小説
五話



 得物の使用に制限がついてしまったが、素手でひとも殺せないような奴であればヒンリヒトはカルクハイトに興味を持たなかった。
 今日もヒンリヒトの服の下は酷い内出血や腫れが広がっているし、肋骨はあちこちが罅入っている。完全に折れている部分もあるのだが、内臓に刺さっていなければ問題ない。
 しかし、職場が職場なのでいかにヒンリヒトが他者よりも負傷を隠し平常通り行動することに長けていても、バレるときはバレるものなのだ。

「どういうことだ」

 職場で乱闘や行き過ぎた訓練の報告もないヒンリヒトが軽傷とはいえない負傷となれば、現状真っ先に疑われるのはカルクハイトである。そして犯人ドンピシャ大正解でカルクハイトに間違いない。
 ヒンリヒトの上司はヒンリヒトにカルクハイトを殺すなと命じたが、逆ともなればそれこそ話も逆になる。
 お宅の至らない嫁がうちの子にやらかしてくれてるんですけどという素敵な外交カードになるのだ。
 それに、あれだけ殺し合っていた人間を家という寛ぎの空間に起き、お互いの立場が立場故に別居やよそに相手を作ることもできないという非常に辛い立場へ追いやっているヒンリヒトへ多少の自由をやることもできる。
 上司は思いやりとともにカルクハイトからやられたというなら正直に言え今すぐ言えさっさと言えハリーハリーハリーハリーアップ! と迫るが、ヒンリヒトの返事は思いもよらぬものであった。

「はい、いいえ、上官殿。これは我が妻との愛の営みによるものであり、所謂マーキング行為であります。決して上官殿が仰られているような双方険悪な仲違いの末によるものではありません」

 その場にいた全員が何言ってんだこいつという目でヒンリヒトを見たが、ヒンリヒトの鋼の目には欠片も揺らぎがない。むしろ研ぎ澄まされている。

「……あい? 愛の営みといったかね?」
「はい、上官殿」
「一体どういう営みの末に全身打撲肋骨を四本骨折七ヶ所罅が入るんだ?」
「はい、上官殿。一例ではありますが昨夜帰宅した際は玄関で一発、風呂場で二発、夕食など言語による団欒を挟んだ後に寝室で四発勤しみましたところ、少なくとも戦場でしたら前線経験兵五十人を相手する経験、技量、集中力、緊張感を必要するほどの営みであります」
「具体的に述べろ」
「はい、上官殿」

 真面目くさっていたヒンリヒトが段々照れたようにはにかむにつれてその場にいた全員が青褪め、白目を剥いて倒れたいのを必死に堪え、あるいは一気に引いた血の気にふらつく体へ支えを求めとにわかに騒々しくなる。

「き、きさ、きさま、あれほど殺すなと……!!」

 言葉にならない上司が赤黒くなった顔で指を突きつけてくるも、ヒンリヒトは「はい、上官殿」と頷いた。

「小官の妻は今日も元気に我が家で過ごしております。我々の夫婦仲をご心配いただき大変恐縮でありますが、妻は小官が見どころのあるひよこの話をしただけで人中を狙うやきもち焼きでありますので小官が夫として不心得をしなければ安泰のものとご安心ください」

 先ほどの愛の営み説明のなかで、ヒンリヒトはカルクハイトの足首掴んで壁に叩きつけたなどの「プレイ」を上げていたが、これはヒンリヒト……ヒンリヒトとカルクハイト夫妻にとってはなんら夫の不心得には値しない。
 むしろ、魚のようにぱくぱくと口を開閉する上司が真っ当な夫婦像をヒンリヒトに押し付け、命令としてヒンリヒトが従えばそれこそがカルクハイトにとっては夫の不心得になるだろう。
 カルクハイトとて、殺したいのは首輪に紐をつけられた飼い犬ではない。手綱を外され、存分に能力を活かした狩りを許された狩猟犬のヒンリヒトだ。

「…………夫婦仲に問題や不満はないのか」
「はい、いいえ、上官殿。得物の使用の許可を頂きたく」
「却下だ却下!!! もういい、貴様はとっとと帰れ!!! いいか、間違ってもお前らのいかれた『愛の営み』をあちらの国に漏らすんじゃないぞ!!!!!」
「はい、上官殿。私は口舌の徒ではなく軍人です。べらべらやかましい連中を大人しくさせるのは趣味でもありますので、ご安心ください」
「っちが……いや……それでいい」

 知った人間は消せばいいのだろう? とせせら笑う鋼色の眼差しに上司はとうとうため息ひとつで頷き、鬱陶しい犬を追い払う仕草そのもので手を振りヒンリヒトと退出させた。
 信じられないという視線の数々を背中に突き刺さられても、それが命に触れるものでなければヒンリヒトの興味は引けない。
 ヒンリヒトは足取り軽く我が家へ向かうため残りの仕事を片付けに向かった。

「……大丈夫、なのですか?」
「大丈夫だと思うのか。しかし、だからといってどうするというのだ。こっちは被害者、あっちも被害者。ほんの少し前ならかすり傷一つも丁寧に数えてより被害者であるほうに正義有りと声高々に叫んだであろうがな、いまは『平和』なのだ。平和でいなくてはならない。戦争は金がかかりすぎる。事が知れて国民の感情ばかりが盛り上がられても困るのだ」

 上司は項垂れ、副官を視線だけで見遣る。

「ほんとうに……『愛し合っている』と思うか?」
「…………恐れながら、私はそれを判断し、申し上げる立場にありません」

 上司は盛大に舌打ちした。

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