ネタ




 駆けつける勢いのまま、隼は鋭いハイキックをマフィアの側頭部に叩き込んだ。しかし、マフィアは片腕で容易に隼に足を阻み、軽い足取りで距離をとってみせる。
 一拍の間を置いて相対したマフィアを、隼はじっと睨みつけ、ふと顔を怪訝に顰める。
 マフィアは白い髪をしていた。
 百九十に届くだろう高身長の、白い髪の男。
 隼はその特徴に覚えがあり、それは隼に並んだ千鶴も同様だった。
 しかし、マフィアがふたりの思い浮かべたのと同一人物であると確信できないのは、マフィアの目のせいだ。
 夜とはいえ、街灯が煌々と照らしている周囲は、色の識別すらできるほど明るい。その明るさのなか、マフィアの琥珀色の目は剥き出しになって、隼たちに向けられている。
 室内ですら、ゴーグルタイプのサングラスを着用していた編入生では、有り得ないだろう。しかし、稀であろう特徴が一致すれば、一笑に付すことができない。

「あんた、まさか織部くんとか言わないよねえ?」

 無言で睨み合う重たい沈黙を破ったのは、千鶴の直球な言葉だった。
 隼はどんな反応も見逃すまいと、マフィアに目を凝らす。
 マフィアは暫し無言で身じろぎもしなかったが、やがて口を開いた。

「Je suis faible en japonais」

 ――ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセーン。

 流暢なフランス語だった。
 それも、上流階級特有の歌うような美しい発音だ。思わぬ言語にふたりは冷静になる。
 白い髪に琥珀色の目。そして日本人の標準を越えて高い身長。
 編入生であるか以前に、外国人か、輪郭や骨格から見てダブルである確立の方がよほど高い。

「すまない、少し待ってくれ」

 フランス語でマフィアに一言置いて、隼は三雲に支えられて経っている因幡を振り返る。

「おい、因幡」
「は、はいっ」
「詳しい状況説明をしろ」

 ごくり、と唾を飲み、因幡は必死に説明した。
 曰く、ぶつかった拍子にシュークリームが駄目になった。
 曰く、謝罪もなく行こうとしたので引き止めたが、あくまで無言で腹がたった。
 曰く、殴りかかったらカウンターを喰らい、そこから喧嘩が始まり今に到る。
 隼は因幡のばかっぷりに頭を抱えたくなった。普段はいい奴なのだ。だというのに、どうして菓子が絡むとここまで短気で短慮になってしまうのだろう。
 恐らく、マフィアは自己申告通り、日本語ができず、咄嗟に言葉が出てこなかったのだろう。そこへ殴りかかられれば……。

「申し訳なかった、こちらに誤解があったようだ」
「日本は治安がいいと聞いていたので驚いたよ。まあ、マルセイユに比べたら天国だが」
「ほんとうにすまない。あいつは俺の……友人なんだが、菓子に目がなくてな……」
「ひょっとして、ぶつかったさいに……」
「ああ……」

 打って変わって真摯な謝罪をする隼に、マフィアは不快な顔(そもそも表情がない)もせず、謝罪を受け入れ、隼の口から大体のあらましを理解すると、因幡のもとへ歩み寄った。
 先ほど散々ボコられた相手が目の前に立ったことで、因幡の顔が緊張を帯び、頭一つ分は身長差のある三雲が後ずさる。

「Pardonnez-moi」
「ぱ、ぱど?」
「ごめんなさい、だって。シュークリームのことじゃない?」

 フランス語の分からない因幡や三雲はぽかん、としたが、退屈を覚え始めたのか、頭の後ろで手を組んだ千鶴が翻訳したことで、顔を驚きに変える。
 冷静になれば自分が理不尽なことをした自覚のある因幡は「いや、こちらこそ」と通じない日本語で謝り、頭をぺこぺこ下げた。

「こちらこそすまない、と言っている。ほんとうに、この馬鹿が迷惑をかけた」
「いや、気にしないでくれ。俺は怪我をしたわけじゃないし、むしろ、彼に怪我をさせてしまった」
「手加減してくれたんだろう? あれくらいなら大丈夫だ。それにしても、あんた強いな。べらぼうに」
「色々あったもんでね」

 肩を竦めるマフィアに隼は苦笑いする。

「改めて詫びをしたいんだが、このあと予定は?」
「ほんとうに気にする必要はないぞ?」
「いや、これもけじめだ」
「じゃあ、美味い飯を教えてくれ。途中だったんでね」
「了解」

 折れる気のない隼を察してか、マフィアはため息をついてから安い提案をした。それ以上は受け入れる気がないのだろう。

「ご飯行くの? どこにすんのよ」
「あー、そうだな……あんた日本食のほうがいいか? 生魚とか、平気か?」
「食えれば、なんでも」
「分かった。んじゃ、定番だが寿司にするか」

 料亭でもいいが、外国人のなかには「前菜ばっかり食わされた」と思うものもいる。ならば、分かりやすい寿司のほうがいいだろう、と隼は行き着けの鮨屋に決めた。
 隼が促せば、マフィアはゆったりとした足取りで隣に並んだ。その隣を、千鶴が歩く。因幡たちは後ろについてきた。
 白いマフィアを真ん中に、赤髪と茶髪の不良が舎弟を引き連れて歩くさまは恐怖と威圧感を与えるらしく、帰宅ラッシュで人通りの多い道に出れば、人ごみは面白いように割れていった。

「ああ、そうだ」
「うん?」

 ふと思い出したように声を上げた隼に、マフィアが顔を向ける。

「名前、訊いてもいいか?」

 マフィアの猛禽類のような目が見開かれ、次いで、何気なく逸らされる。

「悪い、ぶしつけ……」
「Blanc=Ollivier」

 ブラン=オリヴィエ。
 隼はマフィア、ブランの名前に軽く驚いた。ブランはフランス語で白という意味だ。先ほど頭から流れた編入生が彷彿され、そのまま消えた。

「ブランって呼んでも?」
「好きにしろ」
「ありがとう。俺は隼、真辺隼だ」
「俺は一七夜月千鶴だよう」
「隼、千鶴」
「発音いーね」

 ブランは愉快そうに目を細める。
 まるで大人の特権のような表情に、隼は思わず見惚れた。
 整った造詣は無表情のせいで無味乾燥の印象だったけれど、表情がのった途端、マフィアのような風体や威圧感を差し引いても、いやむしろそれらがプラス要素になりえるほど、ブランは魅力的だった。

「ああ、いい夜だ」

 ブランは呟き、見上げた月に眩しそうな顔をする。

「たしかに、いい夜だ」

 隼は自分が酷く愉快な人間に出会ったのを感じ、唇を吊り上げる。その表情の意味を知る千鶴は肩を竦め、やはり、同じような笑みを浮かべた。

 これが隼にとっての始まりだった。

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