小説
九話



 興元は直史と出会ったことで内面に変化があったが、本質というものは早々変化するものではない。所謂お付き合いというものが始まってから、興元はFクラスでさえ遠巻きにされるほど恐れられていることが嘘のように穏やかだった。
 面食いの直史から見ても素敵な男前なのに、人当たりまでよくなったらモテてしまうではないかと直史はご機嫌である。自分の好きなものは貶されるより認められるほうが良い。
 人当たりが柔らかくなったことでFクラスで絡まれやしないかという不安はあったが、興元は平和ボケしたわけではない。迎撃体制に入った興元は戦闘民族にしか見えなかった。

「そんな彼に引かず、好きだと思えるきみはきっと奇特な部類なんだろう」

 生徒指導のお使いでやってきた生徒会室、他の役員が出払っているなかで迎えた成海が言う。小腹が空いたのか、珍しいことにカレーパンなど食べていた。

「顔めっちゃ好みで俺には酷いことしないもの」
「……俺はむかしから思っていた」
「うん?」

 突然なんの話だと思う直史の前で、成海は食べ終わったカレーパンの包みをゴミ箱へ向かって投げる。外してぽとんと落ちたため、成海は立ち上がって態々拾いに行かなければならなくなった。
 ゴミ箱に包みを捨てて、しかし椅子のほうへは戻らずその場で佇みながら成海は続ける。

「シンデレラと王子は結婚したら絶対に大喧嘩するだろう、とな」
「……なんで?」
「環境が違い過ぎる。シンデレラは劣悪な環境からの脱出口である王子に過度な期待をするだろうし、王子もまた舞踏会で王子と踊れる身分であるという以外の情報がないまま靴のみを頼りにしてでもシンデレラを探す辺り、彼女に夢を見ている部分があるだろう。お互いに理想を押し付けあって、それに沿わないとなれば落胆と苛立ちはどれほどだろうか」

 物語への見解としては生々しいまでに現実的な成海の言葉に、直史は口元を引き攣らせる。話題を変えるべく成海が先ほど食べていたカレーパンから記憶を引き出し、先日成海が昼食にと持ってきたカレーパンの礼を言おうとした直史だが、やめた。
 曖昧にはぐらかして、有耶無耶にする気にならない。
 それは興元への誠意であるし、成海への誠意でもある。

「興元はさ、別にもう俺が必要な段階はとっくに過ぎているんだよ」

 搾取される側であったらしい当時ならともかく、いまの興元からなにかを奪おうとする人間は早々いないし、いても興元自身が返り討ちにできるようになっている。
 直史はある意味で興元の美化された憧れだ。
 遠くから見ていたから夢のように朧気だったものも、近くにいれば成海の言葉のように生々しく現実を伴う。夢も憧れも褪せるときが来るだろう。それが遠いことだと、直史は思わない。

「だからこそ、そのときが来ても興元に好きでいてもらえるように……まあ、頑張る次第なんですよ」
「……以前も言ったが、平素はちゃらんぽらんでもそうして真摯な部分のあるきみを俺は好ましいと思っている」

 成海はようやく椅子へと戻り、直史へ「もう用は済んでいるだろう。早く帰れ」と促した。
 素っ気なくも聞こえる幼馴染の口調に苦笑をひとつ、直史は生徒会室を後にする。今日はもう委員会室の鍵を返して寮へ帰るだけだ。
 軽快な足取りは童謡にあった兎のダンスを思わせる。昇降口までやってきて、差し込む夕陽が伸ばす影。伸びた別の影が踊る影を引き止めた。

「待っていたのか? 興元」
「ああ」
「ありがと」

 自分の腕を掴んだ興元の手を取って、直史は興元とふたり並んで寮へと向かう。
 夕焼けの中であっても光る星はある。
 直史は思春期と多感期が混ざっているような、大人ぶりたい男子高生としては些か恥ずかしい言葉であると自覚しつつも興元へ問いかけた。

「いまでも俺を王子様だと思っているか」

 興元が驚いた顔をする。そんな顔も、いまの直史にとっては好ましく、特別なものだ。

「当たり前だろう」
「当たり前ねえ……」

 不満があるのかとじっとり睨む興元に、むしろ王子様などと思われて真っ当な平民が不満に思わないと思っているのだろうかと直史は問いかけたくなった。けれど、それでは話が進まないのでぐっと堪えて我慢の子。直史はまた口を開く。

「俺は興元が思っているよりも、ずっとずっとその他大勢だ。どこにでもいる部類の人間で、どこにでもいる部類の人間よりかは酷い部分も逆にいい部分もあるかもしれない。特徴がないという特徴もないんだろうな」
「……なにが言いたい」

 あなたにはもっと相応しいひとがいるよ! などと言ったら貯水池に頭から突っ込まれそうだと思いつつ、直史は言いたかったことを最後まで告げた。

「俺は早く、興元の中で王子様でもなんでもない凡人になりたい。その他大勢のありふれた石ころの一つになって、たくさんに埋もれながらお前の特別になりたいよ」

 戸惑う興元には直史がその他大勢になる未来など到底想像もできないのだろう。人格形成に大切な時期を本人の認識はどうであれ孤独に過ごした興元はこどものような部分がある。
 なにか応えようとして興元の唇が震えたとき、下品な笑い声がした。
 振り向けばFクラスのなかでもしょっちゅう暴力沙汰を起こす生徒たちが数人、手をつないだ直史と興元を揶揄する。
 風紀委員長と不良がどうのこうのと煩い連中を、無表情になった興元がばっさばっさと薙ぎ倒していく。できれば殴りかかられてからお願いしたかったと直史は思う。風紀委員長の身でありながら、目の前で起きた喧嘩を未然に防げなかったとして叱責されれば甘んじて受けよう。
 直史が殊勝な気持ちでいる間に興元はさっさと戻ってくる。相変わらずの戦闘民族ぶりだ。

「お前、本当どこの武闘派だよ」
「噂になっているだろう」
「え?」

 興元が告げる広域指定暴力団の名前。ご実家に関する噂は真実だったようです。

「怖くなったか?」

 笑いながら言う言葉ではないなあ、と思いつつ直史はまた興元と手を繋ぐ。

「直史にはなにもさせない」
「なにかあれば周囲はその限りではないってことですね。はは……清姫じゃなくて六条御息所を物理でじゃねえか」
「なんだそれ」
「なんでもない」

 くすくす笑う直史は「いつか」が待ち遠しい。
 理想に飾られた王子様ではなくなった男をそれでも選んでくれますか。選んでください。選ばせてみせます。
 シンデレラの王子様でも星の王子さまでも第二皇子様でもなく、あなただけの王子様になってみせます。
 そのときは王子様なんて似合わないと、どうか隣で笑ってください。





「お前が王子様って柄かよ」
「そう言われるの、ずっと待ってた」
「でも好きだ」
「そう言ってもらえるのも、ずっと待ってたよ」



2015/8/28

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