小説
同じ視野、違う目線(後)



「自己紹介をするのは初めてですね。茅嶋美咲と申します」

 格式張ってはいないが、洒落た雰囲気のレストランの個室で千里は男、美咲と向い合う。

「久々津千里です」
「やはり」
「……俺のことを知っている……覚えているには年齢がお互い微妙だと思うんですけど?」
「小さいころから物覚えや想像力がいいのは私もだったんです。短い期間でしたが天才少年としてテレビに映ったあなたの顔は覚えています。喫茶店で見たときは既視感を覚えただけでしたが、あなたを注視していればテレビに映っていた幼児が成長したらこうなるだろうという姿そっくりでしたよ」
「中身までむかしの延長で成長しているとは限りませんよ」

 むかし天才いま凡人、と歌うように言えば、美咲は「ご冗談を」と一笑に付した。
 美咲は喫茶店でいつも書類仕事をしていたが、同時に自身の振る舞いにも意識を向けていたのだと千里は理解する。千里が思考しながら行動するように、同時進行で物事を行える人間はいるのだ。
 直接交わしたやりとり、千里が店内でさり気なく行うあれやこれ。その全てを拾い、美咲は既に千里へ評価を下している。それを察してしまえばはぐらかすのも面倒でしかない。

「で、茅嶋さんは俺をどうしたいんですか?」
「美咲でいいですよ。アルバイトをお願いしたいんです」
「バイト?」
「大学卒業後はそのまま就職していただければ幸いです。内容は主に雑用と私への助言ですよ」

 例えば、と言いながら美咲が鞄から取り出したのはクリアケース。中にしまわれた書類の束を三つ取り出し、千里へと差し出す。読んでもいいのか、と視線で問えば首肯された。
 三つの束はそれぞれ分野の違う未完成の企画書で、これはほんとうに赤の他人へ見せていいものだろうかと千里は眉間に皺を寄せる。

「見たからには、なんて脅し文句はありませんよ」
「……信じますよ」

 千里は速読でもしているかのような速さで企画書を隅々まで熟読し、あっという間に三つの束を美咲へ返した。
 受け取った美咲はクリアケースにしまうなり、それぞれの企画書に対する意見をつらつらと述べる。世間話でもしているかのような口調だったが内容は深い。

「――以上が私の視点です。今度は久々津さんのご意見をお聞かせ願えませんか?」
「俺も概ね美咲さんと変わりませんが――」

 美咲に応じた千里が述べるのは美咲の意見とはやや角度を変えた見方をしたもので、相手によっては面と向かって言えば喧嘩でも売っているのかと言われかねない。
 だが、微笑を浮かべながらも真面目に聞く美咲はひどく満足気で、千里が「以上です」と言葉を結べば深く頷いて「やはり素敵だ」と千里を称賛する。

「私の仕事は私一人でも十分に視野が足りるものですが、たまに物足りなくなるんです。もう一歩、もう一味、十分ではなく十二分を目指したい」
「完璧主義ですか?」
「いいえ、凝り性です」

 投げるときは投げます、とは笑顔で言うことだろうか。

「そういうときに久々津さんの視点が欲しいのです」
「じゃ、なんで雑用も入れたんですか? 必要なときに呼ばれるだけ、言ってしまえばメールや電話で足りるものならともかく、雑用は普段からあれこれ必要でしょう。生活を多少変えることになるなら渋ってもおかしくありませんよ」
「私が心底雑用係を欲しているからです。そして、それにもやはり久々津さんが理想的でした。知っていましたか? 私を含めて常連客のなかには久々津さんがいないときにがっかりしているひともいるんですよ。あなたはそのときそのひとが欲しいものを考えられるひとです。いつもこれを飲んでいるから、で気分と違うものをよこされると引っ掛かりを覚えてしまう。それと、あなたの気遣いは考え事をしながらというところが実にいい。気が利きすぎると鬱陶しいという人間もいますが、あなたは当てはまらない」
「美咲さんが俺を必要としてくれているのは分かりました。ですが、俺は別にいまの生活に不満はないんですよ」
「ほんとうに?」

 職人の店で聞いたのと同じ言葉。
 千里とよく似た視点を持つ美咲は、きっと育った環境と現在の年齢が違うだけで千里の感情すら共感できるものを持っている。
 千里は行儀悪くテーブルへ肘を突き、美咲をじっと見やった。

「否定したとして……美咲さんは『用意』できますか?」
「久々津さんにとってはどこまでが雑用になるのか、正確に把握しているわけではありません。ですから、私は新しい仕事を頼むごとに『できますか?』と訊ねるでしょう。久々津さんが『できる』と言えばそのままお任せします。
 ――できると言ったならできるのは当たり前、私は一々手を叩いて称賛などしません」
「つまり?」

 千里は片頬を上げ、美咲に続きを促す。

「久々津さんが存分に才能を発揮しても煩わしい思いをしない職場を提供します。どうか、私の手伝いをしていただけませんか?」

 これでどうでしょう? という美咲の副音声が聞こえてきそうで、千里は声を上げて笑いそうになるのを堪えた。
 千里は己の才能をひた隠しにしたかったわけではない。顕にすれば幼少期のように騒がれ、周囲が勝手にはしゃいで囲んでくるのが分かっていたから手を抜いていただけだ。
 そんな一種の我慢を美咲はしなくていいと言う。むしろ、しないで自由にのびのびとする千里をこそ求めているという。

「契約書、いま書いてくれます?」
「よろこんで」

 笑顔で万年筆を取り出す美咲。
 綴られた内容には一切の不備も、ましてや抜け穴もない。美しく仕上がった書類に思わず千里は惚れそうだ。

「良い関係を続けたいですね、雇用主さん」
「末永くお願い致します、アルバイトさん」

 成立した最良の雇用関係。
 握手を交わした互いの手に、揃いの金属が冷たく映えるのは暫く後のことだった。

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