小説
春は尊き歩けよ乙女〈GV〉
・帰還後



 広い、と言っても王宮での暮らしに慣れたイルミナにとっては驚くようなものではない屋敷のなか、彼女はヴィオレを探して歩いていた。
 ひとを、それも屋敷の主を探して歩くという行動に、イルミナは未だ胸がドキドキと弾んでしまうのを抑えられない。
 ヴィオレの屋敷には当然使用人がいるし、入ってはいけないと言われる場所もある。
 しかし、イルミナは使用人に言伝を頼んで了承を待つ必要も、案内されるままに後ろをついて歩く必要もないのだ。
 イルミナに与えられた身位による特権でも、お客様として弁えるべき礼儀でもなく、イルミナという少女へ向けて許された寛容で以って彼女は屋敷を歩き回って目当ての人物を探している。
 弾む胸はそのまま足取りと呼吸に表れ、ようやくヴィオレを見つけたときにはイルミナのまろい頬は赤く上気していた。

「お師匠!」

 ヴィオレの研究室の一つ、魔石が棚に多く並ぶ室内でヴィオレは透明な魔石を片手にイルミナを振り返る。片耳のカフスピアスが光った。

「ああ、丁度よかった。新しい分ぞ」

 差し出された透明な魔石を両手で受け取り、イルミナは目を細める。
 透明な魔石はイルミナ用の魔力貯蔵庫が完成するまでのつなぎであり、魔力を吸収して溜め置く性質を持っている。
 同じ属性の魔石そのものを創ることはヴィオレにとって造作もないことなのだが、この魔石はヴィオレの魔力によって創られたものではない。
 固有魔力を溜め置くものを固有魔力によって創るのでは、如何に加工したとしても後々イルミナが使う際にどうしても馴染みが悪くなると配慮してのことだ。よって、用意された魔石は含有魔力の少ない低級品を加工して作られたものである。

「ありがとうございます」
「いや。貯蔵庫の完成が遅れてすまぬな。ピアスの形状を避ける場合での効率が中々望む基準値を出さぬのだ」
「……お師匠、私はピアスでも構いませぬよ?」

 固有魔力の性質に合わせる必要があるといっても、基本が完成している魔力貯蔵庫が未だにイルミナのもとにないのは形状を選んだ弊害であった。
 魔力貯蔵庫はヴィオレもそうであるようにピアスが主に用いられるのだが、ピアス穴を空けるのは初装着と同時だ。
 魔力貯蔵庫に付いた魔術針を肉に貫通させてそのまま留め、流れた血、つまり魔力を吸わせて完全に個人の魔力貯蔵庫が完成する。装着したまま治癒術式をかければ穴が安定するので次からは痛みもないが、初回だけはどうしても流血が必要だし痛みは避けられないのだ。痛みは術式の発動によるものも含むので、どれだけ氷などを事前にあてていようが無駄である。
 イルミナには記憶もあやふやなことであるが、既に剥がされた紋章術式に因む苦痛を知る彼女としてはそれくらい、と思うがヴィオレにとっては済まないことらしい。
 今もイルミナへ向かって苦笑したヴィオレは、視線を合わせるように膝を折って彼女へ言い聞かせる。

「そなたはようやく少女になろうとする童女ぞ。なにも、今からその身に傷を増やすことはあるまい。ただの装飾品であるならともかく、魔力貯蔵庫だ。背伸びしたいのは分かるが、着飾るための我慢を適用する必要などないわ。なに、左程待たせはせぬ。師を信じぬか」

 柔らかく頭を撫でる手にイルミナはさっと下を向く。
 イルミナの頭を撫でてきた存在は少ない。祖母である女王の他は、乳母が物心つくかつかないかの頃にぐずるイルミナをあやしたときくらいにしかないだろう。
 貴人の頭に触れていい人間は限られている。
 イルミナは王太子息女であった。兄姉はおらず、父である王太子はイルミナとまともに接したことはなく、母は魔法兵器との接触を制限される筆頭だ。
 だから、イルミナこんな風に頭上へ灯る温度に馴染みがなく、感じるたびに目元まで熱くなってしまう。
 へにゃりと眉を下げて唇を噛んだ顔を見られたくないイルミナのことなどお見通しとばかり、立ち上がったヴィオレが最後にぽん、とイルミナの頭をやさしく叩く。

「さて、そなたの魔力を込めた魔石も溜まってきたことだし、今日はこれらに属性を付与させる術でも教えようか」

 魔石の並ぶ棚の一つ、一番新しくて、一番背の低い棚はイルミナ専用の棚。イルミナのために誂えられた場所。
 棚へ魔石が並ぶのは、それだけ自分の身を食い破ろうとする魔力がある証拠だけれど、棚から少しずつ隙間がなくなっていく様がイルミナは嫌ではなかった。
 棚が埋まれば、新しい棚を用意すると当たり前に言っていたヴィオレの言葉を覚えているから。
 自分のための場所を当たり前に用意してくれると言うから。
 イルミナが大きく深呼吸して顔を上げたとき、研究室のドアがノックされ、許可のあとにメイドが一人入ってきた。

「ヴァーミリオン様がいらっしゃいましたので、お知らせに参りました」
「……あやつは西方で稼働していた工房の破壊とドール殲滅に向かっておったはずだが、もう帰ったのか。相変わらず、ばかばかしいほど仕事が早い」

 呆れたように言うくせにヴィオレの顔は上機嫌そうで、師のそんな顔にイルミナは小さく笑う。

「イルミナ、予定変更だ。リムを呼んでおいで」
「はい、お師匠」

 メイドへ食事を早めるよう告げるヴィオレに礼をして、イルミナは研究室を出る。
 小さな歩幅の足取りは、しかし研究室へ辿り着くまでの間と違って迷いがない。
 たとえ、異世界へやってきても、リムがどんなところにいるのかなんてイルミナには探すまでもないことなのだ。

「ふふ、大好きなひとのことが分からずして、なにが乙女かよ」

 すぐに其処へ行くから、待っていて。
 願える幸福に弾む足取り、染まる頬はきっとそのせいだけではなかった。

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あきゅろす。
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