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闇に喰われる前に



はっきりいって、どうやって家に帰ったのか、覚えていなかった。
気付いたときには玄関の戸口を開けて中に入っていて、薄暗い家の土間に立ち尽くしていた。
カタカタと震える手は滑り、鉄の臭いが立ち籠める。
煩い心臓と荒い息を整えようと、精一杯息を吸った。吸って、吐きそうになる。
既に部屋には血の臭いが充満していた。換気をしなければ、と思ったが、足が動かない。
利吉は嘔吐しそうになり、その場に蹲った。
相手を刺した苦無は、そのまま放置してきてしまった。
相手の喉を掻っ捌いた小刀も、その場に捨て置いてきてしまった。
あまりにも血を浴びすぎた。それなのにそれを落とすこともなくおちおちと家まで逃げ帰ってしまった。
追っ手がかかったら、この家を危険に晒すことになる。それだけは避けなければならなかったのに。
利吉は長年暮らした雪の深い、馴染みのある我が家へと帰ってきてしまったのだ。
幸か不幸か、家には誰もいなかった。人の気配もしない。
あまりの静寂に、先ほどの光景がフラッシュバックし、利吉は耐え切れなくなって胃液を吐き出した。
朝から緊張と不安と高揚で、何も食べていなかった。だから、今更吐き出すものも何もない。
戻したら、視界が滲んだ。この場に誰もいないことが堪らなく寂しかった。

(      )

ここに居ない人を呼ぶ。げほりと咳き込む。そしてまた滲む視界。



「――――大丈夫か、」



かけられた声を、初め利吉は幻聴だと思った。しかし次いであたたかな手が背中をさすって、それが幻聴でも幻影でもないことを知る。

「大丈夫か、利吉」
「ち…ちうえ…?」

呼びかけに答えた利吉を見て、伝蔵は強張っていた表情を少しだけ緩めた。
それを認めて、自分はそんなに酷い顔をしているのだろうかと考える余裕は、利吉にはなかった。

「父上、…父上、わたしはっ」

縋り付くように着物の裾を引く利吉の手を、伝蔵は払ったりしなかった。しかしその手を握ってやることもしない。
ただじっと、何かを必死で喋ろうとしている息子の瞳を見つめるだけだ。

「わたしは、――ごめんなさい…!」

ぼろりと溢れた涙を、伝蔵は堪えかねて拭ってやった。そして、伝蔵の胸に縋り付いて泣き出した利吉の背を、ゆっくりと撫でる。

「大丈夫だ、利吉。だから、今だけにしなさい。今だけにして、明日はまたしゃんと前を向いて歩きなさい」

血の臭いもそのままに帰ってきたことを責めるのでもなく、良く帰ってきたと労るように、手の平は優しく動く。その動きとあたたかさに利吉は泣いた。
家族というモノのありがたさに涙し、たった今それを奪ってきたことにまた泣いた。



わたしは今日、はじめて人をころしました。
わたしを抱き締めてくれる父上と同じ年代の男の命を奪いました。
だんだん動かなくなって、瞳が色を失って、冷たくなっていきました。
わたしはその男が最期にあげた腕が、何をつかもうとしているのか解りませんでした。
でも、そのおとこが父上のようにわたしを、こどもをだこうとしていたならば、と考えるとこわくてなりませんでした。
もし父上がころされたならば、と考えると肝が冷えます。きっとわたしは顔も知らない誰かを恨むことでしょう。
あの男にこどもがいたならば、きっとそのこどもは顔も知らないわたしをうらむことでしょう。
それが、闇に生きて闇に死ぬということなのだと、ようやくわたしは解りました。


私は今日、初めて人を殺しました。
闇に生きるという覚悟をした日でした。



「父上。私は、忍びになります」



闇に喰われるのではなく、共に生きていく覚悟をした日でした。
父は、私の頭を撫でて、微笑みました。

「お前は、立派な忍びになるだろう」

わたしはあの男の瞳を、最期に空を切った腕の軌道を、生涯忘れないでしょう。
わたしはわたしを見詰めた父のあの瞳の色を、生涯忘れることはないでしょう。







闇に喰われる前に
*Title*記憶収納庫

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