魔怪の灯籠 1章-1-2
立て付けが悪いのか、扉は上手く開かなかった。
しかし男は流石に慣れていて、戸を持ち上げるようにし、ガンと右下を軽く蹴れば、スラリと開く。
上がるよう促されて、半助は敷居を跨いだ。
勧められた座布団はぺしゃんこで、中に本当に綿が入っているのか疑問に思うほど固かった。
男は近くにあった蝋燭に火を灯すと、土間に下り、龜の中から水を汲む。そして、半助に差し出した。
「あ、ありがとうございます…」
受け取って、自分が喉が渇いていたことを思い出した。
そのまま一気に流し込めば、冷たい水が食道を通っていくのが解った。
「もう一杯飲むかね?」
それには首を振り、半助は湯呑みを床に置く。そして切り出した。
「あの、私は土井半助と申します。少し前までは白孟炬で暮らしていました、今は訳あって此処に」
「白孟炬といえば学問で有名な。
――私は山田伝蔵と申す者、今は此処で気ままに暮らしておる」
「ご相談が有るのです、――その、お礼は簡単なものしか出来ませんが…」
半助は家無しだ。術師の報酬といえば馬や牛、絹や反物など、高価なものが定番だと聞くが、とても半助には用意できるものではない。
「まぁ、先ずは話を聞きましょうか」
申し訳なさそうに肩を落とした半助に、伝蔵は気にした様子もなく先を促す。
半助が顔を上げて改めて伝蔵を見れば、彼は普通の人間だった。頭に角があるわけでも、口に牙があるわけでもない。
纏う空気も柔らかく、鋭利だと思った眼光も、穏やかに見える。
何が半助を惹き付けて離さなかったのか、首を捻る。
しかし今はそれを考えることはしなかった。その余裕がないといった方が正しいか。
実は、と半助は口を開いた。
「ずっと何かが私の後をついてくるのです。私自身に害はありませんが、その…周りに被害が」
「と、いうと?」
「お恥ずかしい話ですが…、その日の食事に困れば、何処からか食べ物を盗ってくる。少し眺めていただけの衣装もそう」
「――成る程、それはあなたが疑われたでしょうね。見に覚えのないことで罪を問われることは苦痛でしょうに、良く耐えた」
「…そんな、私は」
労われ、半助は心が軽くなるのを感じた。同時に感じた罪悪感。
「…私は、人と違うことが恐ろしかっただけなんです…」
伝蔵が思っているほど、半助は出来た人間ではない。そう思うと悲しくなった。
「常識を逸脱することを恐れるのは当然でしょう」
「慰めないで下さい…、結局私は自分が可愛かっただけだ」
言って、半助は膝の上で拳を握った。
「…人間なんて、そんなもんでしょう」
ポツリと呟いた伝蔵は、瞳を伏せた。その顔に感情はない。
半助が何か言わなくてはと焦り口を開こうとしたとき、伝蔵は話を元に戻しましょうとでも言う風に、パチリと手を叩いた。
「単刀直入に言いましょうかね、それは悪いものではない。まだ子どもですし…、―――出てきなさい」
伝蔵の目線を追って、半助も戸口の方を見たが、何も変わりはない。
だが、そこには伝蔵の言う子どもが居るらしく、伝蔵はその子どもに話かけた。
「名は」
高圧的な物言いだった。
「お前に意見を訊いているのではない、これは機会だ。言いたくなければ口を閉ざしていればいい、その代わりお前は此処から消えるがな」
子どもに対する口調ではないと思いつつも、半助には伝蔵が話をして要るのが本当に子どもなのか、それとも本当は何も居なくて、伝蔵に担がれているだけなのかも解らない。
「…解った」
一つ頷くと、伝蔵は半助に向き直る。
「――――土井殿」
「はい」
「緊張する必要はない」
固い声に、伝蔵は微笑して見せた。
「あんたは、きっと普通の人間よりもチカラが強いんでしょう。ならば、自力で生きていく為にも、少し怪異のことを知る方が良いだろうと思うのだが、どうかね」
「私が…天人になるということですか?」
「ならなくても良いのだ。ただ、あんたは知っておかなければならん。あんたはどうやら狙われやすい"獲物"のようだからの」
獲物、という言葉に、半助は先程襲ってきた影のようなものを思い出し、固まる。
「私に、守れるでしょうか」
無力だったために、失ってきたものが沢山あった。
もうそれは取り戻せないけれど、それでも、これから守れるものが一つでもあるのなら。
半助は深々と頭を下げた。
「お願いします、教えてください」
無知でいることは、楽だ。そのせいにして逃げてしまえばいい。
しかしその罪悪感は消えず、それどころかまるで塵のように積もっていく。
出来ることがあるのなら、その可能性があるのならば、半助はそれに縋りたいと思うのだ。
伝蔵は半助の覚悟を読み取り、静かに頷いた。
「手を」
促されるまま伝蔵に手を差し出せば、思いの外強い力で引っ張られた。
「我が名において汝と誓約せん、――黄種、きり丸。影に結び陽に彷徨することを許す。――――そうだな、摂、津。お前は摂津きり丸だ」
「うん、解った」
へへっという笑い声が、半助のすぐ目の前から聞こえた。ぎょっとして身を引くも、伝蔵の手がそれを許さない。
「きり丸、お前を土井半助に譲る。暫くは、二人でそれぞれのことを学びあいなさい」
伝蔵が言い終わるか終わらないかの内に、繋いだ手にバチリという、静電気でも起こったような小さな衝撃が走る。
思わず手を払ってしまったが、異変はそれだけではなかった。
眼前に少年が視えたのだ。
歳は十ほどだろうか。小生意気そうな顔に愛嬌のある笑みを浮かべ、その少年は半助を見上げていた。
「きみ、は」
「今までの話し聞いてなかったの?俺がきり丸だよ、摂津きり丸。よろしくね、土井先生」
「先生?」
聞き返した半助に、きり丸はにかりと笑った。
「だって、色々教えてくれるんでしょう?だったら、先生だ」
んで、土井先生に色々教えてくれるそっちのおっさんも、先生でしょ。と余計なことを言って、きり丸は伝蔵に殴られていた。
「おっさんとは何だおっさんとは!!」
「殴ることないじゃん!!」
「主を敬え!」
その遣り取りに、半助は思わず吹き出した。こんなに賑やかなのは、久しぶりだった。
それを涙目でちらりと見てから、きり丸もへへへ、と笑う。それから、伝蔵を珍しそうに見た。
「山田先生って、カイライシなんだね」
「カイライシ?」
反芻した半助に、うん、と頷いてから続ける。
「傀儡師、って、呪術師のことさ。中でも俺らヒトガタを従獣に出来る特殊な人間をそう呼んでる。珍しいんだ」
半助は伝蔵を見る。伝蔵の表情に変化はない。
「だってさ、俺ら怪だって、そう簡単に使役されるわけじゃないんだぜ?獣だって捕まえて降すのは言うほど簡単じゃない。そりゃ俺はまだまだ小物だけど、俺なんかよりずっと力を持っている奴らは矜恃だって人一倍高いから、己の力に見合った術師にしか跪かないし、そもそも使役されようなんて思わない」
「へぇ……」
「まぁ、ヒトガタってのも珍しいんだけどねー」
少し誇らしそうに胸を張って、きり丸が言う。
「人に近く、言葉を自在に操れる程、力が強いって言われてるし、獣型以外は、大体が形をとれない影みたいなザコだ」
「その、アヤカシって、影みたいなのから発生するってことか?」
半助は思ったままに疑問を口にした。人間の子のように、母親の胎内から生まれてくるのを想像できなかったからだ。
かといって鶏のように卵から孵る、というのも何か違う気がする。
「えーと、雨みたいに核に力が集まって為る影もいるってことは知ってる」
その疑問に対する答えは、酷く曖昧なものだった。
「そもそも俺たちだって、よく解らないんだ。俺は気付いたら、この姿で道路の上に立ってた。だから、影が集まって巨大になる例は知ってるけど、そこから俺たちみたいなヒトガタになれるのかは知らないし、ヒトガタがどうやって生まれるのか、ぶっちゃけた話し解らない」
「え、でも、だって現にいるわけだろ?」
「それをいったらキリがないよ。卵か鶏かの水掛け論になっちゃうもん。そもそも人間だってそうじゃないか。人の子どもは母親から生まれるけど、そのルーツを辿っていけば、初めの子を産んだ母親を、誰が産んだのかになっちゃうじゃない」
確かに、と半助は思う。
「俺らは人間の言うカミサマを信じてるワケじゃないし。今までの流れを無視して、で、結局どうやって生まれたの?とか訊ねるのはナンセンスだと思うわけ」
へぇ、と半助は素直に感心した。まだ幼いのに良く物事を考えている。
それを伝えたら、きり丸は照れたようにある人の受け売りだけど、と頭を掻いた。
「よし、じゃあまだ明るいから、学園に顔を出しておくか」
今まで一言も発することなくこの場を見守っていた伝蔵が提案した。
学園、という言葉に半助は首を傾げる。それに反応したのはきり丸の方だった。
「ホント!?俺、今まで入ったこと無いんだ。今なら中に入れるよね、山田先生!」
「学園…って?」
「知らないの!?――って、無理ないか」
驚いたような声から一変して、少し呆れたような声。
少しムッとしたが、此処で声を荒げるのも大人げない気がして、半助は押し黙る。
「術師を育てる学園さ。山田先生はそこの教師だし、いろんな人間が通ってるんだ」
そんな学校があるとは、初耳だった。ちらりと伝蔵を見れば、きり丸に続いて説明をしてくれる。
「一般人には、秘密なのだよ。そんなものがあったら、万が一の時に危ないからな。それに、常に結界が張ってあるから、怪は簡単には入ってこれんよ」
言い終わり、よっこいしょ、と伝蔵が腰を上げた。どうやら出かけるらしい。
見ればきり丸も、既に戸口の外で伝蔵を急かしている。
「ほら、早く出なさいよ」
言われて、半助は慌てて立ち上がった。
人と話したのは久しぶりだったし、内容が内容で、少し呆けているのかも知れないな、と思う。
「ほらほら、土井殿」
「あ、あの、その…名前で構いません。殿って言うの、なんか慣れなくて…」
「土井先生、殿っていう柄じゃないしねー」
けらけらと笑ったきり丸に鉄拳を食らわせ、半助は小さく息を吐いた。
「では、半助と呼ばせてもらおうかね」
「それで、お願いします」
半助は若干照れたように頬を掻いた。
名前を呼ばれるのは久方ぶりだ、と、胸の内が何だかあたたかい。
名乗れる名前が在ることは誇らしいことだ。しかし、その名を呼んでくれる人がいないなら、意味を為さない。呼ばれて初めて、言葉と共に何かが成る、そんな錯覚。
不安が無いとは言わない。これからの行き先も心配だし、ついて行けるか自信もない。
しかし、少し嬉しかったのも事実で、これからが楽しみでもあった。
少し前を談笑しながら歩く二人を見詰めながら、半助は頬を緩めた。
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一応、1は終わり。
学園編では文次郎その他6年生を出したいなぁと思っているけど予定は未定←…
あとは大木先生を出したくてうずうずしてます。
利吉はどうしよう、出したら出したで泥沼な予感…!←ちょ、
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