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ノイズ混じりの告白


ふと、首筋を撫でた冷気に、きり丸は眼を覚ました。どうやら布団がずれていたらしく、もぞもぞと寝返りをうちながら隣を見れば、もう寝たと思っていた土井が起きていた。それだけでもきり丸は驚いたのに、その横顔に、更に驚く。
きり丸は、土井の笑顔と怒った顔と、呆れた顔しか見たことがない。だから、今のこんな…こんな切ない表情を、見たことがなかった。
きり丸が起きていることにも気付かず、土井はもう少しで満ちる、満月に酷似した月を見上げていた。ただ、切なげに。見ているきり丸まで、胸の辺りが締め付けられるような、そんな表情。
きゅうと引き締められた唇が解かれ、小さく聞こえた、声。きり丸にはその意味が解らなかった。


「をりをりは思う心の見ゆらんに つれなや人の知らず顔なる」
「―――――はぁ?」


きり丸は、思いっきり間の抜けた声を出した、実技担当教師の顔を見上げた。本人に聞くには少し後ろめたさにも似た感情があったので、物知りなもう一人の担任に聞くことにしたのだ。

「…どうしたんだ、急に。訊きたいことがあるなんて言うと思ったら」
「だからぁ、意味っスよ、意味が知りたいの!」

頼みますよ山田先生ぃ、と情けない声を出して、きり丸は頬を掻いた。まさか解らないんじゃ…と余計な一言を漏らして鉄拳を喰うも、それくらいではめげないのがきり丸の長所であり短所である。

「バカ言うんじゃないよ」
「知ってるんだったら素直に教えて下さいよぉ〜」
「それが人にものを教わる態度か!」

ひりひりと痛む頭を押さえながら、きり丸は口を尖らせた。それを見ながら山田は溜め息を吐く。言っても直りはしないのだ。

「閑吟集の内の一つだよ。
どんなにつれない人でも、時々は私の気持ちを察してくれてもいいのに、いつも知らんふりしている…といったような意味だ。
…まさか誰かに言われたのか?」
「いーえぇ」

訝しげな顔をした山田に曖昧に答え、きり丸は自分の足下を見ながら昨晩の土井の表情を、声音を思い起こす。

「…そんな、意味なんだ…」

そうか、土井先生は恋をしているのか。そしてその恋は苦しいものなのか。きり丸は暫くの間、自分の影を見詰めて、それからまた口を開いた。

「昨日の夜に、」
「うん?」
「土井先生が、言ってたんですよ」

内緒ですよ!と、勢い良く顔を上げて、きり丸は人差し指を口に当てた。それに気圧されるように頷いた山田に満足げに笑って、きり丸は続ける。

「寝たと思ってたら、起きてて…月を見てたんです、俺が見てるのにも気付かずに。そんとき、呟いてた。見たことない表情だったから…」

きり丸は、まだ恋を知らない。だから、あんな顔をする土井の心中は解らない。でも、結婚もしていて子どももいる山田ならば解るのではないか、という些か短絡的な思考から、きり丸は深く考えずに言葉を紡ぐ。

「土井先生、好きな人がいるんじゃないですかね、だってそれ、恋の唄でしょ?」
「…そう、かも知れんな」
「山田先生、さりげなくでいいですから、話、きいてあげてくださいよ。俺じゃ、…解んないから」

淋しそうなきり丸の瞳に、山田は何も言えなくなってしまった。此処で断るのも妙な話だ。だが、本音を言えば断ってしまいたかった。結局は本人の問題で、山田の出る幕ではないと。だがそう告げたところで、きり丸は理解しないだろう。それに、何だかんだ言っても、結局は山田も生徒たちに甘いのだ。

「解った、解ったから、そんな顔をするのは止めなさい」
「ホントですかぁ!」

パアッと表情を明るくしたきり丸に苦笑しながら、山田はきり丸の頭を撫でてやった。

「約束っすよ!」

鐘の音を聞きながら、きり丸は教室へと駆けて行った。何だか心が軽くなった気がする。やっぱり山田先生に相談してよかった。そう思いながら、きり丸は土井の笑顔を思い出して、笑った。








* * * * *








「土井先生」

試験の採点をしているのか、机に向かって筆を取る半助に、伝蔵は声をかけた。
帰り際にきり丸に何度も"お願い"されてしまい、誤魔化すことが難しくなってしまったのだ。きっと明日の朝にでも、さりげなく半助に伝蔵と何か話したか探りを入れるに決まっている。

「何です、山田先生?」

渋面の伝蔵に、半助は笑ってみせた。

「元気がないみたいですね、生徒たちが心配してましたよ?」
「生徒たちが?おや、そんなことはないですし、もしそれが本当だったら、あいつらが直接私に聞いてくるでしょう?」

遠慮なんて言葉を知りませんからね。
くつくつと喉で笑って、半助は筆を置いて伝蔵へと向き直った。莞爾と、確信犯の表情。嫌な予感がした。

「きり丸が、でしょう?」
「―――…あんた、」
「あのこは聡いこだから、きっと貴方に話してくれると思ってました」

ふふふ、と笑って、半助は身を乗り出すようにして伝蔵を見上げる。

「聞いていただけます?私の想い人はね、山田先生。とってもズルいんですよ」

ズルいくせに、優しくて、私はどうしても諦められないのです。
告げて、半助は伝蔵の忍装束の裾を引っ張る。その顔はたおやかで、伝蔵は思わず後退る。だが、たいした距離は空かなかった。

「土井先生」

牽制するように名前を呼べば、猫のように瞳を細めて、山田先生、と呼び返す。その響きの、何と強いこと。

「今は、折角二人きりなんですから」

甘えたように一歩、距離を縮めて、半助はもう片方の手を伸ばす。宥めるように袖を引き、半ば強引に伝蔵を座らせた。

「ねぇ、やまだせんせい」

もう一度名を呼ばれ、伝蔵は諦めたように半助を呼んだ。それに嬉しそうに返事をして、もう一度呼んでくれと強請る。

「半助」
「はい、何でしょう、山田先生」
「きり丸を使ったな。本当に心配していたのだぞ」

眉を寄せて抗議する伝蔵に、半助はただ笑う。

「初めは、私も気付いていなかった、これは事実。あのこに心配をかけるのは偲びないですからね。
でも、山田先生、私はいい加減、鬼ごっこには疲れたのです」

袖にあった指が、伝蔵の手に触れる。叩き落としてやろうかと考えたが、半助の顔を見て、止めた。笑っているのに、泣きそうな顔をしていた。親に捨てられそうになっている、子どものような顔―…。

「――――半助、」
「私は、私には、想い人がおります。私の父ほどの年齢のお方です。妻子もおります愛妻家です、私には入り込む隙間もございません。解っておりますとも!しかし私は諦めきれないのです!!」

パタパタと音をたてて、頬を伝い落ちた水滴が、床に跳ねた。伝蔵は動かない。この場合、どういった反応を返せば良いのか、全く解らなかったのだ。
伝蔵の目の前で、半助は肩を震わせて嗚咽を上げた。温かな半助の手は、伝蔵の手を握っているが、少しでも伝蔵が動けばその手は離れるだろう。それほど、畏れているのだろうか。考えると、胸が苦しい。

「…泣くな、半助」

手を上げれば、やはり簡単に半助の手は離れていく。その後に、爪が食い込むほど手を握り締めることも、伝蔵は知っていた。

「泣くんじゃないよ」

言って、幼子をあやすように、胸に抱き込んだ。結局、伝蔵は子どもに弱いのだ。それが二十歳を越えた男であっても、駄々を捏ねる子どもに見えるのだから仕方無い。
半助は急な抱擁に身を固くしたが、すぐに伝蔵の背に腕を回した。こうやって伝蔵が流されてくれてしまうから、半助は諦めきれなくなってしまう。いっそのこと苛烈に拒絶してくれれば。

(泣くは我 涙の主はそなたぞ)

半助は鼻をすすりながら、知っているくせに、と呟いた。知っているくせに、知らないふりをする伝蔵が、憎くもある。半助に苦しい思いをさせる伝蔵に、身勝手だが怒りもする。だが、それ以上に伝蔵と共に過ごす時間は楽しく幸せだと思えるのだから重症だと思う。だが、仕方がないではないか、想うほど募る想いが、在るのだから。

「ねぇ、山田先生、解るでしょう?」

回した腕に力を込めた。拒まれないことに調子に乗って、口付けでもせがんでみようか。考えたが、思うに留まる。今は、この抱擁だけで充分。


「泣いているのは私。そして、その原因は恋しいあなたです」


この言葉が、聴こえないとは言わせない。













End...
ノイズ混じりの告白
title*ヴィアラッテア

閑吟集第307番(泣くは我 涙の主(ぬし)はそなたぞ/泣いているのは私、そして、その原因は恋しいあなたです)
閑吟集第308番(どんなにつれない人でも、時々は私の気持ちを察してくれてもいいのに、いつも知らんふりしている)

悪土井の方で(笑)
もっと計算高にしようと思ったんだけどならなかった←




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