小説
結ぶもの



 涙を流しながら「好きだ」と繰り返す昌太郎に、響は自分が夢を見ているんじゃないかと思った。
 響自身はずっと昌太郎を追っていたが、昌太郎はそんなことを知らず、先日のあれで初めて響を認識したのだ。
 次などないまま響は入院して、昌太郎との接触もそれきりで、退院しても以前と変わらないと思っていた。
 だというのに、目の前に昌太郎がいて、なんと言ったのだろう。なんと言っているのだろう。
 耳元をざあざあ血が流れる音が騒がしく、昌太郎の声がよく聞こえない。いや、聞こえている。聞こえているのだ。聞こえているなら――

「……僕も、好きです」
「鳴海ぃっ」

 響の言葉尻をかき消すように、老いを感じさせながらも滑らかな叫び声が上がった。
 次いでがん、となにかをぶつけたような痛々しい音がして、思わず響と昌太郎はそちらへ目を向ける。
 そこには体勢を崩した響の祖父、鳴海を抱えてドアに頭をぶつけている晋一郎がいた。

「あ……」

 響きと昌太郎の呟きが重なり、同時にふたりの顔が真っ赤になる。といっても、響は顔色がよくなっただけだが。
 忘れていた。すっかり第三者の存在を忘れていた。昌太郎にいたっては、自分の祖父以外にも他者がいるとすら気付いていなかった。

「無事か、鳴海」
「無事だけど、もう少し空気読みなよ。
 ごめんね、こっそり出て行こうとしたんだけど……。ほら、晋一郎、早く行くよ。あとは若いふたりでどうぞごゆっくり!」

 体勢を直した鳴海は晋一郎を引っ張り、病室を出て行った。

「……」
「……」

 ぐしゃ、と昌太郎は前髪を乱して俯いた。

「……この状況でなんだが、さっきのは、その……了承してくれたということで……」
「……はい」

 ほう、と安堵に溢れた吐息を落とす昌太郎に、響はゆるりと微笑む。
 響はゆっくりと手を伸ばし、俯く昌太郎の頬に恐る恐る触れた。

「僕はずっと、ずっと前から、好きでした」

 一つひとつ落とされた響の言葉が、まるで乾いた地面に降り注ぐ慈雨のように昌太郎へ沁みていく。
 ひゅっと息をのみ、昌太郎は震える手を響の手に重ねる。冷たい手だった。暖めるように絡め、その細さに昌太郎は胸が締め付けられる。

「寮まで送った日から探したんだが、見つからなくて……自分で見つけたかったんだが、いなくて……。三上に……別の話をするつもりだったんだが、お前が入院してるって聞いて…………」
「……僕は、身体が完成しきらないうちに生まれたんです。だから、何度も入退院繰り返していて……。
 悠介……三上に聞いたってことは、僕が会長の親衛隊の隊長だってご存知なのでしょう? ずっと、ご挨拶に伺えなくて、申し訳ありませんでした」

 小さく頭を下げた響を、昌太郎は衝動的に抱きしめた。
 昌太郎よりもふた周り以上細い身体は、そのまま折れてしまいそうで、力いっぱい抱きしめたいのを昌太郎は懸命に堪える。

「会えてよかった」

 それは「いつ」に対してなのかは、昌太郎自身も分からないが、ただ純粋にそう思う。
 なぜ、こんなに好きなのか分からない。好きだということしか分からない。
 背中に恐々と回った腕に、胸が痛くなるほどの愛しさを噛み締めながら、昌太郎はもう一度「よかった」と呟いた。



 ぶつけたところが頭だったので一応、と鳴海による診察を受けていた晋一郎だが、幸いにも異常を見つからず、ふたりは再び院長室に戻ってきていた。

「それにしても、まさか孫の告白現場に立ち会うとは思わなかったなあ」

 あの子が好きなひとがお前の孫っていうのは知ってたけど。
 自ら淹れた紅茶に角砂糖を落としながら、鳴海はくすくす笑う。

「昌太郎は完璧に俺に似たからな。あの顔だったら惚れるのは必然だ」

 逆に言うと、あの顔じゃなければ結城の一人息子が男に走るのは許さん。
 冷徹さすら除く目で言い切る晋一郎に、鳴海は苦笑いしながらミルクを差し出す。この男は案外甘党なのだ。

「私は今でもお前に掘られなかったのが奇跡に思えて仕方がないよ」

 学生時代を思い出し、鳴海は死んだ鯖のような目で力なく笑う。対して、晋一郎は心外だといわんばかりに顔を顰めた。

「俺はお前を愛しているが、そういう意味での感情ではないからな。それに、お前を損なうような真似はせん。俺はただ、お前を傍で見ていられれば、それで満足だ」
「奥方に嫉妬で殺されそうだからやめておくれ」
「結婚する前に『俺の最優先は鳴海で、俺がもっとも美しいと思うのも鳴海で、お前もいつか生まれるであろう子供もあいつと同じ天秤にかけられることすらない。それでもいいと言える度胸があるなら嫁に来い』と断言してある。あいつは笑顔で婚姻届に血判を押したよ。
 役所でごたごた言われたら面倒なんで、後から普通に判押したものを用意したが『血判状』は未だにうちにある」

 鳴海は絶句した。

「……お前って奴は……」
「なにか問題でも?」
「……お前の遺伝子を、これ以上僕の血筋と関わらせない方がいい気がしてきた」

 ぐったりとソファにもたれかかった鳴海に、晋一郎はくつくつ喉を鳴らした。

「無理だ、鳴海。見つけてしまったら、会ってしまったら、俺はもう駄目だった。お前も、俺から逃げられなかった。いや、距離はとりたかったかもしれないが、逃げたいとは思わなかっただろう? うちの孫もきっとそうだ。お前の孫しか目に入らない。そういう血だよ、鳴海」

 こくり、と紅茶を飲む晋一郎の喉が上下するのに合わせ、鳴海は唾液を飲み込んだ。

「まるで、呪われている気分だよ」

 ため息を吐いた鳴海に、晋一郎は声を上げて笑った。


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