小説
二話



 講和が結ばれた。
 ヒンリヒトの感覚では死ね死ね殺すと戦闘行動を繰り返していた両国間が協定を結び、平和のための関係回復に勤しむことになった。
 軍人としては出世の機会が遠ざかるという側面を持ちつつ、安心して家族に顔を見せられると喜ぶもの多数の歓迎すべき風向きだが、一部の戦争狂は体を大の字にしてビターンと倒れたいほどに受け入れがたい。
 ヒンリヒトは戦争狂ではなく戦闘狂であるため、彼らとは微妙に、びみょうに心境が異なり、平和を目指すならそれもまた結構ですねと受け入れる用意がある。
 しかし、そんな物分りのいい戦闘狂の神経をざりざりと逆撫でするのは、いつだって机上の軍人が巻き込んでくる戦場、所謂政治というやつである。

「ひひゃひゃひゃひゃひゃ!!! お前も年貢の納め時ってやつだなあ、ヒンリヒト!」
「煩い黙れ死ね殺すぞ」

 ヒンリヒトの友人を自負するズィズィの聞き苦しい笑い声に、ヒンリヒトは本気の殺意を湛えながら手放すことを知らない剣の柄へ手を伸ばす。
 にやにやと笑うズィズィは「こうさーん」と両手を上げてみせるが、面白がる口調が止まる様子はない。

「いいじゃないのよ、知らぬ相手でもなし、なにかあっちゃあ失神するのが美徳のご令嬢でもないんだから」
「そっちのほうがマシだ……っ」
「えー? いいじゃんいいじゃん、内臓まで見た相手でしょ?」

 講和の象徴として結ばれることになった婚姻。
 典型的な政略結婚の当事者に選ばれたのはもっとも平和から遠い存在として名を馳せるヒンリヒトと、同じくカルクハイトであった。
 ヒンリヒトとカルクハイトが戦場で出会ったときの話は民間人にも流れており、このふたりが結婚するとなればこの平和が見せかけのものではないというなによりの証明となる。
 命じられたとき「はい」以外の返事を許されないと分かっていながらヒンリヒトは待ったをかけたくて仕方がなかった。
 カルクハイトとの結婚など冗談ではない。
 同性間というのはこのご時世珍しくもないため問題ないが、ヒンリヒトにとって堪え難いのは相手がカルクハイトという一点のみだ。
 ヒンリヒトに命じたお上は重々言って聞かせるように繰り返した。
 結婚した以上はカルクハイトを決して殺すな。
 冗談ではない。
 平和は結構そらよござんすねで流せるヒンリヒトだが、カルクハイトを殺すなという命令には思わず変な声が出そうになった。
 ヒンリヒトがどれほどカルクハイトを殺したくて殺したくて堪らないか参謀本部はもちろん、民間の皆様だってお分かり頂いている部分があるだろうに、よりにもよってなぜお上がその気持を汲んでくださらないのかと、直訴状を血文字で書けば撤回されるものならヒンリヒトは出血多量も厭わない。

「俺はあいつを殺したいんだよ、殺せないあいつになんの価値がある? 何度も剣を交わして殺せなかったあいつを今度は殺すな! ふざけるな!!!!」
「はっはー、それはあちらさんも同じなんじゃねえの?」

 ヒンリヒトはズィズィをきつく睨み、片手で胸ぐらを掴んだ。
 至近距離でぎらついた鋼色に射竦められたズィズィは冷や汗を垂らし、口を引きつらせる。

「あの殺戮人形はそんなこと思わねえだろうよ。ああ、お国の命令に粛々と従って貞淑な妻として俺のもとへ嫁いでくるに決まってやがる。俺の内臓貫いた感覚も忘れたようにあの表情ない顔で日々大人しく過ごすだろうさ。くそが!!! ああああああむかつく死ね死ね死ね殺してやる殺しにきもしないあの無表情の皮を剥いで脳みそかき混ぜてやりてえ!!!」
「ひああぁ……普通は散々殺し合った相手が大人しくしててくれるって歓迎できるだろ……」
「あいつから手ぇ出してくれりゃあ俺が殺したって咎めはこっちの国にねえよなあああ!!! あいつはそんなことしねえんだろうよ、万一俺から斬りかかれば無抵抗で殺されるさ、表情一つ変えずにな! なんなんだ? 今まで俺が必死になって殺せなかったあいつはどこいっちまったんだ? ああ、ああ、ああ、この結婚のせいで母国が嫌いになりそうだ!!」
「おい、軍人としてアウト」
「業務時間外だ」

 完全にやさぐれた顔のヒンリヒトはマリッジブルーなどという言葉が生温いほどに荒れ狂っている。

「まあ、ほら……表情はないけど、白痴美っつう趣があるし……案外家庭に収まるのも悪くねえかもよ?」
「それはあいつが嫁じゃなかったらの話だ」
「……これが普通にお嬢さん相手とかだったら相手が可哀想で俺は泣くね」

 相手はお嬢さんではなく戦場を駆ける軍人だ、命も精神も削られるのには慣れているだろう、とズィズィは肩を上下させ、頭から蒸気を出しそうなヒンリヒトの肩を宥めるように叩いて酒場へ誘う。
 男たるもの、やりきれないときには飲むに限る。疲れたときだって酒さえあればどうにかなるのが軍人だ。
 幸いにも由緒正しい政略結婚、両国ともに花婿花嫁の関係を熟知しているために結婚式当日まで顔を合わせることもない。下手をすれば、まともに面談するのは初夜の閨になるだろう。
 その頃までにはヒンリヒトも諦めを覚えてくれていればいいが、とそれこそ諦め半分にズィズィは祈った。

「今度こそあの遺灰色の髪じゃなくて首の骨叩き切ってやるはずだったのに……!」
「やっぱり無理かなー……」

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あきゅろす。
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