小説
一話



 直史が強制的な部屋替えを申し付けられたのは、新入生も学園に馴染んだ初夏の中頃のことだった。

「……おっかしいなー、風紀委員長の特権に一人部屋ってあった気がするんだけどなー?」

 あるぇー? と首を傾げながらも直史は無闇矢鱈と学園側に噛み付かず、大人しく部屋替えを受け入れた。
 しかし、それは直史がイエスマンあるいはお調子者だからというわけではない。学園側も理由を話さず押し付けたわけではなく、きちんと直史に事前説明をしている。
 曰く、直史が移動することになる部屋にはFクラスの中でも敬遠されるほど物騒な噂付きまとう生徒がいること、彼の同室者はあからさまないざこざがあったわけではないがいつ爆発するとも分からぬ爆弾と過ごす心労に胃潰瘍を患ったこと。
 善良な生徒には迷惑極まりないことに、Fクラスの生徒はなるべくFクラス同士で固めない傾向にある。というのも、多少なりとも歯止めをかけないと際限なくやらかすからだ。良識ある生徒であれば違反報告をするし、脅されたとしてもFクラスの同室者ということで多少は注目されているので様子がおかしければ話を聞くことになる。今回も向けられていた注目から生徒の胃潰瘍が発覚した。
 そういったわけで、ひとり残ることになるFクラスの生徒をそのまま放置はできず別の同室者を宛てがうことになったのだが、揉め事がなくとも胃潰瘍を起こさせる重圧を一般生徒に強いることはできない。そも、Fクラスの生徒の同室者はなるべく風紀委員の人間が選ばれている。だが、風紀委員とてそこまで多いわけではなく、既になるべく目を離さないほうがいいFクラスの生徒の同室者として全員出払っている。残されたのは委員長である直史だけであった。

「これで相手があいつじゃなけりゃなあ……」

 前述の通り相手は要注意人物だ。そうでなければ暫く一人部屋で様子見などもあったはずだと直史は唇をあひるのように尖らせる。
 なにはともあれ決まって納得したこと、直史は目当ての部屋に辿り着くとまるで我が家のような気軽さでドアを開けた。

「おーぷんせさみー」

 荷物は既に運び込まれているはずだとずかずか上がり込んで間もなく、共有スペースのソファに座る人物を見つける。
 実家がヤクザという噂がなければ、きっと同性愛まかり通る学園ではタチとしての需要に事欠かないだろう男前。我の強いやつを屈服させたい性癖持ちからはネコ需要もあるだろう。
 わーお、モテモテじゃないっすか、と直史は笑う。
 その瞬間、男前が直史を見た。
 なにもへらっと笑った瞬間に視線が合わなくても、と思った直史の前で男前が目を見開きソファから立ち上がる。

「てめえ、王子様か……ッ?」
「すまん、部屋間違えた」

 こいつぁおさわり禁止物件だわ、と背を向ける直史だが、相手はいつの間にか距離を詰めて直史の肩に手をかける。
 条件反射だった。
 常日頃馬鹿やらかす不良を千切っては投げ、生徒に手を出すクズ教師を蹴り飛ばし、月のない夜に警戒を欠かさず、背後からの襲撃に備えて歩きながらイヤホンを使うこともままならないが故の条件反射だった。
 肩にかかる自分とは大して厚みも大きさも変わらない手を掴み、軽く身を屈めてぶん投げ――ようとして我に返る。
 背後に立たれて肩叩かれたから投げ飛ばしましたとは如何に風紀委員長の地位があるとはいえ、今後になんらかの影が差すかもしれない。
 直史の保身と打算は物理法則をも変える。
 明らかに背負い投げ途中だった体勢にも関わらず、直史の腕の中には横抱きの体勢で男前が収まっていた。

「お怪我は、ありませんか?」

 白々しさ極まりない言葉を平然と吐き出す直史、しかし男前は怒りも見せずに口元を両手で隠す。

「だ、大丈夫だ、王子様!」

 直史は男前を投げ捨てドアへ向かって走った。足を掴まれここ数年でも見たことがないほど見事且つ無様な顔面からの転倒。自身の鼻の高さを証明する痛みに直史は悶絶した。

「逃さねえぞ、王子様!」
「鼻が! 鼻があ!!」

 鼻だけではなく唇も歯が当たって切れている。だが、やはり鼻へのダメージが深刻だ。鈍い音も滴るものもないが痛みは鮮烈である。
 直史が自身の身に起きた悲劇に溺れている間に、男前は直史の足を持って部屋のなかへと引きずり始める。
 余人が見れば人喰いの魔物からの逃亡に敢えなく失敗して巣穴に引きずり込まれているのと大差ない光景だが、人喰いの魔物もとい男前が直史を放ったのは煮え滾る鍋ではなくソファであった。

「落ち着け、王子様。いま冷やすもん持ってきてやる」
「冷たすぎるのは逆に痛いからタオルに包んでくれ」
「分かった」

 鼻という凹凸部分に使うためだからだろう、形の固定された保冷剤ではなく二重にしたビニール袋へ氷水を入れてガーゼタオルとともに持ってきた男前は中々の気遣い屋さんである。
 鼻を冷やして暫く、どうにか痛みが引いた直史はガーゼタオルを下にビニール袋をテーブルへ置いた。

「あー、鼻がちべてえ……」

 すん、と鼻を鳴らした直史は自分を凝視する男前へとようやく向き合う。
 容姿優れた同性が憎いという輩は少なくないが、同じく容姿優れた人間からすれば見目整っている存在は好ましいだけだ。もちろん、恋敵となったときには憎しみの炎でダイヤモンドすら燃やせるが、現状直史に想う相手もいないので目の前の整った容貌は目の保養になった。

「志垣直史、今日から同室になるんでよろしく」
「分かった、枕は二つ用意する」
「なにが分かったの? ベッドはもちろん寝室も別に決まってんだろうがよ」
「え? 夫婦別姓派だって?」
「どれだけ難聴なの?」

 直史は決して鈍くない。
 どうやら自身が目の前の男前にフォーリンラブされたことにため息を吐く。

「同じ番号の部屋に寝起きするだけの赤の他人だから、あとは放置してどうぞ」

 だが、現実に真っ向から向き合うかと言われればそうでもない。触れないほうがいい面倒事は遠巻きにするのが一番だ。
 しかしながら、男前はそれで許してはくれない。

「四枝興元、末永くよろしくしよう」

 男前に相応しい笑顔で興元は表情を和らげ、流れるような仕草で直史の手をとった。自身を見つめる眼差しに籠もった熱ときたら、女に向けられればATMになるのも吝かではない。
 相手が相手なだけに直史以外が興元の同室者になる可能性は今後低く、理由もなく一人部屋に戻れる可能性も低く、卒業までの数ヶ月を両刀使いにならずに過ごせるだろうかと直史は中途半端な前向きさで考えた。

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