ存ぜぬと知ることを諦めたように言わないで、きちんと向き合ってみてください」

目の前に、半助の、顔。そうだ、初めから解っていたのだ。己は既に捕らえられていたのだと。だが、本当に解らなかった。逃げていたのは、どちらなのか。
何だか、とても哀しい気持ちになった。やはりこの想いは不毛なのだ。交わることも離れることもない、平行線を保つだけ。誰も幸せになることはない。
意識が逸れた一瞬に、唇に、あたたかな感触。子どもの悪戯のような、触れるだけの口付け。思わず口を引き結んだ。

「……半助」

半助はやはり笑っていた。それはもう、楽しそうに笑うから、思わずこちらも笑ってしまいそうになる。だけれども、伝蔵は最後の一歩を踏み越えない。
伝蔵の中には、伝蔵が決めた最終ラインがあった。ある意味では、それは伝蔵の意地だ。半助の策に溺れたりするものか、という、小さくも確固とした抵抗。矜恃というには少しばかり情けない、反抗心にも似た思い。
伝蔵は恐ろしいのだ。己が傷付くことも、大切なものが傷付くことも、恐ろしくてたまらない。仕事だと割り切りながらも、それは確実に伝蔵を蝕んでいく。止めようがなく、ゆっくりと着実に、悟られることはない。
妻を想えば胸が痛み、息子を想えば胸が痛み、生徒を想えば胸が痛む。その中に、半助も含まれることを伝蔵は知っていた。だからこそ、余計に複雑な気持ちになるのだ。

「今、何を想う、半助」

繰り返した口付けが拒まれなかったのに気分を良くしたのか、伝蔵の首に腕を巻き付けながら、半助は顔を綻ばせた。花が咲くような笑み。無邪気に見えて空虚、恐ろしい程の闇を抱えた男の仮面。
月に村雲花に風。美しく輝く裏には必ず影が在る。だからか、余計に美しく見えるのだ。そして人の心を惹き付けて離さない。儚さの美は、諸刃の剣にも似ている。伝蔵は、半助の顔を見詰めながら、行き場に迷う己の手を、宙に止める。此処で抱き締めたりはしない。これは伝蔵の決めた境界線上にあるやり取りだ。
半助は紅の月明かりを浴びながら、艶やかに微笑み続ける。


「何せうぞ 燻んで 一期は夢よ ただ狂へ、ですよ」










End...

閑吟集55番(まじめくさった顔で何をしてるのだ。短い人生などしょせん夢と同じ事。それなら、思いっきり好きなことをするがいいさ)

何となく悪土井との関係性が掴めてきた(笑)





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