小説
一話



 リムは己の血族の顔を知らない。
 物心ついたときには既に、リムを取り巻く環境は極端な閉鎖空間であった。
 破壊されぬように魔法の敷かれた石壁の部屋には、同じく太い格子の嵌められた小さな窓があり、僅かな光を届ける。
 食事は日に一度、潜戸のように小さな戸に設けられた差込口から無言で押し込まれ、リムはそれを獣のように貪り舐め啜って生きていた。
 薄暗くて大して広くもない石の部屋がリムの知る世界の全て。小さな窓から見える空で暗色以外を覚えた。
 気づいたときには其処にいたので、外へ焦がれるという感情も、現状への憤りや絶望もリムは覚えることがなく、ただ繰り返しの日々を緩慢に生きている。
 後になっても己の正確な年齢を知らないリムだが、大凡十四歳の頃までは其処へいた。
 初めて戸が開いた日のことを、リムはよく覚えていない。
 自分は一切動いていないのに、大きな音がしたことだけは印象に残っている。
 気付けば一変していた環境。
 見知らぬなにかが見知らぬ音を発していた。
 なにかが自分以外の生き物、ひとであり、音が声、言葉であることを理解するには十年以上の孤独があまりにも高い壁となっていたのだ。
 けれども、皮肉なことにリムに異常な環境を強いた理由が、常人であれば越えられぬであろう壁をリムに越えさせる。
 環境が変わってひと月、リムは幾つかの単語を覚え、ものと名称を一致させ、食器などの簡単な道具を拙くも使えるようになっていた。
 通常、人間が言語を習得できる臨界期は十二歳前後とされている。にも関わらず、単語だけであろうとひと月で言語を覚え、見本となるものが一切なく学習する機会から隔絶されていながら周囲の行動と結果、意味を大凡理解して真似る。
 異常だった。されど、その異常はリムを石の部屋から出した人間たちにとっては予想できないことではなかったらしい。むしろ、できなければ容赦のない打擲、あるいはそれ以上の折檻をリムに施したほどだ。
 半年後、リムは片手に剣を持ち、ひとりの騎士を打ち負かしていた。
 言語は通常会話であれば聡明な十歳児程度にまで向上し、日常生活においても然り。身体能力、特に戦闘技能は実戦を経験した新兵を上回る。流石に古参兵には届かないが、時間の問題だと思われた。事実、リムはもう半年でそれに近いところまでいったのだ。

「この辺りで頭打ちか」

 リムの能力を記録していた人間が言う。

「いや、彼の遺伝子は遅れを取り戻すことに集中した。これからは常人と同じゆるやかな速度で進むだけだろう」
「期待はずれ、というわけだ」
「あいつの目を見ろ。期待は虹彩の色と同じ程度に収めておくべきだったな」

 その頃には同年代よりもずっと聡明な知能を養っていたリムは、己についての知識を蓄えている。
 亜人と呼ばれる人びとのなか、比べられるものではないがドラゴンに類似する特徴を持つ竜人と呼ばれる種の血がリムには流れている。それも、ただの竜人ではない。生まれ持つ力の強さで階級の決まる竜人のなか、候爵級の竜人の血だ。伯爵以上の竜人は最低でもBランク迷宮のボスほどの能力を有している。王級ともなればAランクの裏ボスだ。
 竜人が世界の覇権に手を伸ばさないのは、彼らがドラゴンの性質を引くからだ。
 自身より弱い種族を見下ろす爵位級の竜人は、人間を同じ土俵に上げない。彼らは彼らの素晴らしき世界を完結させている。
 そんな竜人の候爵の落胤がリムだ。
 竜人同士の子であったのなら当然劣悪な環境で十年以上過ごすことなどありえないし、その後を研究対象のように観察されることもない。
 リムは竜人と人間の混血児という、竜人にとっては醜聞の種であった。その目に触れたくないと閉じ込めてしまうほどの汚点なのだ。
 石の部屋から出ることができたのは、竜人の候爵が周辺から住まいを遠くへ移すことになったからである。自分の目の前をちょろちょろしさえしなければリムがどうなろうと興味のない竜人の候爵は、置いていく財を欲しがった人間に財ごとリムをくれてやり姿を消した。
 リムを手に入れた人間たちは候爵級の竜人の血を引くリムに期待する。候爵級とまではいかなくとも、爵位級の竜人の能力を持つ「人間」を育成できるなど、どれだけ素晴らしいことだろう。
 大国は大国としての地位を保つため、いつでも「兵器」を欲しがっている。リムのいるエクリプスでも然り。
 なにも知らないリムの存在は打ってつけだったのだ。
 それなのに、現実はそんなに上手くいくわけがない。
 竜人の血は劣悪な環境を生き抜く頑丈さと、環境への早期適応能力、身体能力の高い基礎値をリムにもたらすに留めた。
 候爵級の竜人の血が流れているとはいえ、半分は人間の血が流れているのだ。もとより訓練していたのならともかく、現状でこの結果ならば十分恵まれているほうだ。
 期待が大きかった分、失望も比例して、人間という生き物、感情を知ったリムへ冷たい視線が向けられるようになった。
 多くを知らなかったリムだが、無知の幸福を知るのは胸が凍るような心地がする。
 望まれず生まれ、望まれて生かされ、失望されて捨てられる。
 無知のまま、石の部屋へいれば知らなかった痛みに突き動かされるよう、リムは剣を振るう。頭打ちと見限られた能力の限界値を上げようと学び、遅々とする歩みに歯を食いしばった。
 転機は王都で開催された武闘大会にて訪れる。
 正式に軍へ所属していなかったリムは実のところ実戦を知らない。
 エクリプスでは暫く軽い小競り合いが精々で、下手に相手を叩き過ぎてもいけないためリムを送ることもできなかったのだ。代わりに武闘大会というある意味実戦しか知らない冒険者という存在が多数参加する大会で騎士とは違う戦い方を学ばせようという意向である。遅かれ早かれ軍へは入ることになる、箔付けの意味もあっただろう。
 冒険者は我流の戦い方をするものも多く、騎士の型に馴染んだリムは最初こそ苦戦したが試合が進むに連れて「なんでもやる」という戦い方に早期適応能力が働き始めた。
 そして決勝戦、奇しくも相手は竜人。竜人は冒険者で、人間の催しに参加していることからも分かる通り、当然爵位級ではない。
 然れど竜人、純粋なる竜人、人間とは身体能力の基礎値が違う。
 苦戦、負傷。
 観客席が熱気に包まれるほどの大奮闘は、リム本人からすれば必死であり死に物狂いだ。
 弾かれた剣ごと吹っ飛ばされる体。上下反転した世界で迫る敗北の足音を聞く。
 人間の達人に及ばず、爵位持たぬ竜人に届かず、己はまさに半端者。
 生まれを疎まれ、経過を見限られ、結果は語れるものもなし。
 無意味。無価値。
 否定を断じる声にリムは吠える。
 くだらない。
 そんなくだらないものに振り回され、決めつけられて堪るか。
 勝手なやつらが勝手につけた値札で勝手に落ち込む勝手な自分などいらない。そんな自分は勝手に死ね。
 自分は生きる。自分は主張する。自分は刻む。
 我は此処に在り、全身全霊で吠え猛る。
 一瞬前とは段違いの身のこなしで着地したリムは獅子奮迅の勢いで竜人を攻める。
 引き攣った司会の合図、闘技場の壁に体をめり込ませた竜人の首筋ギリギリにリムは剣を突き立てていた。
 武闘大会優勝の箔に周囲は再び態度を変える。

「なんだ、まだ伸びしろは十二分にあるじゃないか」

 リムの望まぬほうへ向かって。
 訓練という名の虐待。
 限界を振り絞らせられ、心の臓が一度停止した。
 苦痛を知った体と心が理解する。自分がいる場所は地獄だ。周囲の鬼が笑っている。
 まだいける、まだできる、もっとやれ。
 吐いた血反吐はバケツ何杯分だろうか。折れた骨は数え切れない。
 周囲が満足するのが先か、自分の限界が先か。
 死んで堪るか、死んで堪るか、死んでゴミ屑だと嘲笑われ今度こそ己の意味を失くして断じて堪るか。
 足掻くように藻掻くように生きて、ようやく得た人間性すら擦り切れそうな日々は稚い声によって終わりを告げる。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!