小説
二十三話



 他者が知り得ない技術を知っているからといって、ヴィオレが疑われることはなかった。
 迷宮内では転移魔法が使えないからである。
 GVが迷宮にいたことはギルド証の記録を見れば一発で分かることであり、事件はその間にも起きていた。
 それでも手がかりから目に見える成果を欲する短慮な輩が、出自不明のヴィオレに仲間の存在があるのでは、と指摘するもヴィオレはグレンへ視線をやってから棒読みで言う。

「この国や周辺諸国では渦炎のような存在がそれほどまでにいるとは、それは驚きよな。グレンほどの強者であれば是非とも知り合ってみたいものよ」

 自身に並べるものを持つからこそ対等の相棒だ。
 奇しくも古代種を屠ったばかり、そんな人間がほいほいいるなどとは言えるわけがないし、事実存在しないはずである。
 自らに降りかかった疑惑を払いのけ、ヴィオレは雷属性による詳しい転移を簡潔に述べた後に立ち上がる。

「こういった使い方をするのであれば偶然の産物ではない。高度な学問を学び、実験も繰り返してきたはずだ。そういった環境に身を置けるものは限られておるであろう。これより先は私の述べるところではないか。そろそろ失礼する」

 ヴィオレが完全に協力すれば魔法関連の解析は格段に早く進むだろう。しかし、ソフィブラッサムがこの場で求めることはない。女王自ら正式に外部協力者を要請するなど、その場にいる宮廷魔法使いを蔑ろにするにも値するからだ。彼らのほうから言い出したなら可能だが、難しいだろう。
 グレンはようやくか、と壁から背中を剥がす。

「あら、では馬車を用意させるわ」
「転移がありますので、お気持ちだけ頂きます。過分なお気遣い、心より感謝致します」
「そう? でも、お見送りはさせてね。お礼は後日、ギルドを通すわ。また気づいたことがあれば教えてちょうだい」

 案内ではなく見送りとは、とグレンとヴィオレがソフィブラッサムを振り返ったとき、彼女は肉が随分落ちた指先でベルを摘み、上品に揺らした。
 水面に波紋が広がるように音色を響かせたベルがふっと途切れるのと同時、部屋のドアがノックされる。近くにいたグレンが視線を向ける先、恭しく開かれたドアから現れたのはイルミナだった。

「お呼びにございますか、お祖母様」
「ええ、彼らのお見送りをしてさしあげてね」

 薄紫の目がグレンとヴィオレを捉える。一瞬の揺れ。しかし、イルミナはそれを感じさせぬ無邪気な声音で「はい!」と頷く。

「さ、参られよ、冒険者殿!」

 部屋のすぐ外には黒衣の騎士がいて、イルミナのそばに寄り添って歩き出した。
 事件において有益な情報を提供したからといって、王女に見送りをさせるほどのことだろうか、とグレンが思っているとイルミナは行きとは違う道を歩き出した。行きの案内はイルミナではないが、それでも決められた道を使うのが普通だろうとグレンがヴィオレに視線をやると、彼はすい、と視線を周囲に巡らせている。
 ヴィオレが足を止めるのとグレンが足を止めるの、ヴィオレがほんの一瞬早かったのは得意分野の差だった。

「流石じゃの」

 無邪気とは遠い、理性的な幼い声。
 狭い歩幅で歩くイルミナは不思議なほど静まり返る回廊でその小さな歩みを止めた。
 中庭は暗く、月明かりが差し込んでいる。

「消音魔法を王宮に敷くのは、問題かと存じますが」

 イルミナはヴィオレに厳しい視線を向けながら「そうかもしれぬ」と肯定した。
 小夜風が吹くのがイルミナの揺れる銀髪から分かるのに、草木のさざめきも聞こえないのがひどい違和感だ。

「……魔法使い殿の声は変わっておるの」
「魔力観測でも持っておるのか。これだけ制御をかけてもとは、優秀よな」

 ソフィブラッサムたちの前では控えていたもとの口調でヴィオレは賞賛した。
 黒衣の騎士が何気ない仕草でイルミナを守る位置に立つ。ヴィオレは苦笑した。

「その優秀な目から見て、私はそれほどまでに怖いか?」

 決して揶揄のつもりでの言葉ではなかったが、イルミナは激昂する。

「怖いに決まっておるわッッ!!」

 消音魔法がなければ殷々と響いたであろう怒声。
 薄紫の目から涙を溢れさせたイルミナに黒衣の騎士が剣の柄に手をかけるも、彼は抜剣しなかった。ただ、薄紅の目が血の色の染まるのではないかと思うほど、苛烈に燃え上がってヴィオレを睨み、グレンを睨む。

「妾ではお前と相対できないのだもの、それでもそのときが来たら妾はお前の前に立たなければならないのだもの、そうして妾が死んだってなんの意味もありはしないのだもの!!! 未だに構築を続けているとは何事じゃ、その魔法でなにをするつもりなのじゃ!!」
「なんの話だよ」

 グレンが呆れたように呟く。イルミナにとって必死な叫びであっても、グレンにはこどもの癇癪のようにしか感じられない。事実、イルミナの言葉だけを抜き出せばそんな反応も仕方ないだろう。
 だが、こどもの癇癪と片付けてしまうにはイルミナの声も表情も悲痛に過ぎた。
 ヴィオレにその場へ片膝を突かせるほどに。
 礼を尽くすためのものではない。幼いこどもへ視線を合わせるための体勢だ。けれど、グレンがこどもの癇癪と感じたものを宥めるためにその膝を地へ突けるほど、ヴィオレはこどもにとって都合のいい存在ではない。
 黒衣の騎士がヴィオレの首をいつでも刎ねようとばかりに柄へ指を絡めるのを見て、グレンは舌打ちする。グレンの剣はポケットの中だが、剣がなければ無力になってしまうようではSランクには成り得ない。
 グレンと黒衣の騎士が張り詰めた空気を発し、イルミナに親の敵のように睨まれるなか、ヴィオレは前髪をかき上げる仕草で切なさに歪んだ己の表情を隠す。

「……そうか、そなたが…………そなたが私の前に立つ理由が『王女』であるからというものであるのなら、それは杞憂ぞ」

「王女」だから。「王族」だから。
 国の大事において、王族はなによりも率先してその身を捧げなくてはならない。

「そなたが信じる信じないは私の強制するところでも、できることでもない。けれど、だ」

 片膝突いた体勢はイルミナへのものだった。それが、一瞬にして厳かな忠義のそれへと変わるのをイルミナは、黒衣の騎士は、目を見開いて見つめる。
 ヴィオレの拳が側面を向けて胸へと当てられた。
 本来であれば騎士が主へと剣の柄を預け自らに刃を向けて己の命運を捧げる誓いだが、簡易であると、柄を託す先がないと、軽視することはとてもできないほどにヴィオレの姿は謹厳であった。

「我が主の名と我が称号に誓って、私は他者を踏み躙り我欲を通す人畜生にはならぬ――絶対に、だ」

 立ち上がったヴィオレは呆然と己を見上げる薄紫の目に微笑する。さっと手をひと振りさせれば回廊へ吹いた風の音が、草木のざわめきが、虫の声が戻ってきた。

「さて、案内の続きを頼もうか」



 城門を出てすぐには転移を使わず、グレンとヴィオレは常よりゆったりとした足取りで歩いていた。

「お前のとこの国治めてんのは女か?」
「いいや? 陛下は男性ぞ」
「じゃあ、お前の主人は誰だよ。あの訳あり王女サマに似てんだろ」

 勘のいいグレンにヴィオレは笑う。
 風呂屋で見せたと同じ苦笑いの表情だった。

「同じ要素を持っているだけで、まるで違うがな。波打つ白銀の髪、紫の目、幼さを捨てた厳しさ。初めて見えたときに懐かしい御姿と見紛うてしまった」

 立ち止まったヴィオレが夜空を仰ぐのに、グレンもつられて空を見上げた。穏やかに光を降らせる月はまあるい形をしている。

「私の主は皇后陛下ぞ」

 グレンはヴィオレの顔を見た。
 傷ついてもやり切れなさを感じてもいない。
 決して手の届かない、届いても触れてはいけないひとの幸せを願い、愛おしさは胸が痛くなるほどなのだと言っている。
 ならばこそ、とグレンは確信した。

「なあ、もとの世界に戻る術っての、持ってんだろ」

 ヴィオレは指先をゆったりと振る。グレンとヴィオレの足元に転移魔法陣が浮き上がった。

「――然り」

 星色の光を放つ魔法陣に照らされながら、月を見つめるヴィオレが呟く。

「何処に在りても月は美しいな、グレン」

 グレンが返事をするより早く、転移術式が発動した。

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