小説
七話



 あかんフラグが立っていることくらい、死に体の直史でも分かっている。だが、生死の境目でフラグがどうのこうの言えるほど直史の生存本能は職務放棄をしていない。
 震える指先を成海に向け、途切れ途切れの救助要請。

「なる……たす、け……」

 気温が下がったような錯覚。
 人間冷房機と化した興元に抱きかかえられる直史はしかし、ぷるぷる震える余裕もない。
 目に見える幼馴染の危機、そのそばには繁殖期のグリズリーよりもワイルドで危ない雰囲気漂う興元。もはや乱闘していた生徒など烏合の衆以下の背景となったなかで成海がため息を吐く。
 成海はスパイシーな香りの発生源を片手に直史へと近づく。興元の殺人眼光にも怯まぬ様子は聖剣を抜いた勇者よりも頼もしい。直史は心のなかで成海へ大喝采を送る。一週間くらいは昼食を奢ってもいい。

「四枝、ナオ……しを殺したくなかったら一旦離せ」

 意外にも興元は直史を解放した。
 寛容且つ優先順位を違わぬ理性的な興元であるが成海を睨みつける眼光の鋭さは変わらず、そんな中で直史を抱え始めた成海はいっそ危機察知能力が現場放棄をしているのかもしれないと常時の直史なら思っただろう。そして、誰のためにとぷんすかした成海にラップの芯を鳩尾へ抉りこまれるのだ。
 直史を抱きかかえた成海だが、その様子には少女漫画的雰囲気は欠片もない。何故なら花トーン飛ばしながらひょいと横抱きにされたわけでも、まして点描散らしながら正面からふわりと抱き上げられたわけでもないからだ。後ろから両脇へ腕を通され、へその上に拳を当てられる体勢は密着しても色気を一切感じない。強いて言えば整体などの構図説明感満載である。

「ッオルァ!!」

 こんなに雄々しい成海の声を聞くのは、幼馴染歴長い直史であっても久しぶりだった。
 腹部に当てられた拳を突き上げられ、鋭い呼気が漏れる。続けて二発目、三発目。直史の呼吸を妨げていた程よくふやけて離乳食的な見た目になったナンが吐き出される。
 盛大に咳き込む直史を成海が解放すれば、興元が素早く寄ってきて甲斐甲斐しく背中を擦ってくれた。問題の解決能力は圧倒的に成海にあったはずなのに、興元のこのささやかな労りのほうに直史はじんわりくる。ハイムリック法はきつい。

「ああ……生きてるって素晴らしいんだあ……」

 喉をつまらせただけが理由ではない目尻の涙を光らせ、直史は安らかに目を閉じる。なんだか、とても疲れてしまったのだ。

「直史、お前寝るのか」

 興元の声に直史は小さく頷く。閉ざした瞼の向こうは、もう何も見えない。

「そう、か……次に目を覚ましたときは……いっぱい話そう」

 生徒会長とのご関係とかな。
 たんぽぽの綿毛のように長閑でふわふわと柔らかさを帯びていた興元の声が地獄から這い上がろうとする悪魔ですら取って返す重低音に変わるのを聞き、直史はささっと胸の上で両手を組む。
 すやぁ、と呟いて頑なに瞼を閉ざして口角を上げて安らかな寝顔を演出する直史だが、その額の生え際に滲んだ冷や汗は表情が語るもののみが真実なのではないと見るものに訴えた。
 頑なに起きる様子のない直史を興元は掛け声のひとつもなく背負い、幼馴染に乱立するフラグの一切を無視してこっそり逃げ出そうとしていた生徒たちをとっ捕まえる成海を一瞥する。いつの間にか生徒捕縛のための人員が増えているが、誰もが風紀の腕章をつけていないために一般生徒の可能性が高い。しかし、個人を特定するには全員が身につけている目出し帽が防御している。

「むかしお世話になった鶴、一名確保!」
「影よりお仕えする忍びの者、二名確保でござるニンニン」
「名乗るほどの者ではない、白ゐ貝殻の小さき耳輪を拾つていただきし恩義を返すべく一名確保」
「ご苦労」

 荒縄で手上げ縛りにした生徒を成海の前に突き出した彼らは、成海からの労いを一言受けるとすぐさま消えていく。
 成海は一連の流れを真顔で見守った興元にまったく遠慮のない様子で近づくと、やけにスパイシーな香りのする包みを突き出した。

「……なんだ」
「ナオ……しの昼食」

 興元の目に氷塊が過る。
 直史は今日の成海はどうして自分をこんなに追い詰めるようなことをするんだろうととても不思議な気持ちになった。命の恩人である件は後日おやつのレーズンヨーグルトを献上することで恩返しするつもりだ。

「何故、会長が直史に昼食を届けるのか、愛称を呼んでいるのかは直史に直接聞くとしよう」
「すやぁ、すやぁ」

 俺寝てますよ、起きてませんよアピールをする直史に興元も成海も構ってくれない。
 僅かに揺れ出す体、興元がその場を歩き去る。昼休みは間もなく終わるが、恐らく直史を外へ逃してはくれないだろう。

「こいつらは風紀に連絡しておくから、ゆっくりしてくるといい。担任にも拾い食いしたら酷い腹痛起こして早退したと伝えておく」
「すやぁー! すやぁー!!」

 抗議の鳴き声は黙殺される。
 しっかりがっしりと興元に負ぶさる体勢では逃げ出すこともできず、直史は昼下がりに市場へ売られる仔牛が如く揺られるしかない。
 全身から威圧感を放つ興元と、彼に負ぶさる直史を見送る成海が小さく呟く。

「焦れったいのは好みではない」

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