小説
大切な思い出



 いつぞやは出来なかった出迎えを今度こそと意気込みながら、昌太郎は門の傍で響きを待っていた。
 冷たい風が首筋を通り抜け、思わず飛び上がり慌てて襟を正す。
 寒さに鼻を啜る自分が若干情けないものの、ぬくぬくした室内で待つより、一秒でも早く響の顔が見たかったのだ。
 幸いにも予定時間より三分ほど早く、タクシーが門の前に止まった。窓から見える顔は間違えようのない類稀なる美貌で、昌太郎は思わずタクシーに駆け寄った。

「響!」
「ありがとうございました――会長、ただいま戻りました」

 支払いを終えた響がタクシーから降りるや否や、昌太郎は響に抱きつく。
 タクシーの運転手が少々蛇行しながら走っていったのを視界の隅に、響も昌太郎を抱きしめ返す。

「会いたかった」
「毎日お見舞いにいらしてくれたのに」
「それでもだ。退院おめでとう」
「はい、ありがとうございます」

 昌太郎は響を腕から解放すると、ほんとうに嬉しそうに笑った。

「なあ、少しだけ付き合ってくれないか?」
「……はい」

 頷き、昌太郎は響の手を引いた。
 学園の敷地内にある遊歩道へ向かう昌太郎に、響は「あの辺りは椛が植わっていたか」と思い至り、入院中の言葉を早速行動に移す昌太郎を微笑ましく思った。

 早速見えてきた椛に「きれいですね」と響が言えば、昌太郎は悪戯っぽい顔で「もう少し先にな」と言って、くしゃみをした。

「会長、上着は?」
「いや……」

 明らかに手ぶらの昌太郎を心配して、響は自身のコートを脱ごうとしたが、それは昌太郎に断固として阻止された。仕方なくマフラーを外せば、それも拒否しようとするがそればかりは聞けない。幸いにも病院帰りの響はタートルネックの服を着ていたので、それをアピールすれば昌太郎は渋々ながらもマフラーを受け取った。

「悪い。寒くなったらいえよ。絶対に言えよ」
「はい」

 むう、と昌太郎は唸ったが、ふと視線を上げてその足を止めた。
 ゆるい坂になっていたのか、それほど歩いてはいないのだが、響の体力では僅かに息を吐くことになった道を、昌太郎は振り返り示した。
 昌太郎に促されるまま振り返った響は、思わずほうっと息を吐く。
 高い場所から下へと続く紅葉の並木道が、なんともいえぬ美しい流れとなって学園に地図を描いている。

「ああ……こんな場所があったんですね」
「きれいだろ。これをどうしても見せたかったんだ。
 あのな、俺は最初、お前を辛夷みたいだって思った」
「こぶしですか?」

 思わず拳骨を作って眺める響に、昌太郎は違うちがうと笑いながら「花のほう」と返し、照れくさそうに続ける。

「儚げで、でもぱっと咲いてて、すっごくきれいだと思ったんだよ。
 でも、暫くしてお前が入院してるって聞いたとき、俺急いであの辺りを走って行った。走りながら、やっぱりぐちゃぐちゃ色々考えてたんだが、あの紅葉見たらさ、これだ! って」

「わけ分からん話ですまん」という辺り、昌太郎は理解させるつもりで話しているのではないのだろう。だが、響はひとつひとつ真摯に頷きながら、その話に耳を傾けた。

「躊躇とか全部、とりあえずこの紅葉見せたいっていう理由があればいいじゃないかとかも考えたんだが、病室でお前にあったらそれすら吹っ飛んだよ」

 そういえば、祖父の前で盛大な告白をしたんだったと余計なことまで思い出し、昌太郎は唸る。

「……僕は紅葉なんて大層なものではありませんが、これを見て会長が来てくださったなら……」
「なくても行ってたし……」
「……ふふ! 嬉しいなあ……」
「あー……うん、まあ、どうしても見せたかった。それだけだ。寒いのにつき合わせてすまん」

 響のはにかむ顔に自分の行動のこっ恥ずかしさが居た堪れなくなり、昌太郎は歩き出す。

「会長」
「ん?」

 数歩先を行った昌太郎に響が声をかければ、昌太郎は気恥ずかしいだろうにすぐ立ち止まり振り替える。それが嬉しくて、響は思わず駆け寄った。
 だが、僅かとはいえ下り坂となっている道に足をとられ、響は転倒を覚悟したが、すぐに伸びてきた昌太郎の腕が響きを支えた。

「危ないから走るな」
「すみません」

 支えられた体勢から顔を上げれば、存外に近い顔があった。昌太郎は間近で見た響の顔にぎしり、と動きを止めている。

「う、あー……」

 意味のない呻きを漏らした昌太郎は、こくりと喉を上下させるとふらついた視線を響と合わせる。

「……なあ」
「……はい」
「キス、してもいいですか」

 今度は響が呻いた。
 ふらふらと視線を彷徨わせ、昌太郎とあわせないまま、微かにうなずく。
 昌太郎はひくり、と喉が引き攣るような感覚を覚えながら、意を決して芸術的なラインを描く唇に、そっと自身のそれを近づけた。

 重なった場所から熱が行き渡るような気がして、眩暈がする。
 バードキスともいえない児戯のようなキスだったが、心地よく、何故か胸が痛くなる。
 ふたりはお互いのほんのりと染まった頬に笑い、潤んだ目を誤魔化した。

「……行くか」
「……はい」

 自然に手を繋ぎながら、ふたりは坂を下っていく。

 ひらひらと落ちていく椛は、秋の終わりを告げていた。


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