小説
食文化コミュニケーション〈GV〉



 軍人であるヴィオレは見た目の小奇麗さに反して、ゲテモノの類も食べることができる。もちろん、率先して食べたいわけではないが。戦火厳しいときは口を使って蛇の皮を剥いだこともあった。大変生臭いのでやはりあまり経験したいことではない。
 だが、そんなヴィオレをして目の前の料理は躊躇せざるを得ない。
 所謂、ゼリー寄せと呼ばれる料理なのだが、ゼリー寄せと言われてヴィオレが想像するもの、知るものと、目の前にあるものは一致しない。いや、端的に特徴だけを述べるならば一致するであろうし、これは間違いなくゼリー寄せである。
 しかし、これじゃない。

「……グレンよ」
「あ?」

 向かいの席で同じ料理を前にするグレンはヴィオレの表情を見て怪訝な顔をする。
 あまりにも解せないという表情をする相棒に、果たして何があったのかと言わんばかりのグレンは、目の前のゼリー寄せに抱く疑問は持ちあわせていないようだ。ヴィオレはがっかりした。

「これは、なんぞ」

 行儀の悪さを承知でゼリー寄せを指差すヴィオレに、グレンは軽く片眉を上げる。

「鰻のゼリー寄せ」
「嘘を吐くでないわ!!!!」

 思わず怒鳴った。
 魔力干渉への制御こそかけているが大声であることに変わりはなく、周囲の人間が何事かと窺ってくるのをグレンが面倒くさそうにひと睨みで散らし、肩で息をする相棒に「落ち着けよ」と水を勧める。質問に答えたら全力で嘘吐き呼ばわりされたにも関わらず、相棒限定で発揮されるグレンのひとの好さは健在だ。
 普段であればグレンのひとの好さに感謝やら揶揄やら苦笑やらといった反応をするヴィオレであるが、現在の彼にそのような余裕はない。
 先ほどからヴィオレの心を捉えて離さないゼリー寄せ、グレン曰く鰻のゼリー寄せはやはりヴィオレの知るものとはあまりにも違いすぎた。
 ヴィオレの知っている鰻のゼリー寄せは鰻と野菜のテリーヌをゼリー寄せにした目にも楽しいものであったり、そこまで求めなくとも鰻をきちんと下処理、然るべき捌き方をしていると目で分かるものである。
 だが、目の前にある暫定鰻のゼリー寄せ、グレン曰く確定鰻のゼリー寄せだが、まず、鰻とゼリー部分以外の要素はない。野菜などという小洒落たものは存在しない。ゼリー部分も何らかの工夫された味付けが期待される色をしておらず、色らしい色もない半透明具合。鰻そのものは下処理の過程を絶望視することこそが今後の希望とばかりのぶつ切りである。
 一言で表すと醜怪だった。
 他に食べるものがない、諦めるべき食文化としてのゲテモノであればヴィオレは虫だろうが爬虫類だろうが食べるが、なにが悲しくて戦時中でもなし、懐や世界経済に問題があるわけでもないのにこんなゲテモノが料理でございという顔をしてテーブルに並んでいるのか。目の前のグレンが平然としていなければヴィオレは苦情のためにシェフを呼べとでも言いたくなっていたかもしれない。

「なにも目頭押さえることねえだろ」

 いよいよ呆れるグレンが鰻のゼリー寄せを掬い、口に運ぶ。
 咀嚼。
 嚥下。
 顔色に異常なし。
 ヴィオレは恐る恐る己の分に視線を落とし、意を決した。
 ――後悔した。



 そんなことがあった、と思い出すグレンは肘をついた片手で目元を覆って項垂れていた。
 当時はヴィオレが騒いだ挙句に撃沈しかけるのを大げさだと思っていたが、そんなことはなかった。
 世界を隔てるというのは大変なことなのだとグレンは初めて実感している。
 研究に没頭することが珍しくないヴィオレは、毎回の食事を「貴族らしく」しているわけではない。殊、グレンがいる間は「堅苦しいのは嫌いであろう」との一言であっさりと気安い席を用意させるのだが、食事の内容自体は中々のものだ。
 そのときの夕食もそうだった。
 並べられた皿の上、食欲誘う香りを放つのはガーリックバターを利かせた貝。
 貝だと、グレンは思った。思って、いた。
 身は芳醇な旨味に溢れ、その身から滲みでた旨味を吸ったガーリックバターを付けて食べるパンも最高と言っていい。
 思わずグレンは言った。

「美味えな、これ」
「そなたがはっきりと申すのは珍しい。気に入ったのであれば用意しておこう」

 微笑んだヴィオレには悪意など微塵もない。むしろ、好意十割といったところだろう。
 グレンがその貝の詳細を知ってしまったのは、既にヴィオレの屋敷で定番の料理とまでなってしまった頃のこと。
 賞金稼ぎとしてのひと仕事を終え、ヴィオレの屋敷へと向かっていたグレンの足はとある店の前で止まる。
 見覚えのある貝が売られていた。
 カスタニエ首都は海に近くないため、魚介の類は専門の店が扱っているものだ。だが、その店はそういった専門店ではない。
 歴戦で培われた勘が故か、グレンは嫌な予感を覚える。
 立ち止まって貝を凝視するグレンに商売人らしい店主は明るい声をかけてきた。

「兄ちゃん、エスカルゴが好きなのかい? 今日のは丸々と大きいよ!」
「エスカルゴっつうのか」
「なんだい、あんたエスカルゴ知らないのかい? そいつは人生損してるよ。貝みたいな味と食感だけどね、どんな貝よりもずうっと美味いんだから!」
「……貝じゃ、ねえのか」

 では、エスカルゴとはなんなのか。
 何故か背中に冷たいものを感じるグレンの前で、貝だと思っていたものがうぞ、と動き、中から――
 その日、グレンはヴィオレの屋敷へ向かう予定を変更して宿をとった。
 好意のみで出される夕食を前にする精神力が、どうしても足りなかったのだ。

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あきゅろす。
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