小説
五話



 そうだとしても王子様はねーよ。
 雰囲気に流されたと見せかけて、直史の冷静な部分がメガホンで叫んだのはご尤も過ぎる言葉だった。しかし、言うのが数時間遅い。既にあれから一晩経って、外では雀さんがちゅんぱっぱである。

「で、今朝もいるんですよ、これが」

 昨夜、寮に戻ってきてから確かにそれぞれの寝室へ別れたはずであったのに、直史のベッドには当然のように興元が潜り込んでいる。隠密行動に長け過ぎているだろう、と直史はため息を禁じ得ない。
 しかし、その寝顔も案の定一糸まとわぬ裸体も素敵だったので、直史は二回ほど柏手を打って拝んでおく。朝からいいもの見て今日も一日良い日になりそうです。
 興元は目が覚めるまでに時間がかかるのか、隣で直史が起き上がってもパンパンと手を打ち鳴らしても睫毛一つ震わせない。起きてからが早いことは既に知っているが、このままこっそり放置したらいつまで寝ているのかと直史は気になった。

「我々はその謎を解明すべく、ある実験を行うことにした」

 実験に準備もなにもいらない。直史が息を潜めてこっそりベッドを抜け出し、寝室からも出るだけである。ただ、朝の目覚めを促す珈琲や味噌汁を用意しないようにする必要はある。客観的に見なくても実験という言葉が烏滸がましいことこの上ないことがよく分かった。
 そろりと布団から出ることにまずは成功。次にベッドを下りるのだが、その際体重の関係で軋んだり揺れたりしないように気をつけなくてはならないため身長な作業が求められる。求めているのは直史ひとりだ。
 片足をベッドの下に下ろす。問題はなさそうだ。続く動作は素早く一気に、と思ったところでベッドに残る足を掴んで引っ張られた。体勢を一気に崩し、直史はベッドの縁に頭をぶつける。スプリングがなければ致命傷を負っていたため九死に一生を得るが、残念ながら無傷ではない。片足下ろした状態でもう片方の足を後ろに引かれたら当然股が裂ける。そこへ上体を倒したらもう、直史の全身からあちこちの筋が伸びて「ヒギィッ」と悲鳴を上げることしかできない。

「おはよう、王子様」
「股が! 股が裂けた!!」
「またか」
「やかましいわッ!!」

 上手いこと言ったつもりかと直史は吠える。
 昨夜、なにかフラグが立った気がするが全ては気のせいだったと直史は己の浅慮を恨んだ。もう少し冷静な判断ができていればこんな事態にはなっていなかっただろう。そう、冷静な判断ができていれば自身のベッドに全裸の同室者を置いてこっそり出て行くなどという真似をしなかったのだから。賢人曰く、これを自業自得という。

「と、とりあえず足を離してくれ……俺は新体操目指す気もなければ、いまの自分の座高に不満もないんだ……」

 興元が聞き分けよく足を離してくれたので、直史はそろそろとベッドへと下ろした足を引き上げる。暫しじんじんするが深呼吸を繰り返せば痛みは引いた。
 朝っぱらから酷い目に遭ったとどっと伸し掛かる疲労へ半眼になりながら、直史は興元を見る。
 窓から差し込む朝陽に輝く裸体はなんとも眩しい。

「おはよう」
「……おはよう」

 朝の挨拶を繰り返す興元に直史は挨拶を返し、迷うように視線を彷徨わせてから口を開く。

「なんで今日も此処にいるんですかねえ……」
「せっかく王子様が同室なのに、独り寝なんて寂しいことはしたくねえな」

 じゃあその顔と体で誰か誑かして来いよとは流石に直史も言えない。それが興元に告げられた気持ちのせいか、風紀委員長が同室でありながらギシアンされるのは立場が危うくなりかねないからかは、直史にも分からないが。後者であったなら相当の利己主義者である。

「ところで、だ」
「うん?」

 直史は現実と向き合い、興元をじっと見据える。

「その王子様っていうの、やめよ?」

 そういうの良くないと思うなあ、と言えば興元は明らかに不満そうな顔をした。こういう顔で机の下をがんがん蹴っているFクラス生徒を直史はよく知っている。物凄くガラが悪い。

「じゃあ、なんて呼べって?」

 やはり興元は寛容だった。不満があることでも一蹴せず、相手の意見を聞き入れようとしてくれる。社会において興元のような人間が多くいれば対話における解決というのはもう少し増えるのではと直史は錯覚するが、興元のような人間が増えたら朝の目覚めで心臓発作を起こす人間も増えるだろう。興元は未だに服を着ていない。

「志垣くんとか直史くんとか」
「もっと俺だけの特別感がほしい」
「お前俺の何のつもり?」
「言わせるな、恥ずかしい。いや、やっぱり言わせろ」
「やめてください、朝飯食いっぱぐれてしまいます」
「俺は――」
「やめろっつってんだろ!!」

 直史は強かに興元の頭を引っ叩いた。意外なことに軽快な音はしない。直史はもっと空っぽの音がすると思っていた。
 興元は乱れた髪をさっと払い、何故か嬉しそうに笑う。

「当たり前に手が届くんだな」

 前は遠目に見かけるだけだった、と呟き、興元はベッドを出る。
 直史はぽかんとしてその背中を見ていたが、ドアを半分ほど開いたところで興元は振り返った。

「なあ」
「んっ?」
「直史って呼ぶな。それなら、いいだろ?」

 直史は反射的に頷く。
 興元は「直史」と一度だけ名前を繰り返してドアの向こうに消えた。
 一人残された直史はおずおずと手の甲で目元を擦る。なんだか、やけに興元がきらきらしく見えたのだ。

「……いや、全裸男にかけていいエフェクトじゃなかった」

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あきゅろす。
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