小説
成長とは明日への一歩である(後)



「――ジルベルを?」

 ヴィオレが手隙の頃を窺って、彼の部屋を訪ったリムはジルベルを師に望み、同僚であるヴィオレにジルベルへ願い出る機会を貰えないかと相談した。

「厚かましい願いだとは思いますが、俺は……」
「いや、連絡ひとつ入れるくらいはどうということもなし、構わぬのだが……」

 構わないと言う割りにヴィオレの口ぶりは重たく、リムはならば何故かと薄紅の目を揺らす。

「そなたもざっとこの世界のことは調べたであろうが、先の大戦において英雄と呼ばれた男のことは知っておるか?」

 人類がその荒廃を賭けてドールと呼ばれる存在と戦った凄まじい大戦について、リムは知識のなかにざっと入れている。
 ドールという存在を知って、何故ヴィオレがあれほどイルミナ救出やアンゲルの凶行阻止に尽力したのかリムは少しだけ理解した。
 その大戦での英雄の話を持ちだされてリムはまばたきの後、思わずため息を吐いてしまう。

「あの方が……」
「左様、奴が件の英雄ぞ。あの身には政治も取り巻いておる故、そなたの望みは些か難しい」
「それは、仕方のないこと、です」

 諦めるしかないことだと納得するも、落胆を隠せないリムにヴィオレは苦笑して「この屋敷へ来る際はそなたを見てもらえぬか伝えておこう」と約束する。

「ありがとうございます」
「いや……」

 ヴィオレが首を緩く振ったとき、部屋付きのメイドがイルミナの訪いを知らせる。ヴィオレが許可を出してほどなく、部屋のなかへやってきたイルミナはリムの姿にぱっと目を輝かせてからヴィオレに礼をした。

「なんぞあったか?」
「お師匠に錬金術を学ぶ許可を頂きに参りました!」

 期待を込めて薄紫の目でヴィオレを見上げるイルミナは、今までヴィオレから伝えられる学術分野や教育順序に注文や文句をつけたことなどない。
 それが態々希望を伝えてきたこと、しかもそれが錬金術であることにヴィオレは不思議そうな顔をする。

「科学、ではなく錬金術か?」
「はい」
「……なんぞ、目的やしたいことでもあるのか?」

 イルミナはふにゃりと気恥ずかしそうに顔を緩め、胸の前で両手をきゅっと組んだ。

「料理が、したいのです」

 リムは知らぬことだが料理は錬金術に連なる。
 イルミナはまだ公に紹介はされていないものの、ヴィオレの弟子であり、屋敷では客人の扱いだ。よって、料理などは使用人の仕事でありイルミナが携わることはできない。まだ幼くとも女であることから裁縫などは望めるが、厨房に立つことは客人に許されることではない。
 しかし、錬金術を学ぶという名目で師であるヴィオレが許可したのならば、話はまったく別だ。イルミナは厨房に立つ大義名分を得られ、また使用人たちも仕事を侵されることにはならない。
 イルミナがそうまでして料理をしたい理由を察し、ヴィオレは目元を和らげて視線をリムに向ける。
 自分をヴィオレが生暖かい眼差しで見たのも知らず、リムは何故、料理がしたくて錬金術を? と不思議そうに主を見つめた。

「ふむ、学びたいものがあるならば学んだほうが良いであろう。ただ、私の教えられる錬金術では分野が異なる。屋敷の厨房には優秀な錬金術士がおるので、その者に分かりやすいレシピ……いや、入門書や実践書を紹介してもらい、見てもらいながら学びなさい」

 話はきちんと伝えておく、というヴィオレの言葉にイルミナははしゃぎたいのを堪えているのがリムにさえ丸分かりな様子で「はい!」と頷く。
 全身から感情を溢れさせるイルミナが眩しくて、リムはとても嬉しい。彼女がこんな風に過ごせることを、ずっと願っていた。

「ヴィオレフォンセ殿下」
「なんぞ」
「――ありがとうございます」

 リムはグレンにも礼を伝えたことがあるけれど、そのときは彼に「俺はあいつがいなけりゃお前らと関わることもなかったし、手を出す気もなかった。どうしても礼を言いたけりゃあいつに言え」とばっさり切り捨てられている。捻くれているわけではなく、これがグレンの本音なのだと分かっている。
 だから、リムはグレンの分もヴィオレへ感謝を繰り返すが、彼もまた礼などいらないのだと苦笑するのだ。
「やさしい大人」など、信じていなかったのに。
 リムは震えそうな呼吸を整え、一緒にヴィオレの部屋を出たイルミナへ問いかける。

「イルミナ様、『明日はなにがしたい』ですか?」

 当たり前に今日の続きがあると、自由な選択を訊ねられる幸福。
 イルミナが楽しそうに、嬉しそうに話す、きっとなんてことのない小さな望みが、リムには途方もなく尊く感じられた。



「ゲロ甘い」

 ヴィオレがリムたちを迎えた部屋の続きの間、ドアが閉められていたにも関わらずグレンの優秀過ぎる耳は会話を拾っていたらしい。
 当然ながら常人では聞こえないはずだが、対ひとりのために防音術式でも敷くべきだろうかとヴィオレは考えた。防犯上、常時敷くのは気が進まないのだが。

「せめて、甘酸っぱいとでも言えぬのか」

 かわいらしかろう、と続けるヴィオレをグレンは鼻で笑う。
 屋敷の主人よりも屋敷の主人らしくソファへ尊大に掛けるグレンの隣、ヴィオレもまた寛いだ様子で腰掛ける。その様は先ほどまでのこどもを見守る大人の姿よりも自然体で、気が抜けていた。

「オートマタと初めて相対したそうだが」

 自律型ドールは性能がどれも高く、またその性質故に厄介といえる。
 窺う濃い紫の目に心配の色はなく、見つめ返す緑の目にもふてぶてしさしかない。
 グレンとヴィオレは同時に笑い出す。

「相棒殿が相変わらずでなによりぞ。黒に近い灰色の土地の調査についてくるのと、工房破壊依頼を出されるの、どちらがいい?」
「調査にお前が態々行くのか?」
「酷い魔力の乱れが起きており、更には今までの例からしてタンペット級が潜んでいる可能性有りとなればな」
「行く」

 ヴィオレは肩を揺らす。
 中級以上のドールに向かうかもしれない状況で、こんなにも愉快な気持ちになる日が来るとは以前であれば夢にも思っていなかった。

「まったく、楽しみそうな顔をしおって」
「不謹慎だとでも怒鳴らねえのか?」
「つまらぬことを言うな」

 思ってもいないくせに、とヴィオレは手の甲で軽くグレンの肩を叩く。
 思っていないのはヴィオレも同じこと。
 ヴィオレはグレンを、己が相棒を、唯々――

「誰よりも信頼しておるわ」
「……上等だ」

 凶悪な笑みを浮かべたグレンは、やはり違うことなく行動で以って応えを返した。

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