小説
あくがれ



 大島響は、生まれつきどうしようもなく不自由な体を抱えて生きている。
 かろうじて生命維持装置を免れた未熟児で生まれ、完成し切る前の内臓を抱えて育ち、一時は成人できないだろうとまで言われた。
 医者の家系であることが幸いし、家族の死に物狂いの努力により、十一歳になる前、響はようやく同い年の子と似た生活をできるようになった。
 あくまでも似た生活であって、外で駆け回ることはよっぽど調子がいいときに限り、やはり、ほとんどは室内で過ごした。学園は休みが多かったが、家の中でやることといえば勉強くらいで、成績は良かったのが幸いか。
 体育は参加できず、友達らしい友達も作れぬまま、初等部を卒業。
 なにをせずとも体調不良を起こす体に何度も泣きたくなった。
 それでも少しずつ病院へ駆け込む回数が減った中等部の中ごろ、響はある少年を見かける。
 膝を曲げない優雅な歩き方で、颯爽と進みながら響の前を通り過ぎていく少年。
 その顔に見覚えがあった。
 自分を可愛がってくれる祖父のアルバムに写っていた、自信に溢れた青年を僅かに幼くしたような、青年が十代前半だったらああいう顔をしているのだろうと確信させる顔立ち。
 響はアルバムの青年に恋をしていた時期がある。
 祖父と並んで写っていることの多い写真のなかで、青年はいつだって悠然としていて、しっかりと自分の足で立っていた。

「このひとカッコイイねえ」

 幼い響がいえば、祖父は苦笑いした。

「写真はとりわけ格好付けてるからね。でも、こいつの一番格好悪くて格好良いところは、転びかけたひとを自分を下敷きに庇うっていうのを日常的にやらかすところだよ」

 祖父は遠い目をしながら、青年にまつわる思い出話を聞かせてくれた。
 確かに、青年は格好悪くて、格好良かった。
 けれども、自分が泥だらけ、傷だらけになっても誰かを守って、平然とする強さに憧れた。
 幼い恋は時間と共に消えたけれど、そっくりな少年を見て、強い憧憬が胸に蘇る。
 少年は目立つ存在だったので、姿を見かけることは多く、ぴん、と伸びた背筋や自信にあふれた振る舞いと、それを裏付ける能力を目にするたび、憧れは強くなった。
 自分ではああはいかない。自分ではあんなふうにできない。
 でも、でもでも、少しだけ、お手伝いだけでもできたなら。ほんの少しだけでも、傍にいられたなら。

「恋をしているみたい」

 同室になった少年に言われ、響はぼんやりとした思考に新しい色を差された様な気持ちになった。
 恋。
 これは恋だろうか。ただの、というには強すぎる憧れではなくて?
 自分の感情が曖昧なまま、中等部を卒業。高等部に進み、思い切って親衛隊を設立したら、と進めたのは、再び同室になった少年だった。

「でも、僕はこんなだし」
「不都合なのは身体だけでしょ。
 ……僕だって、彼には憧れてるし、行動するのは僕がやるから、指示はきみがやりなよ」

 そうして、親衛隊ができた。
 挨拶だけでも直接したかったのだが、運悪く響は体調を崩して入院。退院した頃にはいまさら過ぎた。
 響は全く表に出ることはなく、ひたすら彼のためを考え、指示をまとめるだけ。同室の少年に負担がかかり過ぎていないかと思ったが、彼は「なにかあって責任とるのはきみだもの」と偽悪的な笑みで言った。
 響が親衛隊の隊長とは知られぬまま、時間は過ぎていき、少年は生徒会長となった。
 そういえば、アルバムの青年も生徒会長だったらしい。
 ふと思い出し、そんな自分に響は驚く。
 順番が、いつの間にか入れ替わっている。
 青年にそっくり(恐らく彼の近い親類だろう)だから、注目した。そのあり方が描いたとおりだから、余計に憧れた。
 青年ありきだった筈なのに、今では青年のことなどすっかり忘れて、それこそ、青年とまったく同じように成長した彼に青年を重ねることもなく、ただ彼自身を見つめ続けていた。
 彼だから憧れて、彼だから応援したくて、彼だから誇らしくて、彼だから目が追う。
 彼の喜びを喜び、彼の怒りに怒り、彼の悲しみに涙が滲む。

 彼が好きだ。

 同室の少年は「いまさら?」と心底呆れ返っていた。
 ああ、そうだ。ずっと分からなかった。
 恋をしているようだと言われ、戸惑いながらも明確にしないまま時間ばかり過ぎた。
 ようやく自覚した、もしくは、ここまで来てそういう形に収まった感情はしかし、既に行き場がなかった。
 彼と響は、あまりにも接点がなさ過ぎたのだ。
 親衛隊の隊長ではあるが、それを知っているのは親衛隊のみ。知らない隊員すらいる始末。
 いや、こういった感情が絡んだ場合、親衛隊というのはある種の枷でしかないのだけれど。
 恋慕の情を抱きながら、ただ、今までどおり彼を見つめるだけの響に、同室の彼は目を覆っていた。
 そうやって、アルバムの青年のときのように、時間が感情を穏やかに埋めていくのだろうと思っていた響だが、ある日、転機が訪れる。

 久しぶりに体調が悪かった。
 朝方は大したことはなかった。昨夜、祖父から「そろそろ処理に困った」という一言副えたカードと共に届いた薔薇のドライフラワーを欲しいひとに配り歩くことができるほどだった。しかし、登校して暫く、次第に体調は悪化して、とうとう酷く咳き込んで廊下に蹲った。
 咳とともにがんがん打ち鳴らすように頭が痛くなり、咳き込みすぎて喉や胸も痛い。
 涙が滲んだ頃、慌てて誰かが駆け寄ってきた。
 安否を訊ねる声に顔を上げるが、再び襲ってきた咳に相手を確かめる間もなく俯いた。
 相手は不器用な仕草で響の背をさすってくれて、ゆっくりと咳が収まっていく。
 酷く乱れた呼吸と、収まらぬ頭痛が酷いものの、響はなんとか顔を上げる。
 相手は彼だった。
 まさか彼だとは思わず驚いた響の目から、溜まった涙が零れる。
 なぜか、驚いた顔をしていた彼は、その涙を指で追った。
 頬を撫でる指の感触に羞恥を覚え、響は狼狽する。
 彼ははっとして手を引っ込めて、響の体調を案じてくれた。
 そして、あろうことか、寮まで送ってくれるとまで申し出てくれたのだ。
 さすがに申し訳なくて遠慮しようとしたのだが、彼は決定事項を告げているときの目をしていた。
 その、傲慢ともとれる振る舞いが許される在り方に憧れていた。彼の意思の強い目が好きだった。
 その視線と交わることは決してないと思っていたのに、いま、彼の眼差しは真っ直ぐ響に注がれている。
 うれしくて、恥ずかしくて、ほんの少し怖い。

「俺は結城昌太郎だが、お前の名前は?」

 学園で彼の名を知らぬものなどいないだろうに、律儀に名乗る彼に思わず顔が綻びかけた。
 彼が、結城昌太郎が路傍の石と大して変わらぬ自分の名を訊ねてくれた。
 ただ、見つめるだけの数年間を過ごした響にとって、それはほんの少し現実味を欠いて、夢のようにうれしい出来事だった。

(好きだなあ)

 ひたひたと溢れる感情を胸に満たしたまま、響は応える。

「大島響」

 ほんの僅かな接点に喜んだのもつかの間、その夜に響は病院へ運ばれた。


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あきゅろす。
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