小説
三話



 呼称改めを目指したはいいが、早々に実行できるかと言えばそうでもない。
 現在、直史はFクラス周辺へと向かっているが、それは興元との話し合いを目的としてのことではない。風紀委員長として喧嘩の仲裁に呼ばれたのだ。
 Fクラス同士の喧嘩は放っておけという風潮があるものの、だからこそ風紀委員が出て行くことになる事態というのは大変なやらかし具合である。既に二人組を派遣したのだが、その二人組から手に負えないということで直史が呼び出されたのだからどれほど現場が酷いことになっているかはお察しだ。
 憂鬱な気持ちで「廊下は走るな」と標語掲げる掲示板の前を五十メートル六秒を切るような心意気で走り、だんだんと近づく喧騒に引き返したくなる気持ちを必死に抑える。

「図に乗るんじゃないわよこのスベタ!」
「なんですってこのおブス!」

 抑えることなかったんじゃないかな、と思うが既に要請へ応じる連絡をしてしまった手前、引き返せば職務怠慢で突き上げられること間違いない。
 直史は諦めにも似た気持ちで立ち止まり、精一杯の威厳を持って野次馬の輪に向かって足を踏み出す。

「静まられよ!」

 廊下に響く直史の声。
 野次馬が車体の底に磁石をつけた懐かしの戦車のおもちゃが如く飛び上がった。
 ばっと振り返る面々に向かい、直史は再び声を張り上げる。

「静まられよ!!」

 しんと音の消えた廊下、野次馬が道を譲るなか進めば中央では胸ぐら掴み合う如何にもチンピラといった風体の生徒がふたり。直史はうっかりヤクザの下っ端に「ジャンプしろよ」とか言って後からえらい目に遭いそうな奴らだなと思いながら彼らを睨む。

「この騒ぎは何事だ。生徒間の戯れでは済まされんぞ」
「あいやしばらく!」
「風紀委員長、これには訳が!」

 お互いから手を離したふたりが悲壮な顔で訴え始めるのに頷き、直史は「話は委員会室で聞く」とふたりを連行しようとするが、ふと思い出して周囲を見渡す。

「先に来ていた風紀の連中はどうした?」

 野次馬が一斉に廊下の隅を指さす。視線を向ければ膝を抱える見慣れた顔がミニカーをしゃーこしゃーこ動かしていた。

「ぶーぶ、ぶーぶー!」
「きゃっきゃっ」

 完全に心が壊れている。
 なにがあったと再び野次馬に視線をやれば「こいつらがやりました」とばかりに今度は件の二人組を指さされた。

「掴み合いの喧嘩を制止できない段階で委員長呼んだみたいなんですが、その後も必死に止めようとして……」
「結果、ヒートアップしたこいつらに二人がかりで直江状ばりの駄目だしをされたらこんな風に……」
「戦国武将もガチヘコみして進軍が遅れた駄目だしを思春期の青年に、だと……?」

 鬼か悪魔でも見るような目で二人組を見る直史に罪はない。でもでもだってと涙に目尻を濡らすチンピラが悪い。十人いれば九人認めて一人は「これだからゆとりは」の言葉に始まり教育政策の破綻を促したと政治家の批判をする。
 いっそ事情聴取とか一切抜きで皮剥いた山葵と自然薯どっちを尻に突っ込まれたいかの相談会開いたほうがいいかな、と直史が思ったところでその声は響いた。

「――王子様?」

 ひとに聞かせる声だ。人々の意識を集めることに長けた声だ。
 魅了支配の資質に溢れた声が紡いだ言葉を、呼称を聞いた瞬間、直史は衝撃的な出来事のせいで今朝の星座占いを見逃していたことを思い出す。ラッキーカラーやアイテムを身に着けていればこんな事態にはなっていなかったはずだ。たらればは幾らでも語れる。

「王子様、王子様じゃねえか!」

 直史と違って野次馬をぽいぽい使用済みのちり紙よりも気軽に投げ捨てた興元が目の前に立ち、喜色満面に見つめてくる。

「四枝、お前後で反省文な」
「恋文?」
「一度耳鼻科で耳掃除してもらえ。それで難聴が治らなかったら補聴器買ってやるから」

 幸いにも興元に投げられたせいで怪我をした生徒はいなかったようだが、衆人環視のなかで興元に全開の好意を寄せられた直史の心は傷だらけだ。
「王子様?」「聞きまして? 王子様ですってよ?」「でも、四枝と同室になったせいで喧嘩したって」「もしかして力づくでナニしようとして反撃された、とか?」「でもいまはあの調子で……籠絡されたのか」などなどの全然潜められていない囁きのせいで成海に誇った人望までずたぼろになりそうである。

「なんかもうやんなっちゃったな」

 それもこれもこっちにまで来ることになった原因であるチンピラのせいだ、と直史はほっぺをパンパンに膨らませ、居心地悪そうにしていたふたりへ向かって足払いをかけた。見事にすってんころりん尻もちついたところで襟首掴んで引きずっていく。委員会室に向かうまでに階段もあるが構うまい。

「委員長離せ!」
「尻が割れる!」
「尻は元から割れてるよ」
「奇数になっちゃう!」
「倍に割れれば偶数、問題ねえな」

 ぴゃあぴゃあ騒ぐチンピラにてきとうなことを言う直史に、興元が当然の顔をして並ぶ。

「二人は重くないか? 王子様。手伝ってやるぜ?」
「……どうせならもう二人、うちのがいるから回収してくれ。なんの罪もない被害者だから優しくな」

 未だにミニカーで遊んでいる風紀委員の二人組を視線で示せば、興元は一瞬不満そうにするも一旦引き返して二人を回収する。チンピラとの扱いの差は歴然で一人はおんぶ、一人は抱っこである。

「四枝くんたら力持ち」
「王子様のためだからな」
「うん、こいつらの処分が終わったらその呼称について二者面談するから」
「密室でふたりきりめくるめく恋の予感?」
「ごめん、三者面談にしよう」

 成海を呼ぼうと思った直史だったが、後で送った召喚要請のメールに対する成海の返事は「恋愛における闘争において第三勢力の介入は好ましくない。当事者間での解決を応援している」というものだった。
 判明したチンピラの喧嘩理由がホウ酸団子に混ぜるのはピーナッツか玉ねぎかだったことへの憤りもあって大変遺憾な直史の前、二者面談にわくわくを隠さない興元が夜景のきれいなレストランの予約をしようとしていた。

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あきゅろす。
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