小説
三話
レヴァンが気になった匂いの正体は人間だった。
人間の区別は意識して覚えなければ難しい。毛色等が同じだと更に難しい。顔の違いもよく分からない。
しかし、白い髪に蒼い目をしたその人間だけは、不思議と人型をとった同族と同じ程度に区別して認識することができた。
気になって、気になって気になって。
かわいさのあまり食べてしまった。
周囲でまったく区別の付かない人間が鳴いていたが、流石に煩いので結界の外に弾きだして鳴き声も遮断する。
頭の先から爪先まで、外側も内側も美味しくぺろりと食べ終わった頃、気付けば周囲の人間たちは力をなくしたように座り込んでいた。明らかに覇気がなくなっている。しかし、レヴァンにとってはどうでもいい。レヴァンの興味はぐったりとした腕の中の人間に注がれている。
これは連れて帰ってかわいがろう。
そう決めたレヴァンは人間が神殿と呼んでいる建物に入ってきてから放置していた箱を片手で持ち、もう片方の腕に意識を朦朧とさせている人間を抱え、我に返ったらしい人間たちが再び喚き出すのを無視して壁に空けた穴から宙へ飛び出す。
背中に広がるのは鋭い枝のような六枚羽。ドラゴンの力を象徴する羽だが、通常は二枚。六枚羽なんて滅多にいない。生きた化石状態の古代種に八枚羽がいたけれど、ここ数百年はまともに活動していない。故にレヴァンはドラゴンの中でも頂上に近い存在だ。
しかし、そんな重々しい威厳はレヴァンにない。相変わらずいやらしい笑顔を紅潮させ、腕の中の箱と人間に視線を行ったり来たり。
前方不注意だろうがドラゴンの知覚能力の前では瑣末さまつ、住処である大樹がある原始林に入っても枝葉に掠ることなく飛び続け、ようやく大樹の枝へと降りる。大の大人が三人は寝転がれるほど太い枝に人間を寝かせると、白い髪がさらりと落ちて夜闇に浮かび上がった。
「きれいだなあ」
髪をひと束掬い、ちゅ、ちゅ、と口付ければぼんやりとした蒼い目がレヴァンを見上げる。唇が動くが、音は音にならなかった。けれど、レヴァンには人間がなにを言いたいのかが理解できた。
「水ね、いいよ」
手近な枝を圧し折れば、そこからぱたぱたと少なくない水が溢れてくる。それを口に落としてやれば、なんとか飲み込むことが出来たようだ。人間ならばとてもではないが折ることなど出来ず、湛えた水や蜜は薬にもなり、それらを失った枝でさえ価値があるというのにレヴァンは容易く用を終えた大樹の枝を手の中で燃やす。
「まだいる?」
「いえ……ありがとうございます」
ドラゴンにとってはただの飲水にしかならずとも、人間には効果絶大。先ほどまで声を発すこともままならなかった人間は手をついて上体を起こす。
金色の目と蒼い目がじっと見つめ合う。
「質問をお許しいただけますか?」
「いいよ。なんでも、なんでも答えてあげる。知っていることならね」
「此処は何処ですか?」
「ボクの住処。人間が神木とか呼んでる大樹の枝の上」
「私はどうしたらいいですか?」
「ボクの領域以内であれば好きにしていいよ」
「貴方は私をどうしますか?」
レヴァンは考える。
連れ帰ってかわいがるとは決めたが、その方法はどうしたものか。
考えて、思い出すのは人間の脆弱性。定期的な食事や一定の環境が保たれなければすぐに死んでしまう人間は、ドラゴンと違い過ぎる。
「まずはご飯を食べさせるよ」
まばたきをする人間の前で脇に置いておいた箱を開け、中から一抱えよりは小さい袋を取り出して人間に渡す。
「あげる。お腹が空いたら食べるといい」
人間が袋をおずおずと開ける。かさ、と乾いた音がした。
「……じゃがいもの薄切り揚げ」
「美味しいよね」
レヴァンも箱から自分の分を取り出し、ぱりぱりと食べ始める。それを見た人間もちまちまと食べ始めた。
静寂のなか、時折夜行性の鳥や虫が鳴くのに紛れてぱりぱりと音がする。
レヴァンが止まることなくぱりぱりやっていると、人間が手を止めて喉を押さえた。
「どうしたんだい?」
「少し喉が乾きました」
再び枝を圧し折って渡しながら、これは不便かもしれないと考える。自分がいるときは世話をしてやれるが、今日のように出かけるときは珍しくない。人間を住処に残していくこともあるだろう。その間に人間が不調になるのは良くない。
「……人間式に環境を整える必要があるな」
しかし、ドラゴンの能力ではどうにもならないこともあり、人間たちの技術や力が必要になるだろう。脅したり奪ったりしてもいいが、手元に置くと決めた人間が生きている限り他の人間も必要になる。
搾取すればいずれは枯渇するだろう。生かしながら活かし、その力を利用するには人間たちの取り決めに則るべきだ。
今回の場合、必要になるのは金と呼ばれるものだ。
レヴァンはあまり金を持っていない。大半は今日行った店の先払いで使っている。その金を作り出したのは魔石と引き換えだったが、人間たち曰くレヴァンが所有している魔石は全て引き換えにする金が足りないと言う。レヴァンは態々使えない魔石を探しにゴミ拾いする羽目になった。
それでも、滅多にあることではないのでいいかと思ったのだが、定期的になるのなら面倒臭い。確実に金を一定量手に入れるためには、やはり人間社会の歯車に乗るべきだ。
ぱりぱりとじゃがいもの薄切り揚げを一袋平らげ、レヴァンは袋を燃やす。
人間は夜行性ではない。その生態や習性等を調べるのに今夜はもう向かない。明日は忙しくなりそうだと思いながらレヴァンは人間を窺う。もうじゃがいもの薄切り揚げは食べておらず、袋と枝を持て余していた。
レヴァンの視線に気付いたか、蒼い眼差しが向けられる。
「そういえば」
「はい」
「キミって固有名詞あるのかい?」
ドラゴンにとって人間は「人間」だ。たまに変わった毛色のものにあだ名をつけて呼ぶこともあるが。
もしないのならなんて呼ぼうか。他の人間とは違う人間で、レヴァンには完璧に区別がつくけれど、だからこそ他の人間と一緒くたに「人間」と呼ぶのは間抜けだ。
人間はレヴァンから見て枯れ枝よりも頼りない手を胸にあて、歌うように音を紡ぐ。
「オラトリオ・ニンアナンナと申します」
「オラトリオ……オラトリオ、オラトリオ、オラトリオ・ニンアナンナ! それがキミの『名前』だね」
「はい」
レヴァンの顔がどこまでもいやらしく笑み蕩ける。熱い吐息にぞくぞくとした震え、両頬を押さえれば熱を持っている。
腕を伸ばしてオラトリオを抱き寄せ、すり、と頬ずりをして、ドラゴンには遥かに劣る聴覚しか持たない人間であってもよく聞こえるように、小さな耳元でレヴァンは言う。
「オラトリオ、今日からキミが死ぬまで一緒にいよう。大事にだいじにかわいがるよ」
腕の中、オラトリオが「分かりました」とちっとも分かっていなさそうな声で言う。人間だから仕方ない。
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